※本ページは一般のユーザーの投稿により成り立っており、当社が医学的・科学的根拠を担保するものではありません。ご理解の上、ご活用ください。
はじめてのママリ
ココロ・悩み

弟が親に不満を持ち鬱病になった原因や、親が異なる子どもに同じように接することの問題について相談。親の教育方法が適切だったか考えている。

【我が子たちに平等に接するとは】

生まれ持った性格なのか
私は我慢強く、弟は打たれ弱いです。

真逆な性格の私たちですが、親は同じように育ててくれました。
それがダメだったんですかね。

大人になって弟は鬱病を発症。

主な原因は同居している嫁と姑の板挟みで疲れたせいですが、
鬱になってから「やっぱり親は自分に〜してくれない」「昔から味方してくれない」など、親に対しての昔からの不満をよく口にします。

鬱になる前から弟の話を聞いていると「え、親ってそんなんだったっけ!?」と驚くようなことを言います。
「お父さんは俺に冷たいよ、言い方キツいし。姉ちゃんには言っても無駄だと思ってるのか何も言わないけど」とか「お母さんにそんなこと言ったら拗ねるよ、面倒臭いよ」とか、私が思っている親の印象と全然別のことを言っていました。

弟のほうが親と一緒に住んでいる期間が長いので私が知らない親の一面なのかもしれませんが、もしかしたら物事の受け取り方が私と全然違うだけではないか?と思っています。

ひとつ例を挙げるとすると、私も弟も人間関係で悩んだ学生時代がありました。
親は私にも弟にも同じように「学校に行きなさい!」と言っていました。
なので私はぶつかりながら耐えながら学校に通い続けることができましたが弟は休みがち、保健室登校でした。

私は愛の鞭と受け取っていましたがきっと弟は"味方してくれない"と受け取っていたのかなと。

大人になるまでの間にそういう積み重ねが沢山あって今弟は親に対して不満が爆発しているのかなと思います。
実際鬱病になって弟は不満を口にするだけでなく、小さい子どものようなワガママを親にぶつけまくっています。

これは昔から愛情を貰えなかった(愛情だと受け取れなかった)ことによる反動でしょうか?
性格が違う子どもに対して同じように教育するのは間違っていたんでしょうか?

タイプの違う息子たちにどう接していくか考えさせられます。

コメント

ママリ🔰

愛情ってなんなのか、ということだと思います。
同じように育てるということは、寄り添いはある意味ないのかもしれないです。

ある子は慰めてほしくて、
ある子は背中を押してほしくて
求めるものが違うということは、行動を変えないとそれは子どもにとって愛情にはならないのでしょうね。
愛情って大好き!あなたのため!という親の一方通行だと受け取れないことあると思います。
ようするに親が勝手に愛情と言ってそこに子ども個人の尊重がないなら押し付けの自己満足に思われるということです。

でもそうすると片方がひいきされていると思われることもあるし、
子育ては難しいのだと思います。

はじめてのママリ🔰

私は平等に接することは悪いことだとは思わないです!
ただ、やはりそれぞれの性格があるから平等に接するところと、そうじゃないところがあってもいいのかなとは思います。

私は三人兄弟ですが、妹だけが鬱病です。
私から見ても妹はしっかり愛情を受けてるように見えましたが、本人がそう捉えることができなかったんだと思います。
なんなら私より妹贔屓されてない?と思うことが多々あったくらいだったんですが、それでも愛情と捉えられなかったみたいです。私は贔屓ー!と思いながらも、母が私を愛してくれていることも理解していました。

なので、もし、育てている子供が精神疾患を患ったとしても親が負い目を感じる必要はないと思います。
もちろん暴力暴言、虐待などは別です。
今、ママリさんがこういうことを考えてる時点で、しっかり向き合ってあげられているんだと思います。
今後、私もですが、子供には本音で話してもらえるような関係を築いていくのが理想だと思っています。
それにより、子どもの要望、どう捉えているかなどが見えてきて、その子に合った対応が少しでもできるのでは?と考えています!

ママリ

同じように。
とか
平等。
って何を基準に?
ってところだと思います。

うちも娘と息子がいますが
男の子と女の子ってだけでも
違いはたくさんありますし、
それぞれ性格も違うので

この子はこう言っても耐えられるだろう。

この子はきっと重く捉え過ぎちゃうから違う言い回しを考えよう。

ってありますよ。。。

なのであなたから見て【平等】だったとしても弟さんにとって親からの言葉や仕草はしんどかったんだろうし、それに気がつけなかったご両親の責任だと思います。

ママリ

根源的な親への安心感、信頼感が全く同じとは限らないし、親からの比較は良しにつけ悪きにつけ常に受け続けるので、全く同じ対応でもなかったのではないかと思います。

平等についての皮肉を込めた絵が話題になったことがありましたね。

身長が違う人の目の前に塀があって、身長が高い人は台がなくても塀の向こう側が見えて、低い人は台が1つあっても向こう側は見えないのに、全員に同じ高さの台を1つずつ与えられて、身長の高い人はより見やすくなって低い人は変わらずに何も見えない、という絵です。

自分は努力や我慢をして壁を乗り越えたと思っていたことも、実は自分は身長が高い側で耐えられるくらいの努力や我慢だっただけで、身長が低い側からしたらどれだけ努力しても乗り越えられない壁だった可能性もあります。

また、弟さんはお姉ちゃんはできたんだからお前にもできるはず、ごちゃごちゃ言い訳せずにやれ、と有言無言で比較され続けてプレッシャーをかけ続けられてきたのではないかと思います。
お姉さんが弟さんと比較したら背の高い側の人間だったとしたら、弟さんにとっては常に高いハードルを掲げられてきたのではないかと思います。

同じことが起きても感じる辛さも大変さも異なるのに全く同じ対応だったとしたら、子どもから見たら評価が分かれるのは仕方のないことだと思います。