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みけё
ココロ・悩み

基本的に子供同士で学校関係で起こった事だったから、担任の先生に対応…

『つぶやき』

基本的に子供同士で学校関係で起こった事だったから、担任の先生に対応は任せた。
ちゃんとした しっかりとした事実だった事も
はっきりと分かった。
担任の先生の対応にも満足している。
学校で起こった事だから、親同士が話し合う必要はないと感じたから話し合うこともしなかった。

でも『一言あってもいいんじゃない?』と思うようになってきた。
事実は消せないし、言葉も消せないし、
記憶も本人には薄れてきてるかもしれない、
でも親には深く深く染み込んでるのを忘れないで
欲しい。

『かもしれない』

その子の親とは仲良くしていたつもりだった。
何か困ったことがあればと学年が上がるたびに
クラスが違っていても、連絡はしていた。
国籍が多少違うから会話がお互いにうまく伝わらない時は話し合うこともできていた。
程よい距離を保っていた。

でも子供同士は違っていた。

まさかそんな事言われて帰ってくるなんて…。

その日に撮った写真には満面の笑みを浮かべて嬉しそうな表情だった。
帰ってきたら、泣きながらだった…。
たまに見返すと親の私まで泣けてくる。
この笑顔を守れなかった。悔しい。
授業参観やイベント事でその子を見ると正直イヤになる不快になるから視界に入らないようにしている。

唯一の救いはクラスに1番仲の良い子が居ること。
みんなが待っていてくれること。
朝イヤイヤながらも行っていた。
引きずり下ろして、先生たちに任せて仕事に行った。
学校に行ければ、親が居なくなれば、
学校生活は1日できていたから。
でも だんだん教室にも行けなくなった。
保健室登校した。
時間がある時、仕事が休みの時はなるべく付き添った。
朝行けなくなった。昼からも行けない。
先生からは給食食べに来るだけでも、いいからさと誘われた。
行ってみようかなと口にするけれど朝になると
やっぱり行けないと。
夕方に顔見せに行く学校生活になった。

学校以外の居場所を作るために不登校の子達が
過ごせる学校みたいな場所を見つけた。
子供は興味を示した。面談や見学はこれから。
行けるかも分からないけれど。

行動するには遅すぎたかもしれないけれど、
まだ大丈夫。
何かに興味は示しているから。

大丈夫。一緒に歩けるから大丈夫。

『大丈夫』と言いかせる、親の私に。
『大丈夫じゃない。』
『大丈夫ってなに?』
自分で自分の感情が分からなくなる時もあるけれど
1日1日を生きている。

ふぅー。
不登校ってなった人にしか分からないし
相談しにくい内容だ。

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