
過保護な親の影響で自由を制限されていたが、一人暮らしを始めて自立を実感した。子どもには自由に育ってほしいと願っている。
独り言です。
大学卒業するまで過保護に育てられました。
門限21時なのでサークルの会合にも参加できず、
そんなサークルはおかしいという親の意見に反対すると
学費を払ってるのは親だと言われた。
結果、サークルは辞め、彼氏もできなかった。
門限だけでなく髪の毛の色やピアスを開ける事も親が介入してきて、自分で決めると言うと「誰のおかげで学費が〜」と言われる。
学費学費と言われるのに嫌気がさして、大学2年の頃に「公務員採用試験を受けるから大学辞めて働く、そうしたら何も文句言わないよね」と親に話すと「働いても家にいる限りは家族の一員としてルールを守る必要が〜」と言われた。
辞めても今の生活が変わらないならと在学中は我慢して、卒業後に就職してすぐに一人暮らしを始めることを伝えた。
「市内なのになぜ?経済的にメリットがない」「家庭にそんなに不満があるのか」など父からも母からも反対されたが、押し切って一人暮らしを始めた。
排水溝は掃除しないと詰まる、ゴミは指定日に出さないといけない、洗濯回すのは天気の良い日。
暮らすというのは様々な縛りがあるけど、それを一つずつこなしていくのがすごく楽しかった。
下に3人いる弟妹のために我慢していたプリンや唐揚げ、ドーナツなど全部1人で食べられる。
何時に帰っても何時に風呂に入っても誰からも何も言われないのが快適で幸せな日々だった。
好きなだけ食べて好きなだけお酒を飲み、煙草も吸って、男性を何人も連れ込んだし、体重が30kg増えた。
ある日母が家に来た時、部屋は片付いているけど冷蔵庫に酒しか入っていない、壁紙はヤニで黄色く変色している部屋を見て、初めて「私が締め付けすぎたせいだね。ごめんね」と謝られた。
両親に学費出してもらったおかげで良い会社に就職できたし感謝もしているけど、その時は長年の恨みが積もって「そうだね、大学時代にしかできない経験が全然できなくて恨んでるし今は不健康でも幸せで快適」と煙草吸いながら伝えて母は半泣きで帰って行った。
23歳だっただろうか、それが初めての親に対しての大きな反抗だった。
それから数年経って結婚し、煙草もやめて子どもを出産した。
母は相変わらず孫に対してあれこれ言ってくるけど、「私と夫で決めるから」と言うと「あっ!そうだね…」となんだか意識してくれている感じ。
そんなうるさい親でも学費は出してくれたし、そのおかげで今の夫と知り合えたから感謝はしている。
でも自分はその遺伝子を受け継いでいる自覚があるから、子どもには早く自立してほしい、自由に生きてほしいと強く思っています。
極端なのは良くないと思いつつ、自分が学生時代にした窮屈で惨めな思いを子どもにはさせたくないと思います。
1人語り失礼しました。
我が子よ、自由にはばたいていってくれ。
- はじめてのママリ🔰
コメント

はじめてのママリ🔰
なんだか感動しました。
私も我が子には自分の人生思いっきり楽しんでほしいです☺️
はじめてのママリ🔰
わ!こんなほぼ愚痴みたいな話に感動だなんて…恐れ入ります🙇♀️
そうですね!親子ってきっと正解のない関係性ですし、難しい時期もあると思いますが、とにかく人生を楽しむって大切ですよね!