2017年10月11日に21週1日で271gの女の子を帝王切開で中絶。悩み、後悔、悲しみでいっぱい。医師からの情報で妊娠生活が変わり、最終的に中絶。感情の波乱を綴った報告。
報告😢
私事ではございますが、この場をかりて報告をさせて下さい。
以前から何度も質問をしていて皆様から励ましや、アドバイス、相談に乗って貰っていました。
ホントに感謝しています。
ありがとうございます。
この度、2017.10.11日(水曜日)
午後17:06週数21w1
体重271gの女の子を帝王切開にて人工妊娠中絶を致しました。
今は12日に火葬も終わりました。
凄く悩んで悩んで、悔しさしか残らない出産になりました。
念願の女の子だったのに私達の勝手に都合と母体を優先してしまった結果になります。
後6日頑張れば生きていた命でした。
私は1人の大事な命を見捨ててしまいました。
今思えば産んであげれば良かったと後悔と悲しみと、申し訳なさでいっぱいです。
この子を妊娠してここまで来るのは簡単ではありませんでした。
初めて妊娠が分かったのが6月18日
初めて産婦人科に行ったのが6月22日
そこから1ヶ月、産むのか堕ろすのか迷っていました。家族は堕ろせと、でも私には堕ろす事は頭にはありませんでした。
初期中絶ギリギリで先生に生むと言って母子手帳を貰ったことを覚えています。
初期から吐き悪阻が酷くて点滴したり、薬飲んだりもしたし、妊娠痒疹と戦ったり、初期からのお腹の張りで張り止め、そして10週に入った頃、赤ちゃんの首の後ろに浮腫があるよと先生から指摘され出生前診断もしました。結果までの2週間が凄く凄く長く感じました。
お盆明け結果を聞きに行ったときに先生に陰性だよって笑って言われたことが嬉しくて涙を流したことも今は思い出です。益々妊娠が楽しくなってきた期間だったのに、切迫流産で入院することになってから私の妊娠生活は変わりました。
元々2回の緊急帝王切開を受けている私は前回早産で今回もその可能性は免れないと言われました。
でも分からないしって軽い気持ちでいました。正直大丈夫だって、この子なら大丈夫だって。
9月も終わる頃、パニックになっていきなり出産が怖くなって壊れました。
涙が止まらなくて何もかもが怖くなって生みたくない、堕ろしたくない、訳分かんないことを言ってました。
そんな矢先私が言われたことは、
今回の妊娠生活は37週まで持つ確率は0だと言われたことです。
前回の33週まで持つ確率も低い。
出産まで入院しても正産期まで持つ確率は半々だということ。
そして前回の傷口に亀裂が入っていて壁も薄い、子宮破裂がおこることも頭に入れといて欲しいと言われたこと。
その発言で、そのたった1日で私の妊娠生活は天国から地獄に落ちました。
19週で胎動もハッキリしてきて、赤ちゃんが女の子かもって分かって来たときだったのに、周りからも楽しみって言われてきたのに何で私なのよって正直神様の意地悪って感じましたし、周りの妊婦さんが羨ましかったです。
堕ろすなら時間が無く、私は3日考えさせて下さいとお願いして退院して帰りました。その1日1日が長く長く感じて、夕方になると訳分からず泣きじゃくって死ぬのが怖くなったり、責任という事から逃げたくなりました。
1人では怖かったので保育園の子供を休ませてずっと一緒にいた三日間にして、あっという間に健診の日になりました。
私は産みたい気持ちを裏目に隠して堕ろしますと先生に言ったことを今でも覚えています。
術前検査を受ける日まで凄く長く感じて短かったと今は思います。
10月7日に保育園の運動会があったので、手術は、それ以降でお願いしましたが、術前検査で切迫子宮破裂を言い渡されました。もう悲しいとかじゃなく試練としか感じませんでした。
私何か悪い子としたかなぁとしか……。
保育園の運動会の日に子供を見て泣いてしまいました。泣きたいわけじゃ無かったのに、どんどん涙が溢れてきました。
私には赤ちゃんが必死に生きていると赤ちゃんから伝えられてるように感じました。3連休は、あっという間に過ぎて気付けば火曜日の朝。
子供を仕方なしに保育園へ送り出し、行って来ますの子供の一言が胸に刺さりました。ごめんって…
初めての入院でもないので受付もスムーズ。知ってる先生、かれこれ出逢って3年、親しくなって2年、1番頼れる人であり、1番赤ちゃんを取り上げて欲しかった人。
毎回どんな顔をしたらいいか分からなくて、毎回笑っていた健診が、今日は涙を堪えるのに必死でした。
先生に言われたこと「貴方にしてあげられる最初の手術がこんな結末だとは思わなかった」。
今でもそう言われたことを覚えています。だって私も同じ事を思っていたから。
今回は先生のご厚意で個室にしました。
しばらくして明日のことを説明されたり、持ち物チェックなどがあってまた先生が来られて最初から最後まで笑わせてくれました。
赤ちゃんと最後の夜、必死にボコボコ動く赤ちゃんが愛おしくて申し訳なくて、私には何もしてあげられない自分がスッゴく憎かったです。
その夜は、ひたすら携帯で中絶の事を調べました。
いつの間にか寝てたみたいで気付けば朝。回診の時、今日は頑張ろうと言われて、イヤだって言ってしまったことも今では遅い後悔です。
15時から手術ときいていましたが、先にあった帝王切開が長引いたらしく呼ばれない時間が凄く凄く長く感じました。
呼ばれたのは16時過ぎ。
始めてはいる手術室、初めて会う人。
それでも皆優しい方で、主治医の先生も近くで麻酔が入るのを視ていて頑張れって皆が言ってくれました。
泣かない。そう決めていたのに、手術室の音楽が西野カナのBestFriendに切り替わって麻酔が終わる瞬間に「ありがとうキミが居てくれて」の歌詞が流れた瞬間にポロポロ涙が溢れ出てきて押さえていたものがおさまらなくなりました。
この時も元気いっぱいに動いていた赤ちゃん。今回は全身麻酔だったので、ここから先は覚えてません。
気付いたのは翌日の夕方。先生がお疲れ様。そう言ってくれました。
私が赤ちゃんの事を知ったのは夜でした。その時にはもう火葬も終わっていたみたいです。
私、男の子なら「夢心ゆめと」
女の子なら「夢花ゆめか」にしように決めていました。
もう少し私がしっかりしていたら、まだまだ周りを説得していたらまた何かが違ったのかも知れないと私は思いました。
赤ちゃんが居なくなって三日経ちます。
心の傷は全然消えません。
赤ちゃんの方が痛い思いをしたのに、私は何もしてあげられなかった。
避けられなかった切迫子宮破裂、
確率だけだったかも知れない。
ごめんなさい赤ちゃん。
私は今居る子供達を残しては死ねない。
絶対絶対忘れない
絶対絶対幸せになるから、貴方の分まで生きるから。
どうか見守って下さい。
短かった21週。妊婦生活折り返しだった。悔しい。スッゴく悔しい。
さっき先生に泣いてくれてありがとうって言われました。貴方は普通のお母さんだよって言われました。
長々付き合って頂きありがとう御座いました。
また、たくさん質問させて貰ったり、アドバイス貰ったり本当にありがとう御座いました。
また1人1人お礼のコメントが出来なくて申し訳ないです。お許し下さい。
これから出産の方、また妊娠したい方、自分を信じて望んで下さい。
赤ちゃんは、赤ちゃんをまもれるのはお母さんのあなた、ただ1人です。
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コメント
はなはないぬいぬ
私も10月2日に陣痛をおこして妊娠18週の男の子を産みました。全身にむくみがあり心臓が止まってしまいました。悔しいですね、産みたかったのに産めないと言うのは。わたしもまだ立ち直るには長い時間がかかります。もう45才なのでこのさき子供は無理かもしれない。でもあなたにはお子さんがいます。そのお子さんたちと産まれてこられなかった子の分まで生きてください。いまは体を休めてくださいね。
りんりあ
ありがとうございます。
夜になると泣きたくなるような精神状態なので、今は休みたいと思います。
はなはないぬいぬ
私も部屋の骨壺に話しかけながら泣いてしまいます。お骨を入れるペンダントを注文したりしながら過ごしています。
りんりあ
なぜ自分だったんだろう。
そう思う自分がいます。
あの時こうしてたら違ったのかなって。
後悔しかないです
はなはないぬいぬ
やはり帝王切開のリスクはあるんですね。今は辛いでしょうけれど、二人のお子さんを目一杯愛してあげてください。私にとってはお子さんがいることはとてもうらやましくて…(>_<")今は気持ちも体も一番辛いけれど二人のお子さんのために笑顔のお母さんに戻れるように応援します。頑張りましょう。