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はじめてのママリ🔰
ココロ・悩み

子供が大きくなってきた今、泣いてしまう。子供の手が離れる寂しさを感じる。昔の自分と今の自分の違いに気づき、子育ての大変さと喜びを感じる。毎日の日常が特別であることに気付く。子供と過ごす時間の尊さを痛感する。

LICOさんとおっしゃる方のブログに掲載されていたこの詩をみるたびに、子供が大きくなってきた今、泣いてしまいます。

子供の手が離れた方(こちらのサイトは絶賛子育て中の方ばかりだと思うのですが、、)どのような気持ちなのでしょうか?
仕事、子育て、家事、と毎日大変ですが、子供の手が離れることに寂しさも感じています。


独身の頃


ヒールの靴が好きだった
お酒は苦手だったけれど友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった

好きな音楽はミスチルでいつもウォークマンに入れて好きな時に聴いていた
電車の中でゆっくり本を読むのも好きだった

お風呂では半身浴をして
美容院には2ヶ月に1回は必ず行っていた

お化粧するのも好きだった
1人で行く映画館が好きだった

流行りの雑誌を買い
流行りの曲を聴き
流行りの服を着て
流行りの場所へ好きな時に出かけた。




そんな私は 今


泥だらけのスニーカーを履き

子どもたちの着替えやオムツが入った大きなバックを肩にかけ

ちゃんとした化粧もせずに

髪を一つにくくり

毎日
子どもたちの手を繋いで公園へ散歩に行っている。



聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。


眺めているのはファッション雑誌から
子どもの母子手帳や幼稚園からの手紙に変わった。


考えていることは
今日の夕飯のメニューと
長女が幼稚園から帰ってきたあとのおやつ、お風呂、夕飯の流れの確認。

今日の天気で洗濯物が乾くかどうかと
明日の長女の遠足が晴れるかどうか。

最近眠くなると激しくぐずる長男を昨日つい怒ってしまったから
今日は早く寝かせてあげよう。
今日は怒らないでおやすみをしよう。


そんなこと。





毎日 押し流されるように迫ってくる日常があるから

キレイに片付いた部屋も

大の字で朝まで眠れる夜も
ゆっくり塗れるマスカラも

なんだかもう思い出せない。



そう。


思い出せないから


私たちは つい 忘れてしまうのだ。



この毎日が

ずっと続かないということを。






1人でゆっくりお風呂に入れるようになったら


湯船の中 あなたと向き合い数を数え

柔らかく響いたあなたの声を


私は思い出すのでしょう





1人で好きなだけ寝返りをうち眠れるようになったら


どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを

私は探すのでしょう




好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったら


この部屋の中に溢れていたあなたの笑い声を思い出して

私は泣くのでしょう





好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら


私の洋服をひっぱり
膝の上によじ登り
私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して

私は泣くのでしょう





好きなだけヒールが履けるようになったら


笑い転げるあなたを追いかけて走り回り
泥だらけになって遊んだあの空を思い出して

私は泣くのでしょう





自分とパパの洗濯物だけを回す日々が訪れたら


砂まみれの靴下も
おしっこを失敗したズボンも
牛乳をひっくり返したシャツも

洗濯カゴにないことを知って


私は泣くのでしょう




あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら


粉々になったビスケットの食べこぼしも
小さなおもちゃの部品も
あなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り


私は泣くのでしょう




1人で好きなことを
好きな時に
好きなだけ出来るようになったら


どんな時も「ママ」「ママ」と私を呼び

どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して


私は泣くのでしょう





一体いつまであるのかな


一体 いつまでここにいてくれるのかな




そして

そんなことを考えているうちに



また 今日も終わってしまった。






私たちの日常は「子どもが側にいる『今』」だから

子どもから離れて1人になれた瞬間が特別に感じて

好きなことを堪能できる喜びを噛み締めるけれど




でも 自分の人生を考えてみたら


特別なのは


本当は 子どもが側に生きているこの毎日の方。




でも 私たちはそれを忘れてしまう。



なんだか ずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど



大変に思えるこの毎日に

数えきれない 愛しい が散りばめられていることを

私たちは いつか知るのです。




子どもたちが

この世に生まれてから今日まで

ママとパパのために
全身を力いっぱい使って思い出を撒き散らしてくれていたことに

私たちは 過ぎてから気付くのです。




ママの毎日は

ママでいられる毎日です。



私たちは この命が尽きるまで

どんなに子どもと離れていても子どもを思い、心配し、愛し続ける 子どもたちの母親だけれど


でも 子どもたちの側で『ママ』でいられることの出来る日の

なんて短いことかを


いつか思い知るのでしょう。





今日もあなたは

屈託のない笑顔で振り向き

「ママ!」と言って

両手を広げて こちらに飛び込んでくる。




忘れるものか。


絶対に。

絶対に。



あなたの前髪を切り過ぎて笑った昨日を。

あなたを怒って自分に涙が出た今日を。

あなたの寝相に笑った夜を。

あなたが摘んでくれたシロツメクサの白さを。


あなたに許された私を。

あなたがいてくれるこの毎日を。



私は 絶対に忘れない。




コメント

ぺこ

長男が25歳になりました。
19歳年がはなれている5歳の娘がいるので今はまだバタバタした毎日をおくっていますが、
娘がいなかったら正直私はどうなっていただろうと思います。
長男が学生のうちはまだ仕送りをしないとと、仕事に夢中でした。
ところが、自立したとたんなんだかホッとしたと共にボーッとしてしまい……
手持ち無沙汰と言うのか……

長男はシングルで育てたため、私自身何もかも余裕がなく、
戻れるなら戻ってもう一度ゆっくり育てたいです。
わからない事だらけ、孤独で辛くて沢山泣きました。
だけど、思い出してみれば一緒に笑っていた事、可愛かった思い出ばかり思い出すんです。
あんなになりふり構わず身も心もズタボロだったはずなのに、
すごく輝いた記憶なんですよ。
人生のハイライトとさえ思います。
それだけ、本当に貴重で素晴らしい時間です。

自分の命と引き換えにしても良いくらい大切な存在は、多分後にも先にも我が子以外いません。
そして、これ程自分を必要とし無条件に愛してくれる存在も他にいません。

SNSで見るような、キラキラしたママは程遠い……なんて嘆いているママ達をこのママリでも沢山見かけますが、
どうか気付いて欲しいです。
どんな服装でも、どんな髪型でも、どんなに悩んだり疲れた顔をしていようと、
しっかり我が子を守っている証です。
それがどれだけ素晴らしい事か、どれほどキラキラ輝いているか。

子供が幼く大変な時期は、人生平均して80年あるうちのほんの数年です。
その僅かな数年を子供に尽くしたって、なんにも惜しくないです。
なにせその数年が、人生のハイライトですから☺️

はじめてのママリ🔰

今5歳と8歳の子供がいます。
こちらの詩、ほんと切なくなりますね😭昨日も早く子供を寝かせたくて頑張ってだけど子供が全然動いてくれずイライラ、ママが怒り子供が泣き、もう子育て向いてないかもとまで思ってしまってましたが…いつか子育てに終わりが来る、ということに改めて気づけました。
子供が小学生になり、だんだん手がかからなくなってきていて寂しく感じていたのですが、今の時間を大切にしたいと思いなおさせてくれる詩ですね😌

ままりん

たまたまこちらに辿り着いたのでコメント失礼致します。

この詩はママになって何度か目にしたことがあります。
毎回じーんときます。

先程も、息子達に怒鳴り泣かせてしまい眠りについたところです。

仕事で疲れお迎えに行っても中々帰らず、家の駐車場に着いても自宅までほんの少しの距離ですが中々帰らず。

ご飯を作る間抱っこ抱っこと泣かれ。

喧嘩した数分後にまた喧嘩

仕事と子育てと家事に疲れ、イライラし子どもに当たって怒鳴って泣かせてしまう
後からすごい後悔

自分子育て向いてないんだー
なんでもっと優しくできんないだろう
1人になりたい

でも、今しかない
子育てが終わって気付くこの貴重な時間
一日一瞬を大切に噛み締めて過ごしていきたいと改めて思わせてもらいました。

明日は優しくしよう!
その繰り返しですが、少しでも子ども達と笑い合って、優しく可愛いママでいられるように

後悔のない日々を過ごしていきたいと思います。