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はじめてのママリ🔰
家族・旦那

65歳前後の女性が肺がんステージⅣで余命半年〜1年と診断された方の経過を知りたいです。どのような経過だったか教えていただける方いますか?

【ガン患者について医療・看護従事者さんor介護経験者さん教えてください】
悲しい話です。
65歳前後の女性で、肺がんステージⅣ、足と腕に転移あり、医者から余命半年〜1年と診断された方を知ってる方いますか?
その後、何ヶ月、何年生きられましたか?経過はどのような感じでしたか?
親が余命宣告を受けたと聞き、とても気が動転しています。
ガンについても症状が今後どう変化していくのか全く想像がつきません。
現実を受け入れるために、少しでも悔いなく迎えられるように、もしご経験がある方がいらっしゃったら色々教えていただけませんか?よろしくお願いします。

コメント

ほむら

がんの種類、検査結果等詳しいことはわからないので、一般論になります。

65歳とご年齢が若いので、進行は早く、余命診断されたなら、大抵そのとおりの余命になります。もし、今、普段通りの生活がある程度できていたとしても、病気の進行とともに、苦痛が増え、できないことが増えていきます。
今後脳転移もされたら、認知症のような症状が出たりもします。
骨転移もされている、ということで、今も痛みは結構あるのではないでしょうか?
特に治療という選択肢がない状態ならば、今後の治療としてはお薬で疼痛コントロールを図っていくことになります。

今できることは、お母様がこの余命をどう過ごしたいか、どう死を迎えたいか、を話し合い、意思決定をお手伝いすることだと思います。

ちなみにですが、医師からは今後のことは説明なかったですか?

ママリ

実母が癌で5年前に59歳で亡くなりました。胆管癌で見つかった時には肝臓にも転移しており、手術はできないと言われました。11月に癌が見つかって、翌年の4月中旬に亡くなりました。
抗がん剤を受けるが意味はなく、どんどん弱っていきました。入退院を繰り返し、途中脳梗塞になりしびれが出てきてリハビリしたり、意識障害みたいになり会話がめちゃくちゃになったり見守るのも辛かったです。
トイレに自分で行けなくなってからがあっという間に亡くなってしまったイメージです。最後らへんは足が紫になるチアノーゼが出て、次の日くらいに亡くなりました💦

後悔してるのは、
消化にいい食べ物を調べて母に教えたせいか、それしか食べなくなる、食欲はどんどん無くなるため食べれるものがほとんど無くなる。
休みの日に2日ほど誘われたため職場の人と友達と遊んだこと。少しでも会えばよかった。
私の時はコロナが出てくる前だったので、入院しても会いに行けました。今はそうではないと思うので、退院してる間は時間がある限り会いに行った方がいいと思います。退院したと安心してるとすぐに入院します。家にいる時間の方が短いと思います。

5年も経つとどんな声だったかな?と思う時があります。たくさん動画を撮ってて良かったと思ってます✨見るのは辛いですが…
15分だけの花見に最後行けたのがものすごく幸せでした。出かけることがこんなにも幸せなことなんだと思いました。今まだ買い物とか行けるくらいなら、今しか一緒に行けないと思います。
最後の方は、自分がどう後悔しないでいれるかを考えて行動してました💦
余命1ヶ月になった頃職場の上司にお願いして、看護休暇をいただき毎日病院に寝泊まりしてました…今もできるか分からないのですが💦

どんどん弱っていくのを見るのが辛いと思いますが、どんな状況でも生きていてくれてる間の方が幸せだったんだなと亡くなってから気付きました。辛いと思いますが、どうか今の時間を大切に過ごしてほしいなと思います😢

  • はじめてのママリ🔰

    はじめてのママリ🔰

    温かいメッセージありがとうございます🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️もう、私は気持ちがいっぱいいっぱいで、涙で文章が最後まで読めませんでした。落ち着いてから何度も読み返させていただきます。個人的なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございます🙇🏻‍♀️

    • 1月29日
  • ママリ

    ママリ

    他の方のコメントも読み、私も涙が止まりません😢💦
    はじめてのママリさんの今の状況のお気持ちも痛いほど分かります😣ものすごく辛いですよね…起きるたびにこれは現実なのかって💦
    運転中毎日泣いてました。
    辛い時はママリでたくさん投稿してくださいね😣気持ちを分かってくれる方が絶対コメントしてくれます。

    • 1月30日
しな

義父が末期癌で、11月に発覚、抗がん剤治療するも翌々年の3月に亡くなりました。
毎週末面会に行ったり会いに行ってました。
発覚後はまだ元気そうでしたが、頻繁に転ぶようになったものの歩けはしてました。
脳に転移してからが早く、LINEの文章もなんて打ちたいのかが分からないくらいぐちゃぐちゃ、お風呂入ってる時に意識を失い救急車で搬送、その後意識は戻るものの目は開くが手を握り返してくれたりしてたのがだんだん力が入らなくなり、植物人間状態。
目を開けたまま視線も定まらず、握り返してくれることも反応することも無くなり、結局2ヶ月で亡くなりました。

  • しな

    しな

    送信押してしまいました💦
    亡くなる直前は、もう夫も義母も憔悴しきってました。
    亡くなったらすぐ葬式の準備やらなにやら、義母が放棄したため喪主は主人。
    主人もキツくて私がメインになって打ち合わせや準備しました。
    葬式の最中は私も呼吸が出来ないくらい号泣してましたが…🥲

    主人はずっと、もっと元気な内にご飯に行けばよかった、歩けてる内にどこかに連れてってあげればよかった、喋れる内にたくさん喋ればよかった、と亡くなる前の2ヶ月はずっと泣いていました。
    なので、今喋れる状態であったり歩ける状態であれば、ぜひやりたいこととか聞いてなるべく叶えてあげてください。、

    主人は病院で勤務してて、ちょうどその頃癌の病棟を担当もしててかなり精神キツかったようで、いつも泣いてました。

    • 1月29日
のんびりママ

うちの父が肝臓がんで49歳で亡くなりました。
私自身はまだ高校生で、病名もずっと肝硬変だと思っていたら実はがんだったとお葬式のあとに聞きました💦
なので余命宣告があったかどうかもわかりませんが、覚えていることだけお伝えできればと思いコメント失礼致します。

父は亡くなる1年半くらい前までは働いていました。
薬はもうずっと何年も毎食後に何錠も飲んでいましたが、直前に増えたりとかはなかったように思います。
仕事を辞める数ヶ月前から仕事に行くのがつらい、仕事ができないくらい調子が悪い日が多い、職場に行っても横にならせてもらってることが多いと言うようになりました。
仕事を辞めて家にいるようになってからは少し元気になったような気がしましたが、ずっと体はつらかったようでよく寝ていることが多かったです。
最期はホスピスで迎えたのですが、入院する直前にはもう体中に水が溜まりやすくなっていて、性器までパンパンに膨れ上がって排尿が困難だと言っていました。
ホスピスに向かう日、私はいつも通り診察に行くんだと思っていたのですが、母が「もう行ったら帰ってこられへんかもしれへんねんで、ほんまに行くの?」と確認して、父が「もう限界や、しんどいねん、ごめんな」と言ってから私と弟には笑顔で「じゃあ行ってくるな」と言っていたのをよく覚えています。
ホスピスに入ってからはあっという間でした。
毎日学校帰りに電車とバスでお見舞いに行きましたが、日に日に弱っていく父を見るのは堪えるものがありました。
何が起こっているのか分からなくて、不安で泣いてしまったときに父が「泣かせてごめんなぁ」と一緒になって泣いてしまったことが1番つらかったです。
父の涙を見たのはあれが最初で最後でした。
その次の日にはもう意識不明の状態になって、東日本大震災の数日後旅立ちました。
なので私は今も東日本大震災の映像を見ると当時の父がいなくなる不安がフラッシュバックしてつらくなります。

悔いていることはいくつもあります。
もっと親孝行すればよかった、もっとお見舞いに行って話せばよかった、中でも父を泣かせてしまったことは今でも悔いてます。
それが最後の会話になると思ってなかったから、余計にそう思うのかもしれません。

元気なうちに動画を撮っておくといいかもしれません😊
私はもう10年以上経つので、父の声が思い出せなくなってきました。
表情とかは思い出せるのですが、声はなかなか難しいです。

今はまだ余命宣告に衝撃を受けてらっしゃると思いますが、どうか日々を大切に過ごしてほしいなと思います🍀
今日より元気な日はないんだな、と今なら私も思えます。
あとはもし大きいお子さんがいらっしゃるなら是非教えておいてあげてほしいです。
知らなかった方がもっとつらいです。後悔も多いです。
ママリさんが少しでも後悔なく見送れることを願っています✨
長文で失礼致しました。

deleted user

去年実父が癌で、看取りました。
癌の部位は違いますが、65歳以上で、ステージⅣ、転移あり。
医師の話に毎回同席していましたが、抗癌剤するかしないか、できるかできないかで余命が違っていて、抗癌剤しなければ半年〜1年、抗がん剤をしても5年生存率についてグラフを出されてお話が、最初ありました。

親御さんとのことですので、つらいかもしれませんが、抗癌剤ができるのかできないのか、できる段階の場合それで余命はどのくらい伸びるのか、抗癌剤ができない段階の場合緩和ケアは在宅でするのか入院にするのか、を聞いてみてはどうでしょうか(既に聞かれていましたらすみません…💦)

うちは抗癌剤ができない段階になってしまっていて、実際癌の診断から結果的に2ヶ月もせずに逝ってしまいました。進行がとても早い方だと医師も言っていました。

大腸癌と肝臓への転移でしたが、ご飯の量がだんだん食べれなくなって、おかゆでも量が減って行って、一日の殆どを眠って過ごし…
身体が乾燥して粉を拭き全身に強いかゆみ、足の浮腫、
が亡くなる1ヶ月前でした。

足はだんだん浮腫がひどくなり、浮腫みすぎて痛い&土踏まずもなくなるくらいむくんで歩くと転倒の危険、味覚障害で何食べても苦い、等が他界17日前くらいに出てました。その頃には食事をとると嘔吐するようになってました。その頃の医師による余命宣告は2ヶ月〜半年。
ここまで在宅で介護しました。
訪問看護(病院から紹介)は契約して、介護認定(市役所)は申請中でした。

訪問看護は、毎日〜紹介週に何回、とか契約内容に応じて有料で看護師さんが家にきて経過を見てくれます。必要ならすぐ医師に連絡してくれます。

お薬は処方されていましたが、その浮腫とか、吐き気とか、乾燥とか、味覚障害とか、治らないものってことを私は理解できていませんでした。

痛み止めを飲んでいても強い腹痛が出始め、訪問看護の方に相談→医師に取り次いでもらい受診→そのまま緩和ケア病棟へ入院になりました。
検査と、緩和ケアのお薬を見極めるためで、バランスが取れれば帰宅して在宅緩和ケアって方法もあると言う話で、訪問医の手配についても相談してました!
医療用麻薬の家での投薬方法も聞いたりしていましたが…
緩和ケアは、治すための治療というより、痛みとか、身のおきどころがない症状を緩和して穏やかに過ごせるようにする感じです。

結局そのまま余命2週間と言われ、食事や水分が全く取れなくなり、数日で意識も戻らなくなり余命2週間も持ちませんでした。

癌の最後はジェットコースターで、最後の曲がり角を曲がるとあとは急降下って話を意識を失う前日に聞かされました。

お話できるうちに、お家で過ごしたいのか、緩和ケア病棟へ入りたいのか等の今後のこと、
食べれるうちに食べたいものを聞いたり、
旅行かお出かけに行く体力があればご本人の希望があれば医師に相談した上で行く、
生きて動いて話している動画を撮ったり写真を撮る、
ご兄弟がご存命でしたら連絡をどうするかや会える内に会いたい人、保険関係の引き継ぎ(特にWEB資産や証券系は手続きが面倒だったりするので聞いておく)、
気恥ずかしくても、感謝の気持ちを伝えたり思い出話をする

などを、
つらくてもされておくといいかなと思います。
1日1日穏やかな時間が流れますように。