母が癌で余命宣告を受け、家族での介護が必要。医療関係者や同じ経験の方のアドバイスを求めています。
できれば至急でたくさんの方のご意見を聞きたいです。
母が癌で闘病中のため、いつもこちらで悩み相談等でお世話になってます。ありがとうございます。
このたび突然、状況がガラッと変わり、余命宣告を受けました。
先週までは治療法もあり状況も今までとそんなに変わらずだったのですが、今週までの検査結果によるものか担当医の意見が変わり、抗がん剤もできない状態、手術も不可、余生をどう過ごすかについての話に変わりました。
正直、頭では理解していても心が追いつかず、母も姉も落胆しております。
今後は自宅で訪問看護やヘルパーさんに来てもらいながら、私と姉が交代で母の世話をする流れになりました。
母が自宅で私達と過ごしたいと言ってるので、少しでも長く母と一緒に過ごすつもりです。
でも今は何も考えたくない、でも考えなきゃ。という気持ちで自分でも自分がわからないです。
母を失うのが怖いです。
急に状況が変わったからか、いつも明るくて優しい担当医の先生、看護師さん達も焦燥しきってる様子で、こういう状況初めてで、改めて深刻な状況だと思い知りました。
明日から仕事行けるかな。仕事してる場合なのかな。でも母の世話をするにあたってお金が要るし。
私、息子にうまく笑えるかな。
小1の息子には話すべきでしょうか。
おばあちゃん大好きな子なんです。
今もおばあちゃんが元気になったら一緒にやりたいこと、行きたい場所を紙に書いてます。
また、母は原因不明の発熱のせいで抗がん剤や手術ができず、治療法がない状態なのですが、点滴の抗生剤もあまり効かなくて、でも退院して飲み薬の抗生剤を飲む予定ですが、そうすると敗血症のリスクもあると担当医は言います。
癌も苦しい病ですが、敗血症もすごく苦しみながら亡くなるイメージがあり、担当医も怖い病気だと言ってて、絶対、敗血症にはなってほしくないんです。
もう母を苦しめるものが増えてほしくないです。
後悔しないように出来ることをやる。しか無いですが、その言葉が今の自分にはとてもつらいです。
後悔とかそういう次元ではなく、母に逝かないでほしいです。悲しい。
結局なにが聞きたいのかわからなくなりましたが、同じような経験をされた方や、医療従事者の方々、このような状況をどう乗り越えましたか。
思い出すのもつらいような内容をお聞きしてすみません。
- 。(6歳)
ママリ
お辛い状況ですね。
私は去年父をガンで亡くしました。
父の場合発覚時にはすでにステージ4だったので今思うと望みの薄い闘病生活でしたが、それでもステージ4から寛解した方の話を調べたり、とにかく父を亡くしたくないと毎日のように泣いていました。
息子さんに話す事を悩まれているとの事ですが私だったらまだ伝えないかなぁと思います。
敗血症の事も怖いですね。
お母様の希望に沿ったベストなケアができる事が最善だとは思いますが家族としては出来る事全てやって欲しいと、私は当時父の治療に関してそう思っていました。
今思うともっと少しでも多く一緒にいてあげたら良かったと思っています。
質問者様も今とても辛いと思いますが休める時に少しでも休んでくださいね。
爽快
私の母も癌でした。
抗がん剤ができず敗血症の恐れもあるとのことで少し状況は違いますが、
ステージ4で、ご飯が食べれないほど胃がんが巨大化していました。
兄がどうしても奇跡を起こしたく、ご飯を食べるための抗がん剤治療と民間療法の併用を行いましたが一時的に癌は縮小し落ちついた生活をしばらくは遅れましたが、すぐに再発。
母の意向で抗がん剤治療は中止。
数ヶ月後には痩せ細り、また食事がとれず悲惨な状態までいきました。
それでも民間療法を探し出しては母に勧める兄に母は
(いい加減にしてほしい。いつ死んでもいい)と私に発狂していました。
最後に痛みで苦しむ母へのモルヒネ投与を兄がギリギリまで(医者から金儲けの為に殺されるという考えに洗脳されていたので)渋り母は獣のような奇声と悲鳴をあげる結果になりました。かわいそうでした。
主治医も兄に頭を抱えてらっしゃいました。
最終的には母が早く死なせてほしいとモルヒネをうち、大好きな主治医にお礼を言い幸せそうに眠りにつきました。
私も母の余命宣告を聞いた時はしばらく泣き腫らす毎日。
それから母を亡くす恐怖に一年半怯えた毎日でした。
亡くなった後よりも
最初が一番きつかった気がしますので、お気持ちお察しします。
兄は今更ながら緩和治療にしてあげたら良かったと後悔しております。
最初は難しいと思いますが、できるだけ主治医の意見を聞きお母様がどうされたいかを徐々に汲みとられ沢山思い出作りをすることが一番だと思います。
アクアマリン
今年3月に母を肺がんの脳転移で亡くしました。私自身、結婚前は緩和ケア病棟を担当する薬剤師で、そこの緩和ケア病棟でお世話になりました。私の母は比較的穏やかに、最期は眠ってるときにそのまま息を引き取ったので苦痛はありませんでした。今まで仕事でたくさんのがん患者さんを診てきましたが最期を自宅で迎えるのは介護する側が相当覚悟を持たないと大変だなと思います。目の前で急変した時に、自然のまま逝かせる予定が慌てて救急車呼んで、結局心臓マッサージなどの救命措置しながら搬送されて亡くなったりするからです。投稿主さまはお子様がいるので、育児や家事との両立も出来るのかという点も気になります。お母様とはまだお話できる状況ですか?お母様はきっとお家で最期を迎えたいとは思います。うちの母も退院したいとずっと言ってました。ですが、私は実家から車で2時間の距離で次女を出産して間もなかったですし、妹も車で1時間の距離で幼い子供2人いるし、父は身体が不自由でどう考えても自宅は無理だったので、緩和ケア病棟でお世話になりました。お母様、お姉さま、投稿主さまでよく話し合ってください。どうしても自宅で看取りたいならしっかり緩和ケアの知識がある訪問診療と訪問看護を選ぶ必要があると思います。それが無理そうなら緩和ケア病棟でお世話になるのがいいと思います。緩和ケア病棟を自宅の環境にするというか、病院だけど頻繁にお見舞いに行ってあげるとか、お気に入りのものを持ち込むとか、好きなものを食べさせるとかしてみるのもいいと思います。何よりずっと看護師さんがいるので安心感は大きいです。
あと、お子さんに伝えるかどうかですが、うちは病気が分かったときから長女には伝えてました。病気が分かった時はまだ3歳…ですがだんだん分かってきて、今年に入って状況が変わって来て面会してるうちに徐々に長女は何かを感じ取ってて、私も「もうすぐお星さまになるかも」とは伝えてました。亡くなったことを伝えたときも「ばぁばがお星さまになった」と号泣しましたが、納棺やお通夜、お葬式、納骨すべて説明しながら同席しました。お花を棺に納める時は「ばぁばが好きなお花いっぱいだよ」と話しかけ、棺を閉めたときは「ばぁばー!」と泣き叫びました。今でも星空見て「ばぁばがいた!」とか思い出話をたくさんするので、私は話してよかったと思ってます。意外と子供は色々と感じ取りますよ。
長文失礼しました。
。
返信が遅くなりすみません。
みなさんの経験談を参考にしながら母を最後まで支えていこうと思います。
皆さん親身になってコメントして頂きありがとうございました。
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