【強くなりたい…】29歳、子なしです。結婚して3年が経とうとしています…
【強くなりたい…】
29歳、子なしです。
結婚して3年が経とうとしています。
入籍して一年、なかなか赤ちゃんに出会えず粘膜下筋腫の手術をちょうど1年ほど前しました。
そこから半年間くらい自己流でタイミングをとって難しければ、筋腫の再発もあるだろうし早めに不妊専門のクリニックに行くようにと、手術をして下さった先生にいわれていました。
11月、意を決して不妊専門のクリニックの予約をして初診のカウンセリングと次回から検査をする予定でした。
そんなタイミングでの妊娠発覚、自分でも信じられなくて、夫と2人で検査薬を見て喜んで、、、。
それでも胎嚢が見えたのも遅く、思えばずっとずっと不安な約2ヶ月でした。
ゆっくりな成長スピードだけれど、頑張って育ってくれていた赤ちゃん。
2人で何度も通った産婦人科。小さな胎嚢が見えてエコーの写真をもらって、車の中で嬉しくて泣きました。
それから2週間後の検診では、小さな胎芽が見えて、赤ちゃんが見えたことに喜びましたが、心拍が見えず、生きたか心地がしなかった1週間後。
やっぱり心拍は見えず稽留流産とのことで診断がおりました。
つわりはあって、気持ち悪くてごはんが食べられなくて、それでも赤ちゃんが生きてさえ居てくれれば、つわりさえ幸せに感じました。
昨日、総合病院で稽留流産の手術をしてきました。
時折り悲しくなって涙はでるけれど、手術への不安や色々な気持ちで、どこか冷静な自分もいて、そんな自分も嫌でした。
手術から1日。下腹部痛と出血もあり、なんだか貧血のような感じもします。
なんだか昨日よりも悲しくて、苦しいきもちになります。
ずっとずっと待っていた赤ちゃん、うれしかったなあ。
ちゃんと産んであげられなくてごめんね。
お腹の中で苦しかったかなあ、そんなことを思うと胸が苦しくなります。
私と同じ気持ちの人は私の周りに誰もいない。
夫は、わたしのサポートをできる限りしてくれたと思います。
本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
こどもはどちらでも良いという夫。
やっぱり温度差はあります。
でも、その温度差を攻めたいわけじゃないし、困らせたいわけでもないんです。
つわりで苦しい中、たくさんサポートしてくれたこと、遠くの産婦人科にいつも送り迎えしてくれたこと、手術もずっと付き添ってくれたこと、感謝しかありません。
だれにも八つ当たりなんてしたくないのに、夫がゲームをして気持ちよさそうに眠っているだけで、今の私はモヤモヤしてしまうんです。そんな黒い心が自分にあるなんて本当にうんざりします。
この世の中にはたくさんたくさん、想像を絶する思いや経験の中、やっとのことでお子さんに恵まれたママさんがたくさんいることを知っています。
本当に本当に心から尊敬します。
私は、次の妊娠もまたうまくいかないんじゃないかということばかりを今考えてしまっています。
もう手術もしたくありません。怖いです。
こんな思いなら、その程度の覚悟なら夫もどちらでも良いと言っているし諦めてしまうべきかもしれません。
でも諦めたくない自分がいます。
がんばりたい自分とがんばれない自分。
とってもとってもくるしいです。
強くなりたいです。
- ぼぶ
りんごジュース
東京の新大久保にある夫婦木神社ご存知ですか??
わたしも1人目授かる前に流産の経験が有ります。気持ちを整理するためにこの神社を訪れて子授け祈願してもらいました。その翌月に授かりました。
神主さんは、こちらの気持ちを聞いてくださりメンタルのフォローしてくれるのですが、それが治療の成功だったなと夫と話しています。
文面から察するに、もう気持ちの面は少し区切りがつきつつある印象がありますがこの神社の参拝も前向きな気持ちになると思います。よかったら、、!!
あすか
辛い経験をされましたね...
私も流産は2度経験しています。
結婚して1年後に自然妊娠するも、初期流産してしまいたくさん泣きました。
その後、中々授かれず28歳で不妊治療を開始し、4年間の治療の末に体外受精でやっと息子を授かりました。
そして2年後に2人目不妊治療を開始し、体外受精2度目で一卵生の双子を妊娠するも、8週で心拍が停止し、流産となりました。
今は最後の凍結胚を使って4回目の体外受精を終え、毎日祈る思いでホルモン剤を使用しています。
流産の辛さは経験者にしか分からないと思います。
母からは「なんでそんなに流産するの?私はポンポンできてきたから分からないわ〜」と言われました。(母は出産2回と堕胎2回の経験があります)
主人も「仕方ないよ。赤ちゃんはお空に忘れ物を取りに帰っただけで、またすぐに来てくれるよ」とどこか楽観的で、私が流産の度にしばらく泣いていても、主人は涙を流したことは無いですし、普段通りゲームもするし、グッスリ眠っています。
その姿を見る度、「あの子(達)のために涙を流して悲しんであげられるのは、世界中で私しかいないんだ」と思いました。
2度目の流産は自宅で自然排出され、病院からは「破棄してください」と言われたため、泣きながら自宅の庭に埋めました。
まさか自分の子どもを自分で埋める日が来るなんて...
私は涙が止まりませんでしたが、主人は泣いていませんでした。
本当に、温度差を感じます。
先々月、お寺へ行って3人分の水子供養をしてもらいました。
水子3人に戒名を付けてもらい、お葬式をして、お供えをしてきました。
きちんとお葬式までしてあげることができて、自分の中では少しスッキリしたというか、「せっかく来てくれた赤ちゃんを産んであげられなかった。何もしてあげられなかった」という気持ちが少し和らぎました。
ぼぶさんも、落ち着いたら水子供養してあげると良いかもしれませんね。
今はとてもお辛いと思いますが、前向きな気持ちになれるまでにはしばらくかかると思います。
でもそれは、それだけ赤ちゃんのことを大切に思っていたということで、赤ちゃんにとっては幸せなことだと思います。
次の妊娠についてですが、私が不妊治療をする上でずっと頭にある言葉があります。
「人は皆、生まれてくる前にお空で親子になる約束をした子がいる」という言葉です。
誰に聞いたのかは忘れましたが、その言葉を心の支えにし、辛い不妊治療を頑張ってきました。
2度目に流産した後も、悲しみの中で「また治療を頑張って、早く迎えに行ってあげなくちゃ」と思いました。
ぼぶさんがまだ諦めたくない、頑張りたいとお思いでしたら、今の悲しみがしばらく経って癒えた後、ゆっくり妊活を再開して、お空で待っている赤ちゃんを迎えに行ってあげてほしいです。
「やらぬ後悔より、やった後悔」という言葉が私は好きで、「あの時もっと妊活を頑張っていれば良かった」と後悔するよりも、「あの時、あれだけ妊活を頑張ったけれど、授かれなかった」と思う方が、「でもやれることはやったし、仕方ないな」と思えると思います。
私は体外受精を保険適用の6回目までチャレンジして、もし授かれなければ、2人目を諦めるつもりでいます。
ぼぶさんの所に、また赤ちゃんが来てくれることを、私も遠くから願っています。
みんこ
頑張りましたね。本当によく頑張りました。
流産したのに悲しくならないなんてないですよ。
旦那さんと2人で一緒によく頑張られたと思います。
旦那さんのどちらでもいいというのは、きっと
ぼぶさんの気持ちを優先したい。
辛いことが起きた時に負担が大きい女性に対して安易に「欲しい」というべきではない。
等、ぼぶさんへの思いやりとしてそういう言い方になってしまっているだけじゃないでしょうか。
検査薬が陽性になった段階で一緒に産婦人科に付き添うなんて、とってもとっても喜んでいる証拠ですよ。
そんなに優しい旦那さんだから、きっとまだ悲しみ方に迷っているんじゃないでしょうか。
私も初めての陽性は流産してしまいました。
夫は胎嚢が見えたところで嬉しくて両親に報告してしまっていました。
その後流産になり、夫が伝えたところ、
「みんこちゃんを支えてあげなさい」
と言われたそうです。
そのため、
「自分は辛いけど、自分よりも妻の方が辛いはずだから僕が支えないと」
と思っていたらしいです。
流産からしばらく経って、私の号泣期間が落ち着いてから、夫はおいおい泣いてました。
夫がそんなに泣くほど辛かったなんて、その時まで気づきませんでした。
ばぶさんの旦那さんも、まだどう消化していいのか整理がついてないだけかもしれません。
手術が怖いのも当たり前です。
慣れてる人なんてなかなかいませんよ。
それに強くなる必要なんてあるでしょうか。
とりあえず今は時間が流れるのを待ってるだけでいいと思います。
気持ちというのは無理やりどうこうできるものではないですし、無理やりどうこうすると後に響きます。
こういうところで吐き出して、泣いて過ごしましょう。
少しずつ整理ができればそれでいいです。
私も流産のことは忘れないし、「陽性になった1人目」と「産まれてきてくれた1人目」はなんとなく別な感覚です。
どちらも私たちの子だと思ってます。
まずは頑張ってきた事実を褒めてあげてください。
きっと気持ちに区切りがつくのはもっと先で、区切りがついたことに気がつくのはもっともっと先です。
どんなに辛くても、人間は少しずつ前を向けるように出来てると思うんです。
だから「前を向けてる」と気づくそのときまで、ただ時間が過ぎるのを待ってみてください。
もう充分に頑張りましたね。
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