
【死産について】私は臨月で第一子だった息子を2ヶ月前に常位胎盤早期剥…
【死産について】
私は臨月で第一子だった息子を2ヶ月前に常位胎盤早期剥離で亡くしてしまいました。
毎日生きているのが辛いです。
今は、赤ちゃんを見ると悲しくなり、妊娠中通っていた場所やお店など、とにかく人に会うのも連絡がくるのも全部が怖いです。
周りの友達や、インスタで見ていた同じ時期に妊娠していた方も次々と赤ちゃんが産まれていて、見なければいいのに見てしまって悲しい気持ちになってしまいます。
わたしは安定期を過ぎたあたりに赤ちゃんがファロー四微症という病気の診断をされました。
その時も頭が真っ白になり、いろんなことを検索してしまって、嫌なことを考えるようになり、妊娠していることや出産することが本当に怖くなり、全てが嫌になってしまいました。
本当にこんなママでごめんねと死産してしまった息子に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。
わたしの気持ちが息子に伝わってしまってたくさんストレスを与えてしまっていたのかなと本当に全てが後悔しかないです。
死産してしまった臨月の日もずっとカチカチにお腹が痛く、頭痛もすごかったのに、これが後期陣痛なのかなと思いずっと我慢してしまいました。
結果、嘔吐と出血してしまい救急車で運ばれてその時点で息子の心臓は止まっていました。
わたしのせいだ、あの時すぐに病院にいっていればと。
赤ちゃんにはファローという病気もあり、それを考えるとお腹の中でどんなに苦しかったのかと、本当に悲しい気持ちになります。
2ヶ月経った今も、毎日悪夢を見ます。
友達から出産できた?と聞かれる夢や、周りの友達の妊娠報告を受ける夢など、誰かに酷いことを言われる夢
毎日そんな悪夢を見ます。
生きてることが本当に嫌になってしまいます。
そして毎日なんで自分だけと。
でも、死産後に自分だけじゃないことを知りました。
同じ経験をされた方、そして何度も死産や流産を経験している方、出産後すぐにお子さんを亡くしてしまった方、こんなにも辛い思いをしている人がたくさんいることを知りました。
また、わたしは息子にたくさんのことを教えてもらいました。
1番は家族の大切さです。
出産や入院中は旦那と母親が私のことを常に支えてくれました。寝る時間も削って毎日私と息子に会いにきてくれました。
母は息子のために私が昔来ていたお洋服で帽子をたくさん作ってくれました。
お洋服やお人形を買ってきてくれたり、母は全力で私の息子に愛を注いでくれました。今も変わらず絵本やおもちゃを買ってきてくれたり、かわいいお花を買ってきてくれます。
家族みんな、息子のために手紙を書いてくれて、息子に会いにきてくれました。本当に感謝しています。
退院後は実家に帰っていたのですが、旦那がお仕事もあり疲れているのに、1時間かけて毎日私に会いにきてくれました。息子と過ごした最後の夜に、旦那は息子を一緒に抱きながら「かわいい息子と妻といれて俺は本当に幸せだよ」と言ってくれました。
私が息子の靴下で作った遺骨のキーホルダーを毎日首にぶら下げて大切にしてくれています。
妊娠中は、旦那を全然大切にできていませんでした。
大喧嘩ばかりで常に離婚の話ばかりでした。
わたしたちの関係を修復してくれたのも息子でした。
きっと今のわたしたちならまた息子も戻ってきたいと思ってくれると信じています。
今は、入院中に悪化した腎臓の経過観察もあり、妊活の許可はおりてません。
妊娠中に子宮頚がんの検査にひっかかり、風疹の抗体も低くかったので、自分の体を万全な状態にしてから妊活を考えたいと思ってます。
正直また妊娠するのは怖いです。
でも、次は絶対に無事出産して赤ちゃんの泣き声を聞きたい。
わたしの手を強く握ってもらいたい。
たくさん叶えたいことがあります。
前を向いて頑張ろうと思います。
長くなってしまいすみません。
書くことで少し気持ちが楽になるような気がします。
この文章を最後まで読んでくださった方がいましたらありがとうございます。
同じような経験をされた方、お話しできたら幸いです。
- 水色
コメント

はじめてのママリ🔰
はじめまして。
私は生まれたその日に第一子の息子を亡くしています。
読んでいて水色さんの苦しい、辛い気持ちが痛いほど伝わってきました。
私の亡くなった息子は18週で胎児水腫という病気が見つかり、その後妊娠中に何度も入退院を繰り返し、お腹の中にいるうちにできるシャント術というものを行ったりと、病気の状態が少しでも良くなるように信じていました。
私自身もミラー症候群になってしまい、30週でこれ以上の妊娠継続は母体の危険になってしまうとの判断で出産しました。
産声のない、仮死状態での出産でした。
その後すぐに亡くなっています。
私の経験は数年前のことです。
そんなに前のことを…と思わせてしまったらすみません。
時間は経ちますが、今でも悲しみや後悔は消えません。
子どもを亡くしたことを知っている人たちはもう忘れているかもしれないし、そんなに前のことをいつまでも引きずって…と思われるのも怖く、周りにこの気持ちを吐き出せません。
水色さんと同じく、病気が分かった時、言葉では表せないほど悲しくて涙が止まらなかったです。
その時の気持ちは今でも鮮明に覚えています。
街中の妊婦さんや赤ちゃんを見るのも辛かったです。
私自身の話が長くなってしまいすみません。
私はネット上で同じ経験をされた方たちと繋がり、お話することで凄く救われました。
その時の繋がりがなければ、今の自分が無いと思えるくらい、支えでした。
数年前のことですが、今でも連絡をとっている方もいます。
2ヶ月前に出産されたばかりの水色さんの体調が心配です。
こんなママでごめんね、なんて思わないでください。
水色さんが息子さんのことを大事に思っていることは私にもすごく伝わってきたので、息子さんにも伝わっています!
長くなってしまいすみません。
コメントせずにはいられませんでした。

みやちゃん
私も臨月で死産を経験していて、私の場合は原因不明でした。
痛みもなくいつも通り検診に行ったら心臓が動いてないと言われました。
水色さんが今感じていらっしゃる、恐怖悲しみ辛さ、全部あの時の自分と同じで思わずコメントをしてしまいました。
生きてる方が辛いんじゃないかと思ったのはあの時がはじめてでしたし、なんで自分だけども何度も思いました。
そんな中でも水色さんは感謝を見つけられてすごいですね✨
家族にも旦那さんにも感謝できているのが本当に素晴らしいです。
今は終わりのないトンネルの中にいるような気持ちになる時もあるかもしれませんが水色さんが望むのであればまた赤ちゃんに会える未来が待ってます。
私もその後出産してます✨
私でよければなんでもお話ししてください😌
-
水色
お返事いただきありがとうございます。
いつも通りに検診に行って心臓が動いてるいないと言われたことを考えると本当に胸が苦しいです。
わたしも、救急車で運ばれて先生に赤ちゃんは大丈夫ですか?生きてますよね?って泣きながら聞いた時に「赤ちゃんはもう亡くなってしまっていて、お母さんの命が危ないから別の病院に搬送するね」と言われたときの絶望感を忘れません。
ほんと、いまは生きてるのが辛いです。
ぺたんこになったお腹を見るの辛い、妊娠していたときの写真を見るのも辛い。
たくさん撮った息子の写真を見るのも避けてしまいます。
今はもうなにもかもつらいです。
周りから気を使われているのもすごく辛くなります。
希望のある言葉をかけていただけて嬉しいです、ありがとうございます。
みやちゃんさん、無事出産されていて本当によかったです😊
わたしも絶対にまた赤ちゃんに会いたいです。
みやちゃんさんは死産後、どのくらいの期間をあけてから妊娠されましたか?
不毛症の検査はしましたか?
今はママリでしか話すことができないので、なんでもお話ししてくださいと言ってくださり、嬉しいです。ありがとうございます。- 32分前
水色
お返事いただきありがとうございます。
毎日朝まで眠れず、旦那が寝た後は夜に1人で色んなことを振り返ってしまい、また今日もこの時間になってしまいました。そんな中、こんなにも早くお返事をいただけて嬉しかったです。
きっとわたしの文章で辛い気持ちを思い出させてしまったはずなのに、お話ししてくださりありがとうございます。
ままさんは、すごく辛い思いの中、妊娠中も息子さんのために一生懸命尽くしてあげていたことが伝わります。
息子さんにとって自慢のままさんです。
息子さんはままさんがお母さんで絶対に幸せでしたよ。
わたしも息子の病気がわかった時は、産婦人科の外で涙がポロポロできて、旦那を呼んで先生の話しを聞いた時は、呼吸ができなくなるくらい泣きました。
その時も家族に伝えるのが怖くて、母に連絡したときに、すでに名前を決めていたので、「〇〇くんに会えるのばあばは本当に楽しみだよ。なにがあっても一緒に頑張ろうね」と長文のLINEをくれて、それから毎日励ましてくれました。
父も心配して仕事帰りにわざわざマンションまできてくれて、絶対に大丈夫だよ!って励ましてくれました。
病気のことは友達誰1人にも話せませんでした。
まさかその3ヶ月後に死産になるなんて思ってもいませんでした。
わたしが救急車で運ばれたとき、死産というのを聞かされた時、家族の気持ちを考えると申し訳なさで胸が張り裂けそうになります。
出産している最中、わたしは「赤ちゃんはもう亡くなっているのに、どうしてこんなに痛い陣痛に耐えなきゃいけないの、わたしも一緒に死なせてお願い」と旦那や母や看護師さんたちにずっと叫んでいました。
あの時、母が「〇〇くん産んであげないと楽になれないよ、だからままが頑張って産んであげないとだめだよ」といって手を握ってくれていました。母がマスク越しに涙を必死に堪えている顔が今でも頭に浮かびます。
本当に悲しい思いをさせてしまったなと、酷いことを母に言ってしまったなと後悔しています。
毎日、ミルクを作って亡くなった息子にあげていますが作る作業も悲しく、ミルク缶を買うことも哺乳瓶を洗っているときも悲しい気持ちにおそわれます。
そんなに前のこと...をなんて思いもしませんよ。
どんなに時間がたっても我が子を亡くしてしまった気持ちは変わりません。
わたしの体調まで心配してくださり本当にありがとうございます。
優しさに救われました。
ままさんはその後、次の妊娠を考えたりできましたか?
現在のままさんの状況も知らないのにこんな質問してしまいすみません。
わたしは息子の出産の際、胎盤早期剥離で大量の出血量で、大量の輸血をしながら、お母さんの命も危険ですと言われながら出産をしましたが、息子の顔見た瞬間の幸せを今でも忘れられません。また赤ちゃんを産みたいなと思ってしまいます。
でも怖いんです。
病気のこと、死産のことなにもかもがトラウマで、自分の体も問題もあり、次妊娠できるかもわからず、、不安で仕方がないです。
少しでもお話し聞けば嬉しいです。
長くなってしまいすみません。
優しいお返事、本当にありがとうございました。