他人の幸せを喜べない理由は、子供の障害に対する受け入れと向き合い方が辛いから。自己肯定感も低く、羨望や嫉妬が複雑な感情を引き起こしている。
ひとの幸せを喜べません。自分が出口のないトンネルの中にいるみたいでしんどいからだと思うのですが、身内の吉報ですら喜べなくて、嫌な自分ばかりが見えてしまって辛いです。
昔はこうではなかったと思います。自分の人生が平凡でもそれなりに順調だったので、他人の幸せも喜べていましたし、自分と人を切り離せていたと思います。
今は全然だめです。ひとの幸せな話を聞くと辛くなって、羨ましいし妬ましいし、そういう自分と向き合うのが苦しいです。
身内や近しい人の場合、完全に距離を置くこともできないので見ないわけにもいかず、直視せざるを得ないことも多いです。
こんなふうになったのは、子どもの障害が分かってからです。多分、まだまだうまく受け入れられていないのに現実では対応していかなくてはいけなくて、療育とか面談とか進路とか、毎日いっぱいいっぱいだからだと思います。
子供が複数欲しかったのに、障害により叶わなくなったことも多分まだまだ受け入れられてません。直視したくなくて、考えないようにしています。
私自身とは全く無関係なところで、いつもペコペコして、ご迷惑おかけしますお願いしますって頭を下げ続けて、自己肯定感も完全に下がりきっています。障害の子を育てるまで、福祉や支援制度など使ったこともなかったし、バリバリ働いて納税して、結婚して共働きして出産して、そういう流れで公的支援や他人のお世話になることもそれほどなかったし、大きな迷惑をかけることも多分あまりなかったと思います。
子供は対人面や衝動性の障害なので、コミュニケーションなどにおいて人に迷惑をかけやすく、大人の手助けがないと健全な集団生活を送れず、なにかと頭を下げては予防策を講じて、環境調整をして、本人の成長を促して、の繰り返しです。
そういうことに本当はすごく落ちこんでいるし、汚い感情もたくさんもっているのに、子供はこの世の何よりも愛している、という矛盾を抱えていて、このあたりは何年経っても消化できません。
人から憐れまれたくなくて、綺麗事を言われたくもなくて、表向きは何ともないふりをして、身内にも子供の障害診断や支援学級にいることをほとんど話せていません(身体障害のように少し見たり接しただけでは分からない障害なので、言わなくても過ごせてしまいます)。
本当は障害のない子育ての話、兄弟の話、どころか人の妊娠や結婚ですら羨んで、まったく祝福できず、聞きたくない聞きたくないって黒い感情が渦巻く始末です。普通のなんでもない幸せが羨ましい。私もそうなりたかった。そういう気持ちしかありません。
もう何年もこんな感じで、全然気持ちが安定しなくて、自分が嫌になります。診断されたばかりならまだしも、一体どれだけ受け止められないのか…ひとの吉報が届くたびに祝福できない自分と対峙することに疲れました。
- はじめてのママリ🔰
はじめてのママリ🔰
自分と人を切り離せないと書いてありますが、言い方が難しいんですけど、私には「人の幸せだからって、自分も幸せになれる訳じゃない」って分かってると感じました。だから、他人が幸せに見えると辛くなるんだと思います。
それも、自分と人をちゃんと切り離せてることになると思います。
出来てると思いますよ!
他人の幸せ、喜ばないといけないんでしょうか?
私は無理して喜ばなくてもいいと思ってます。
多分、いまは他人の幸せを喜ぶより自分の心を守る方が大切な時間なんだと思います。
それでいいんだと思います。
祝福できない自分を攻める必要はなくて、でも一応人付き合いもあるので、口だけ「おめでとう〜」っていえばいいと思います。
だって、相手は自分が実際何考えてるかなんてわからないですし、、、。
って、私は思いました!
ママリ
自分のことでも精一杯なのに、人のことまで思いやろうと無理しなくていいような気がします。
私も母親早くに亡くなりヤングケアラーになって妹の借金を返したり周りが楽しんでるとき1人で孤独で前が見えなかったとき、人がうらやましくて電車で突然泣いたり不安定で精神科に通いだしました。カウンセリング市の無料のとかもありますし、自分の幸せだけを考えれるようにゆっくりゆっくり自分を大事にしてほしいなと思ってしまいます。
自己嫌悪する気持ちもわかるのですが、やはり自分が大事だと思います。
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