
幼少期に両親と過ごす時間が少なかった女性が、我が子には家庭保育を選び、親としての思いを語っています。子どもがワガママを言えることに満足感を感じていますが、裕福さと心の満足は必ずしも一致しないと考えています。
状況にもよりますが私は0歳から保育園に預けられ両親共働きで残業による延長保育もしょっちゅうでした。
休日は祖父母宅に預けられることもよくありました。
今考えれば残業する程働き疲れていた両親が休日休むためだったのだと理解できていますが、幼少期に両親と過ごす時間が短すぎました。
親だけどソワソワしたような、どこまでワガママ言っていいかどう関わっていいか分からないといった感じでした。
私は長女で下に2人兄弟が居ますが親の日常がそんな感じだったので私は聞き分けの良いよく気づき役に立つ姉で居ました。
手が掛からない子だったと自覚もあります。
ですが私はやはり親と一緒に居たかったと思い我が子は3歳まで家庭保育し1号で幼稚園に通わせました。
幸い私が専業主婦で居られる状況を許してもらえる旦那さんに巡り会えたおかげです。
子どもがワガママを言うと、あー私はこんなワガママ言えなかったな、ワガママを言っても大丈夫と子どもが思える親になったんだなと羨ましさと満足感があります。
両親がたくさん働いてくれていたので周りの友人達より裕福ではありましたが心が満たされるとは限らない、私が働けば子ども達にもっと良い物を買うことはできるだろうけど我慢もたくさんさせてしまうかもしれない。
器用に生きるのは才能も必要なのかもしれないですね。
- はじめてのママリ🔰
コメント

はじめてのママリ🔰
こちらは呟きですか?それとも質問のコメントの下書きのコピペとかですか?
はじめてのママリ🔰
呟きのようなものです。