記録。2016年12月土曜日、36週1日、いつもの産婦人科。赤ちゃん、大きく…
記録。
2016年12月土曜日、36週1日、いつもの産婦人科。
赤ちゃん、大きくなってない。週明け月曜、総合病院へ行くように言われる。
生まれてすぐに赤ちゃんの処置ができるとのこと。
月曜日
8時30分。旦那と病院へ。紹介状持ち受付。産婦人科の待合に行くまで1時間半待つ
10時頃。診察。エコー。すぐ入院とのこと。
自宅近く、入院の準備したいというと、すぐ戻ってきてね。モニター付けてから自宅戻って。と。モニター室へ。
10時45分頃
先に血圧測る。先生来た。自然分娩できるか聞く。妊娠高血圧もあるし様子見て。と言われる。今週中には赤ちゃん出さないといけないらしい。
モニター付けて3分後。子宮張るのと同時に、赤ちゃんの心拍急に下がる。
助産師さん焦る。横向きになって!誰か!酸素ボンベ!!と叫んでいた。酸素マスク。深く深呼吸。
助産師さんが旦那に、奥さんおうち無理!入院の荷物用意してきて!と言っていた。
少し遠くから先生の声。36週3日!〇〇歳!手術室空いてる?とか…。私のことだ…。
目の前にストレッチャーと先生現れる。
たくさんのスタッフの人たちが私の周りで慌ただしく動く。ドラマの撮影みたいだ…と思っていた。
赤ちゃん苦しんでるんだね?とつぶやく。
助産師さん→そうだよ!だから酸素出来るだけ送ってあげられるようにしっかり呼吸してね!赤ちゃん頑張ってるよ!と。
先生から、これから帝王切開で赤ちゃん出すよ!と言われる。旦那、呼び戻される。
ストレッチャーの上で麻酔科の先生から説明を受けながら看護師さん3人で服を脱がされる。自分で酸素マスクを抑えながら説明に頷き、同意書にサイン。
みんな慌ただしくいろんな言葉や会話が飛び交う。カオス。
あっという間に手術室へ移動。
下半身麻酔。頭の上に1人ずっと座っていて、一つ一つ不安にならないように説明してくれる。
手も固定されてぼーっと天井見てたら頭の上のお兄さんが、あ、おめでとうございます!と。
11時57分、息子誕生。1842グラム。泣き声…すごい小さい。一瞬だけ私の横に連れて来られて顔を見る。頑張ったね。ごめんね。(苦しい思いさせて、もっと早く気づけなくて、とか色々な思いで)と息子に二言だけ言った。
すぐにNICUへ。
息子出してから、眠りやすくなるお薬を投与。
12時50分頃。手術終了するまで眠れず、その後スッと寝た。
14時30分入院するお部屋へ移動。個室へ。
薬効いてるので傷口痛くないから眠いけど元気。
その日のうちに名前決定。夜、身体中が痒くて眠れず。
次の日、小児科の先生くる。
息子に心臓の疾患。
私→助産師さんたちから、今日、歩けたら赤ちゃんに会いに行けるよ!といわれる。
会いたいしさっさと尿道の管抜きたいしで、気合いで歩く。傷口超絶痛い。
また次の日、小児科の先生くる。
息子の心臓の疾患2カ所。市内で1番大きなNICUにすぐ転院させると…。ショックで泣き崩れる。息子のもとへ。
すぐ救急隊員来た。保育器から出し、別の保育器へ。とうとう行ってしまう。気がついたら息子に、ごめんね!ごめんね!と泣きながら叫んでいた。
その時、看護師さんが、お母さんは何にも悪くないんだよ!って背中をさすってくれた。その手の温もりは今でもはっきり覚えている。
個室に戻り窓を開ける。聞こえる救急車のサイレン。徐々に遠のいていく。息子を乗せた救急車。どうか無事に病院までたどり着きますように。と願いながら、また泣く。
傷跡と子宮の状態良好で1日早く退院。
そのまま息子のもとへ。担当の先生と面談。
心臓の2つのうち1つは動脈管開存症。
数日経っても閉じず、もう1つの心室中隔欠損もあることで、呼吸が苦しそうになっているらしい。
近々手術して動脈管にクリップ?をして閉じると。
こんなに小さいのに無事に手術乗り越えられるの?不安で毎日泣く。
手術の前の日、説明を受けにいく。
手術中止になったと。今朝、動脈管がだいぶ閉じてたらしく、これくらいなら手術の必要はないよ!と。
安心と嬉しさで涙があふれた。
面会は毎日。搾乳して冷凍した母乳を持って行く。帰り道はほぼ泣いていた。車に乗り込むまで何度も息子がいるあたりの窓を眺めては涙する。
年越し。1月2日。保育器から出ていた!生まれて3週間。
初めて、息子を抱っこした。温かい。軽い。そして愛おしい。また涙。
1月中旬あたり。
先生から、右の肺高血圧になっていることを聞かされる。
心臓の疾患が原因だと思われると。
6ヶ月までに手術。手術しないと肺が壊死しで1歳まで生きられないと。。。
そこから色々さらに詳しく検査。
2ヶ月半経った頃、5月に手術の予定に。それまでここで入院するか、退院して2ヶ月くらい自宅に戻るか決めるよう言われる。病院にいた方が感染症になるリスクは低い。肺高血圧になっている息子、ちょっとした風邪でも重症になり、たぶん人工呼吸器つけないといけなくなると。
旦那と話し合い。家から病院の時以外出さない、ということで退院することに。すごく悩んだ。でも、息子に家はここなんだよって教えてあげたかった。私も外出はしないと決めた。
必要な量ミルクが飲めない息子。栄養経管チューブで口から飲めない分を鼻から入れていた。
退院に向けて、ミルクをチューブで入れるやり方、週に1回のチューブの交換などレクチャーを受ける。私が大丈夫になったら、退院が決まる。
生後3ヶ月、大勢の看護師さんと先生に見送られ退院。
5月の手術までに体重を6.5キロまで増やすため、先生から必要量を言われる。
毎日、想像より大変だった。ほとんど飲まず鼻から入れる。吐く。の繰り返し。入院中からすぐ吐く子だった。洗濯物も大量。夜中は旦那と交代でチューブでミルクをあげた。
5月、目標体重に。
先生から、お母さんよく頑張ったね!と言われ、気がついたら泣いていた。全てが報われた気がした。
5月下旬、入院、二日後、心室中隔欠損症と動脈管開存症の手術。
8時30分、手術室の前まで抱っこ。私号泣。何度も頑張ってねと言う。
息子ちゃん看護師さんに抱っこされ手術室へ。
15時手術終了、ICUへ。
覚悟はしていたけど、大量の機械と点滴に囲まれていた。
19時頃再び見に行くと、息子ちゃん起きてて、固定された足と手をバタバタさせていた。ちょうど先生来て、まだ寝てなきゃダメだよ!と看護師さんに薬追加の指示。
手術から5日後、小児科病棟に戻る。
そこから1週間後、最後の心臓に入れてた管を抜き退院。
手術の経過順調。
9月下旬、ミルク全量飲めて栄養経管チューブ卒業。
10月、10ヶ月検診にて、運動の発達の遅れを指摘され、自立支援センターでリハビリを受けることを勧められるが、春に別の手術が控えていることで、その後からのリハビリになった。
4月上旬、手術。尿道下裂。術後5日くらいで退院。
6月、リハビリ開始。2歳の誕生日直後歩けるように。
現在に至る。現在もリハビリ中。転びにくくなるよう歩行訓練。
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- クルン☆(7歳)
コメント
退会ユーザー
ふと目に入り、投稿見させていただきましたがママさんやお子さんの頑張りに涙しました。
私にもちょうど同じくらいの息子がいます。自分のことより何より息子の体が一番
大切ですよね。
出産に絶対なんてない。皆命懸けで出産しているんだなと…
大切なことに気づけた気がします。ありがとうございます!
はじめてのママリ🔰
ちょっとずつ成長されているんですね。大変でしたが、お子さんの笑顔が見れるのは良いことだと思います。
私も昔、先天性の心疾患を持った男の子がいました。やっぱり小さく産まれましたが、普通の子なんら変わりなく元気な男の子でした。3歳半で10時間に及ぶ心臓の大きな手術をして、これで元気になると思ってた矢先に、容態が急変して手術の一ヶ月後に亡くなりました。
これからも大変かと思いますが、お子さんの笑顔と成長を見守っていけるのは素晴らしいことです。くじけずに頑張ってもらいたいと思います。
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クルン☆
コメントいただきありがとうございます。大変辛い思いをされたんですね。手術は本当にどうなるかわからないし、私も怖かったです。いつも悪い方に考えてしまい、泣いてました。なまいきナマコさんやご家族の悲しみを想像すると本当に言葉も出ません。うちの息子はありがたいことに経過はよくついこないだの心臓エコーでも問題なしでした。でも毎回緊張して検査に行ってます。まだジャンプとか走ったりはできないしけど、本人は頑張ってリハビリ受けてるし、将来普通の学級に通える?とか不安になることもありますが、生きていてくれることにすごく感謝をしています。
- 8月7日
クルン☆
コメントくださりありがとうございます。
私の周りが普通に産んで普通に育ててって人ばかりでそれが当たり前だと思っていたので、なんで?ってすごく自分を責めました。何事もなく無事に産まれてくるってすごい奇跡なんだなと思いました。