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ままりまま
妊娠・出産

産後に大量出血で緊急搬送され、手術を受けた経験を振り返り、苦しい思いをしたが、今は自分を認められるようになった。育児は大変だが、息子との時間を大切に過ごしている。

ふとした時に思い出すので、吐き出させてください。
産後数時間後に弛緩出血で4Lの出血、退院して数日後に再度多量出血・外陰部血腫の除去手術を行いました。

昨年12月、予定日の検診中に破水し、そこから13時間ちょっとの陣痛の末に第1子を出産。分娩台に上がって2時間足らずでした。
その日は分娩が多い日で、数時間おきに子宮口を確認しに来るだけで、ナースコールを押しても20~30分待つ程でした。

出産後は陰部がとても痛く、処置後分娩台の上で1時間待機する際には意識がぼんやりとして、自分の腕で息子を抱く事が出来ない状況でした。痛み止めは時間が経たないとあげられないと言われ、ひたすら耐えていました。
待機時間を終えても、私があまりにも朦朧としていた為、部屋には戻らず分娩待機室で寝かされる事に。

待機室で寝ていた所、耐えられない腹痛で目を覚ましました。必死に身体を捩ると、膣から大量の液体が流れ出て痛みが和らいだ為、産後の悪露かなと勝手に思い込み、それを3度程繰り返しましたが、毎回温かい液体がベッドまで濡らしてしまった感覚があり、汚してしまった事が申し訳なくて、ナースコールを押す事にしました。

慌てた助産師と医師が来てストレッチャーに乗せられ処置するも出血が止まらず、救急車で総合病院へ運ばれて処置、ICUに入る事になりました。

運ばれている途中や、総合病院での処置中の記憶、ICUでの記憶等、所々意識を失っていた部分以外は覚えています。
手足や唇がガタガタと震えたり、血圧が60台まで下がっているのが見えたり、手の1本も意識的に動かせなかったり、意識がはっきりしてからも寝返りもうてず、座る事も立つことも出来ず、痛くてしんどくて、それなのに息子を産院に置いてきた事が辛くて、自分が弱音を吐く事は許されないと思っていました。

その後、総合病院から分娩院に戻り、やっとの思いで息子と退院した2日後、実家で再び大量出血をおこし、前回出来ていた少し大きめの外陰部血腫がより一層腫れ上がり、再度緊急搬送→手術となりました。

もしあの時、大量の液体でベッドを汚してしまったとナースコールを押さなければ、きっと今私はここに居られなかったのだと思います。
陣痛・出産時も、後に外陰部血腫が大きく腫れ上がり出血、除去手術を行った時にも言われましたが、痛みに強いタイプで、痛みは全て我慢しなければいけないと思っていました。
外陰部もかなり酷い腫れ方をしていたようでした。

痛い時は素直に痛いと言っても良いです。
しんどい時はそう言っても良いです。
お産は初めてなので、私はこれがスタンダードかと勝手に思ってしまいました。
今も時々あの日の事を夢にみます。
苦しくて堪らない時があります。

やっと今になって、あの時私はとても頑張っていたと思えるようになって来ました。
自分で自分を認め、褒めても良いのではないかと、思えるようになって来ました。

お産は命懸けです。
多くの方に助けて頂いたこの命、頑張って育ってくれている息子、共に大事にしつつ過ごしたいと思う毎日です。
(でも育児はとても大変で逃げたい時も沢山あります。笑)

乱筆の上長文を読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

さおり

お疲れさまでした
無事で居てくださって何よりです