
女性が出産した男の子が難病で亡くなり、その悲しみをどう乗り越えたか相談しています。
長くなりますがこのどうしようも無い気持ちを
残さしてください
2021.03.07.
可愛い可愛い男の子を
出産しました
予定日は4月21日
切迫早産の診断を受けて次の日
1ヶ月以上早く陣痛が来て
医大に救急搬送されて、
逆子だし絶対安静で入院だろうな
って深く考えず病院へ
先生がエコーしてる時急に顔が暗くなって
何人もの先生がエコーを代わる代わる見に来て、小児科の先生も呼ばれて
あ、なにかあるんだって不安で仕方なかった
前の病院ではなんの異常も言われなかったのに、、
羊水が全然ない。腎臓が人より大きい。
腎臓に押されて肺ができてないかもしれない。
衝撃なことばっかり言われて
どんどん陣痛もきて
子宮が5cm開いて気持ちが追いつかないまま 緊急帝王切開
手術終わって部屋帰って、
先生入ってきて聞かされたのは
難病指定の病気で肺も新生児の3分の1、オシッコも出来てない、そんなに長くはないでしょうってこと
実感なさすぎて、何言いってるのって涙も出んなかった
次の日赤ちゃんに初めて会いにいって、
チューブいっぱい付けて、
痛くて辛いだろうに必死に
生きようとしている姿に涙が止まらなかった。
健康に産まれてくるのが普通って思ってたし、テレビでしか見たことないような非日常的な事が目の前で自分の子どもで起こってる事が受け止めきれなかった
でもお腹の中で心拍聞こえなくなってもおかしくなかったのに、自分で生まれたいって陣痛起こして出てきてくれたこと
チューブ繋がれても足も手も必死に動かして
頑張りようよって教えてくれた事が嬉しかったし可愛くて可愛くて仕方なかった
お兄ちゃんそっくりで
このまま長く生きれるんじゃない?
全然病気に見えない
って動いてる姿見てたらそんな風に思えるのに、
先生の話は現実的で怖くて仕方なかった
それから毎日NICU通って、毎日色んな姿を見せてくれて
笑ったり泣いたりの1週間を過ごして毎日愛おしいが増して
その分この子が居なくなったらって不安でいっぱいだった
2021.03.15
生まれてきて9日目。いっぱいいっぱい頑張ってくれた我が子が天国に行きました。最後まで目を開けて手を握ってくれて必死に頑張ってる姿を見せてくれた
もうしんどい思いも痛い思いもしなくてよくなったね
小さい体で一生分頑張ってくれたね、
やっとお家に帰れるね
初めて抱っこした我が子は小さくてでも重くて
言葉にでないくらい可愛かった
我が子が居なくなって5ヶ月。
確かに産んだはずなのにうちにはいない
妊婦さん見る度に辛くて辛くてどうしようも無い気持ちになってしまう。
天使ママさんはどうやってこの気持ちを乗り越えられましたか?
#天使ママ
- おこめ(4歳0ヶ月)

ななみ。❀
お辛い経験でしたね。
でも、ママにとっては辛い結果になったとしても赤ちゃんはママにどうしても会いたかったんですね♡
私もありました。妊婦さん見るのが本当に嫌で嫌でしょうがなかったです。
妊婦さんらしからぬ行動や格好をしてる妊婦さんなんかもうほんとに…(言葉では言い表せない感情になりました)
小さな子供や赤ちゃんを見るのも本当に嫌でした。
目が合って笑ってくれてもこちらは笑えないくらい…。
元々は子供大好きでしたが、しばらく(5年くらい)は子供嫌いになったフリしてました。
お手本にしていい感じでは無いですが、そうでもしないと乗り切れなかったです。
あと、子供は骨もなかったですがお寺で水子地蔵にしてもらい供養しました。
毎日『ありがとう。ごめんね。愛してるよ。』と手を合わせていました。
もっともっと時間が経ってもどうしようも無い気持ちになる時があります。
そんな時に手を合わせられる対象がある(と言ったら変な言い方かもしれませんが)のと、無いのでは気持ちの持ちようが少し違います。
簡単に乗り越えられることではないですよね。
忘れるなんて絶対無理です。
でも、感情的には落ち着く時は必ず来ます。
結果的に私の場合は時間薬でした。
今すぐ乗り越えなくてもいいと思います。
多少荒んだっていいと思います。いっぱい泣いてください。
その分、会えてよかったよ。君の分まで幸せになるよ。ありがとう。もし良かったら生まれ変わってまたママのところにおいで。2人分、3人分幸せにしてあげるからね。って伝えてあげてください。
そしてママさんも悲しんだ分、笑えるように幸せになる努力もしてください。
なんでもいいです。
趣味でも、妊活でも、仕事でも。
打ち込むものがあると少しは気も紛れますしね。
偉くもないのに偉そうに長々と失礼しました。でもどうか幸せになってください♡

あずき@輝希マム
我が家はもう11年になります。
仕事終わって帰ってから胎動ないのに気づいて( 次の日から産休でした)病院行って、市内のNICU空いてないからと隣市の病院で緊急帝王切開…子供だけ更に隣の市の大きい病院へ
心臓の病気でした。すぐわかるような病気だったのに正期産1日前まで上手に隠していたみたいです。産まれたのが病院見つけるのに時間がかかり日にちまたいでバレンタインデーでした。
誕生日を忘れないように選んできたのかなと思いました。
私は目を開けてるのを見れませんでしたが、丸3日生きてくれました。
乗り越えると言うか、1年後に長女を産みましたが、その時は無事に産まれてくれることばかり考えていたので悲しむどころではなかったかもしれません。
その長女の同級生に下が産まれはじめた頃が自分ではやばかったと今ではおもいます。
「本当は2人の兄妹なのに!」と
間で流産もあり
なかなか次妊娠できなくて、
長女が産まれたことで亡くなった子の影も薄くなり
更に2人目は?と言われ
病みそうでした。その頃の記憶もあまりありません。
6歳差で同性の次男が産まれてからやっと乗り越えたと言うか悲しんでる暇がなくなり、泣くこともなくなりました。心も軽くなりました。
私がしたことは、産まれた時の体重でお人形をつくり、長女が産まれて一緒にスタジオアリスで写真をとりました。
Tシャツに名前を素敵にいれてくれるとこをネットで知り、長女とおそろいで作ってそのお人形に着せてます❤
小学校にあがる年齢の時にはミニランドセルを注文しました。
これは賛否ありますが、お骨は今でも家にあります。
私が死んだら一緒にいれてと伝えてあります。
私がしたいことを主人も親も責めずに見守ってくれたからよかったのかなとおもいます。
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