19週で後期流産が決まり、手術が来週です。同じ経験をした方のお話を聞きたいです。お別れの準備について教えてください。
19週で後期流産となりました。
来週手術の予定です。
辛くて悲しくてふとした時に涙が止まらなくなります。
同じような経験をされた方とお話したいです。
お別れまで時間がないので
準備をしておきたいのですが
お別れの時にどのような物を準備したのか教えて頂きたいです。
- はじめてのママリ🔰(3歳11ヶ月, 3歳11ヶ月, 6歳)
コメント
ママリ【・∀・】
お辛いですよね、お気持ちお察し致します。
私も一人目の子を19週で亡くしました。
私はもともと高位破水からの切迫で入院していたので、すぐに促進剤に切り替えて出産しました。
翌々日に退院→そのまま火葬だったので、主人に頼んで
・可愛いスタイ
・おもちゃ
・ベビー用のお菓子
を買ってきてもらい、私達からの手紙と一緒に棺に入れました。
産院からは小さなニット帽をいただいたのでそれもかぶせてオシャレさせて、スタッフの皆さんからの折り紙の鶴も隙間にたくさんいれました。
お空に行ってもお腹を空かさないように、寂しくないように、との想いでした。
私もしばらくは思い出しては泣いてましたよ。
主人に隠れてお風呂でこっそり泣いたこともあります(バレてましたが)。
少し落ちついて友達と会ったり、テレビをみて笑ったりと楽しい時間を過ごしてもふとした時に思い出してまた一人で泣いたり。
もう本当に『時間が解決する』しかなかったです…。
本当に本当にお辛いと思います。
お子さんがいらっしゃるのでそうもいかないかもしれませんが、たくさん泣いて、ご主人に甘えられたらいいですね。
双子ちゃんのご冥福と、はじめてのママリ🔰さんご家族のご多幸をお祈り致します。
ゆん
周期も近く双子ちゃん
だったんですか…??
自分に似たようなママさんだったので
コメントさせて頂きました。
お気持ちお察しします。
なにか前兆のようなものは
あったのでしょうか…
答えになってなくてごめんなさい。
今はとにかく気を確かに持って
赤ちゃんの為に過ごして下さい。
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はじめてのママリ🔰
多分、双子妊娠のことで前にコメントでやり取りをしたことがあるかもしれません。
16週から出血があり
鮮血で量も多くて自宅安静中でした。
ご飯、トイレ、シャワー、上の子の最低限のお世話以外はずっと横になっていましたが
張り止めを飲んでもお腹が張ることが多かったです。
19週に入ってすぐに
レバーのような血の塊が出てきて、そこから血の塊が何度か出ました。
血の塊が出てすぐに夜中でしたが受診したら
いつもと違う先生でエコーしたら「羊水が少なすぎる」と言われました。
羊水が少ないことは担当医からも言われていましたが「双子なので気にすることはない」とずっと言われていました。
結局、担当医に診てもらったところやはり羊水が少なく
破水したかもしれないとのことでした。
出血がずっとあったので
出血とともに少しずつ出ていて気づかなかったんだと思います。
病院には最初から少し疑問に思う点があり、午後に他の病院でセカンドオピニオンを受けましたがやはり診断結果は変わりませんでした。
羊水はほとんど残っていないにも関わらず
赤ちゃんは二人とも心臓が動いていて、胎動もたまに感じます。
それが逆に悲しくて苦しいです。
上の子がいるので
上の子と一緒に過ごしている時は笑えるしいつもと同じように過ごせます。
ただ一人になると辛くて…
楽しい時と辛い時が別の人格のような…
まだ気持ちの整理ができないです。- 12月15日
まろまろ
似た経験をした者です。
4年前に、19週で130gの娘を亡くしました。母体が妊娠に耐えられなくなり、人工死産の選択肢しかなくなった結果でした。
娘は、病院で同じ経験をされた方がボランティアで作ってくださった服を着せていただけました。何も無ければ、可愛いハンカチで…と思ってました。
木棺には、お花いっぱいにし、お菓子や手紙、折り紙も入れました。看護師さんが母乳も絞り出してくださり、綿棒に染み込ませて入れました。
最後に棺に入った娘と、親子で写真をとりました。何とか笑顔で…と皆ひどい顔…。色々な考えはあると思いますが、今では大事な大事な写真です。
遺骨は、小さく細いながらも残りました。施設の方が、風で飛ばされないように、慎重に火力を調節してくださったようです。小さな骨壺を買い、今はまだ手元供養です。自分と一緒に…と思って仏壇に置いています。
時を経てもなお涙することはありますが、それでも時間とともに徐々に穏やかな悲しみに落ち着き、今では、自分が最期を迎えるまで待っててね、なんて考えたりできます。ネットで同じ経験をされた方と、こんなふうに共有できたことも大きかったと思います。本当に助けていただきました。
今はとても苦しいと思います。自分を責めたり涙が止まらないこともあると思います。たくさん泣いたり、ネットで同じ経験をしている方と共有したり……少しでも気持ちが落ち着く時間がもてますように…。
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はじめてのママリ🔰
コメントありがとうございます。
お辛い経験だったのに詳しくお話してくださりありがとうございます。
とても寒くなってきたので
服か肌着がないと寒いだろうなと思い、病院に確認したら
布団があるとは言われましたが裸のままだと寒いかもしれないのでガーゼで簡単な肌着を作ろうかなと思っています。
今日病院に電話したときに母乳の話を聞き
私も母乳が出たらガーゼに染み込ませて一緒にいれてあげたいと思っていました。
つわりが酷くて、ほぼ食べていないので出るか分かりませんが…
写真は娘さんの顔が写るように撮りましたか?
火葬後に後悔したくないので写真をたくさん撮ったり足形手形が取れるなら取りたいと思っています。
でも分娩後に辛すぎて直接見れなかったり写真を撮りたいという気持ちが変わってしまったらどうしようという気持ちがあります。
火葬は市でやっている所にしようかな…と思っているのですが、こちらから火力の調整などお願いできるのでしょうか?
私か夫どちらか先に亡くなった方と一緒に…と思っています。
水子供養などはされましたか?
たくさん泣いて頭が痛くなり吐いて、少し落ち着いたと思ったらまた涙が止まらなくなることがあります。
本当に時が癒してくれるのを待つしかないなと実感しています。
後悔する所がたくさんあります。
三つ子だったのを母体が原因で諦めなければならず
一人減胎手術を受けました。
その手術が原因だったのか。
それともつわりで全然飲んだり食べたり出来ずにどんどん痩せていき栄養がいかなかったのか。
風邪を引いてしまい激しい咳が止まらなくなりました。
その直後に出血したので風邪がいけなかったのか。
出血があって受診した時に先生に大丈夫と言われて不安でしたがいつも言われた通り帰っていました。
中期に入った頃から羊水が少なめと言われましたが気にする程度ではないと言われました。
不安になった時点で双子でリスクが高いのだから大きな病院に転院していたら助かったのではないか。
お腹が張っていたのにご飯を食べられなくて薬を飲めないことがあったのが悪かったのか。
あの時ああしていれば…が次から次に思い浮かびます。
19週までお腹にいて
羊水がほぼない今も心臓は動いていて胎動も少し感じます。
私が選択を間違えたからこんなことになってしまったと思うと辛いです。
誰かとお話していると少し気が紛れます。
でも家族は仕事が忙しい時期で電話もできないし、友人には妊娠したことすら伝えていないので
一人でネットを見ては
自分だけじゃないんだなと思っています。- 12月15日
まろまろ
三つ子ちゃんだったのですね。妊娠がわかってから、嬉しさだけじゃなくて、不安や心配なこともたくさんあったことと思います。特にはじめてのママリさんにとっては、辛い辛い選択をされた上での更なる悲しみなのですね。
…苦しすぎます。
まだお腹で胎動も感じていらっしゃるとのこと。
私も出産直前まで元気に動いてくれていて、3日間ほどをただただ泣き暮らしました。
心音を確認されることも辛くて辛くて…。でも、残された時間を悲しむだけでなく、もっともっと話かけたり撫でたり、最後の最後まで一緒に過ごす時間を大事にすれば良かったと、今は後悔しています。当時は、そう思えなかったです。後悔と懺悔ばかりでした。
なので、産む前は、娘のために何をしてあげようなんて考えられませんでした。周りの人にも理解してもらえると思えなかったし、ただただ1人で泣いていました。
はじめてママリさんは、赤ちゃんの肌着を作ってあげられるとのこと、寒くないようにという、一針一針のママの愛情は絶対届きます。
娘に会った瞬間は、悲しみは込み上げましたが、ただただ愛しかったです。小さくても、産んだ我が子として、可愛くて可愛くて。
旦那も、娘と会う前は、色々残すと辛くなるからと言っていましたが、生まれてきたら誰より写真をとっていました。生まれてきた姿からお顔も含めて…。今なら動画もとっておきたかったなという気持ちがあります。家族以外は見ることがないでしょうし、何より、大事な我が子の顔を忘れたくないと思って。写真や動画はいつでも消せますが、欲しいと思っても二度と手に入れることはできませんから…。その家族が後悔しないことであれば、周りの価値観や常識は二の次です。
手形、足型もいいですね。
私は残してなくて後悔です。
母乳は、看護師さんが執念で絞り出してくれました。胎盤が出たら、どんなに早くても出るからと…。その気持ちにも救われました。
火葬は、ベテランのおじいさんな職員さんで気をきかせてくださった感じでした。伝えてみたら良いと思います。
水子供養はしてないです。
どうしても水子というふうに見れなくて…。お世話になってるお寺さんがあるわけでもなく…本当に手元供養です。
退院してから、ブログを始めました。ただ自分の気持ちを吐き出すためだけのブログです。こんな辛い思い、辛い経験してるよって。そこから、他の方のブログを拝見したり、いただいたコメントで少しお話したりしながら、4年を過ごしました。今では段々とブログからも離れ、というか1年ほど放置しちゃう程度に落ち着いた状態です。
たくさんたくさん思い出しながら後悔して苦しくて辛くてどうしようもなくしんどいですね。色々な経過があって、あの時こうしてたらって思うしかできないかもしれないですよね。
「tears in heaven」
エリック・クラプトンの曲です。産後になんとか苦しみから脱したくて泣きながら聴いていた曲です。少しだけ生きる勇気をもらいながら、癒されながら、助けてられました。
長々と自分のことばかりになりました。ほんの少しでも力になれますように…。
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はじめてのママリ🔰
お返事ありがとうございます。
温かいお言葉もありがとうございます。
全て自分が選んだことなので
「こうするしかなかった」「選択肢が他になかった 」と思えなくてとても苦しいです。
流産の診断を受けた日は
こどものように大泣きしてしまってお腹がものすごく張ってしまいました。
羊水がなくて赤ちゃん達は苦しい思いをしているのにお腹が張ったらさらに苦しいと思ってそこからはお腹が張るほど泣かないようにしています。
話しかけたりはしていなかったので、まろまろさんのコメントを読んで
もっと穏やかに過ごしてもっとお腹に話しかけようと思いました!
私はまだ実感がわいていないのか、悲しくて泣いたりもするのですが他人事のように感じる時もあり、その時にしてあげられることがポンポン頭に浮かんできます。
肌着の布を買いにいったり2枚作成しないといけないので
間に合うか分かりませんが
頑張って作りたいなと思います!
まろまろさんの経験されたお話聞いて私もどんなに辛くても出来るだけ記録に残そうと思いました。
産まれてからどんな精神状態になるのか全く想像もつかないので、私が写真を撮れない時は夫が撮るように約束しておこうと決めました。
あの時ああしていれば…と何度も何度も思う妊娠だったので、せめて出産後は後悔しないように他にもっと出来ることはないかギリギリまで考えたいです。
私も2滴だけでいいので出てくれることを祈ります。
19週なので骨が残るかは運次第かもしれませんが
伝えるだけ伝えてみます。
私もお世話になっているお寺などないので迷っています。
三つ子の一人は落ち着いたら水子供養しようと思っていたのですが、すぐに供養しなかったら寂しくて残りの二人も連れていってしまったのかな…と考えたりしてしまって💦
ブログ書かれていたんですね。
私もこの2日で眠れない時や何も考えられない時に死産された方のブログを読んで
自分だけじゃないんだと思えたし分娩の時の経過など予習が出来てとても助かっています。
もしかしたらまろまろさんのブログも読んだかもしれませんね。
きっとまろまろさんのブログに救われた方もいらっしゃると思います。
曲を教えてくださり
ありがとうございます。
初めて聞いた曲なので
検索してみます!
たくさんコメントしてくださりありがとうございます。
眠れなくて時間がとても長く感じるのでお話していただけてとても嬉しいです。
ご迷惑でなければもう少しお話してほしいです…- 12月16日
はじめてのママリ🔰
コメントありがとうございます。
私も破水してしまったのか
羊水が全くない状態でした。
その前から出血があり
破水には全く気が付かなかったです。
可愛いスタイは考えつかなかったので、買いに行こうと思います。
同じ19週ですが
肌着などは着せられますかね?
不躾な質問かもしれませんが
骨は残りましたか?
もし残るのであれば骨壺を購入して側に一緒にいて
私が死んだときに一緒にお墓に入りたいのですが…
私はずっと泣いていて
夫も泣いていました。
上の子がいるので一緒にいる間は泣くこともなく
むしろ笑ったり出来るのですが、こどもが寝た後は悲しくて悲しくて隣でこっそり泣きました。
今は現実のような、他人事のような感情がぐるぐる回っている状態です。
本当に時間が解決してくれるしかないですよね…
夫は引き継ぎが終わったら
手術前からしばらく仕事を休んでくれることになりました。
妊娠中トラブルばかりで甘えてばかりでしたが
今はさらに甘えさせてもらっています。
ありがとうございます。
ママリ【・∀・】
私が高位破水したのは16週なってすぐでしたが、その時点で13週くらいの大きさしかありませんでした。
生まれたあともやはり2週分くらいサイズが小さく、『恐らく骨は残らない』と言われました…。
主人とも相談しましたが、お骨は拾わないと決めて火葬をお願いしました。
我が子が火葬されていくのを見るのも辛く、お焼香を済ませ、棺を見送ってから帰宅しました…。
なので、結局お骨が残ったのかどうかもわかりません…。
水子供養の合同葬で、みんな同じところで供養されているので、墓参り(?)はそこに行っています。
私の場合は産院が肌着を着せてくれていました。
早く出てきてしまった子用の小さめな肌着だと思うのですが、それでもブカブカで何回も折り返してありました。
我が家も主人と二人で泣きました。
少し落ちついてからこの話になったときは、主人は泣かなくなりましたが私はしばらく泣いていましたね…。
主人は私を支えようと我慢してくれていたのだと思います。
お互い、素敵な主人に恵まれましたね!
手術は来週とのこと…
今もですが、術後は心と身体をゆっくり休めて、ご自身を労ってくださいね!
ママリ【・∀・】
他の方とのやり取りもみました。
大学病院など、大きな病院へは行かれましたか?
私は不育症で、実は3人の子を失っています。
19週、12週、18週です。
2人目は12週で陣痛が起こり、出てきてしまいました。
3人目は1人目同様に破水した気がして産院へ行きました。「やはり羊水が少なくなっている」とのことで、過去の件もあるので大学病院を紹介されました。
が、予約がとれたのは翌週で、大学病院にかかったときには羊水は皆無になっていました。
大学病院にかかるまでの1週間、ネットで色々調べていたら、【生理食塩水(だったかな?)のような、羊水に似た水分を母体のお腹から注射して入れることもできる】というような情報をみました。ただ、【高度な技術のため、できる病院は限られている】とも書かれていた気がします。
数年前のことですし、申し訳ないのですが医師が書いたとか、信用できる情報だったのかは分かりません…。
でも、羊水が少ないけれどお腹のお子さんたちがまだ頑張ってくれているなら、もしかしたらまだ可能性はゼロではないのかな、と思いコメントしました。
結局、私の場合は羊水が皆無だったので「赤ちゃんと羊膜の間に隙間がなく、注射できる場所がない」と言われてしまいました。
が、そう言われたということは、出来る病院では出来る処置なのではないでしょうか?
ご主人とも相談して、もう一度お住まいの地域(都道府県単位)の一番大きな病院にかかってみるのも一つの方法かな、と思いました。
※ちなみに、羊水注入した場合は産むまで入院になると書かれていたような気がします。まだ小さなお子さんがいらっしゃるので現実的ではないかもしれませんが…私の経験談としてのコメントでした。
はじめてのママリ🔰
お返事ありがとうございます。
お辛い経験を詳しくお話してくださりありがとうございます。
お焼香とのことですが
火葬だけでもお焼香できるのでしょうか?
葬儀は行いましたか?
小さすぎるので着れる肌着はないかな?と思ったのですが
裸のままだと寒いだろうし…と気になっていました。
私も産院に肌着があるのか確認してみようと思います!
情緒不安定で急に泣いたりしてしまいますが
夫は今日は泣かずにずっと慰めてくれました。
お互い良い人と夫婦になれて幸せですね😊
かかりつけの産婦人科でも
セカンドオピニオンで行った病院でも
今の週数では大学病院などでは受け入れてもらえないと言われました。
もうほとんど羊水は空で
羊膜?も写らなくて見えないと言われました。
羊水がもう少しあれば
もしかしたら処置ができたかもしれませんが…
今の週数では双子ともに
人工羊水を入れることが出来ても助かる可能性はかなり低く
障害を負う可能性がかなり高いと説明されました。
双子ともに障害があってもしも自分が死んでしまったら上の子への負担が大きすぎるのでらないか…と思うと
それ以上人工羊水について聞くことはできませんでした。
今回の流産でこんなにも辛いことを知りました。
後期流産を3回も経験することは、想像をはるかに超えるほどお辛かったでしょう…
12週越えてからの流産は
不育症の可能性は低いとネットで見たのですが
不育症の可能性もあるんですね。
不育症は何か検査などあるのでしょうか?
ママリ【・∀・】
返信が遅くなり申し訳ありません💦
当初は3人の子を失ったことを伝えるつもりはなかったので、3回の記憶を混ぜながらお伝えしていました。
なので、正確にお伝えしますね!
一人目、A県にて。
産院がやり取りしている葬儀会社があり、そこに依頼するなら産院からそのまま赤ちゃんを引渡すとのこと。
自分たちで手配するなら、赤ちゃんを連れて帰宅。
夫婦で相談し、心身共に疲れている中で色々考えて探して手配もするのは厳しいと判断し、前者に決めました。
なので、最初のコメント通りの中見を棺に入れて、夫婦+担当した助産師さんと手を合わせて、産院で見送りました。
その後は合同供養されているところへ行って手を合わせています。
もし自分たちで手配していたら、葬儀なども自分たちの判断だったと思います。
その後、主人の仕事の関係で引越ししました。
2人目、B県a市にて。
市民病院でしたが、1人目のときのような対応はなく、自分たちで手配でした。
市の火葬場にお願いしたのですが、そこではお焼香できるように準備されていました。
それは良かったのですが…水子供養するような場所はないとのことでした。
なので赤ちゃんには『A県のお兄ちゃんのところに行って待っててね』と見送りました。
A県に行った時に手を合わせています。
この地に親戚などもおりませんので、葬儀などは全く考えておらず、夫婦で見送りました。
3人目、B県b市。
羊水が減っていたときに、二人目のときからかかっていた市民病院から、b市の大学病院に転院。
大学病院でも1人目のときのような対応はなく、二人目と全く同じように火葬しました。
なので、今は3人の子ともにA県で手を合わせています。
飛行機の距離なので頻繁には行けませんが…。
3人とも出産した病院は違いますが、3人とも肌着は着せてもらえてましたよ。
一人目の子のときに買ったスタイ(セットだった)とおもちゃは保管していたので、天国で兄弟だとわかるように、お揃いで入れました。
ママリ【・∀・】
羊水は空だったんですね。
恐らく、私と同じような状態だったのでしょうね。
そうなんですよね、私も大学病院に行くまでの一週間色々考えました。
もし障害を持って生まれてきたら…と。
一般的には私の方が早く死ぬので、私が死んだらどうなるのだろう…と。
障害の程度にもよるのでしょうが、最悪のパターンを想定していたほうがいいかと思ったので、寝たきりとか人工呼吸が必要とかで考えてましたね。
はじめてのママリ🔰さんのように上のお子さんがいると尚更だと思います。
確かに、12週過ぎると不育症の可能性は低いとネットには書いてますよね!
だからこそ、余計に自分を責めちゃいます。胎児の問題ではなく私の身体の問題なんだ…と。
2人目を流産したあと、不育症に力を入れている先生を受診してみてはどうかと提案され、足を運びました。
血液検査や遺伝子検査など、いくつか検査はあるみたいです。
でも、それでも異常が見つかる人の方が少ないそうです。
12週は過ぎているので、遺伝子ではないだろうという夫婦の見解で、我が家は血液検査しかしませんでした。
結果、甲状腺の数値が若干高いことしか分からず、ホルモン補充の薬を飲みながら妊活し、3人目妊娠しました。
妊娠中も授乳中も飲める薬なので、ずっと服用していましたが結果はお話した通りです。
今でも大学病院に通っていますが、主治医には不育症だと言われています。妊娠はするけれど、残念な結果になってしまうことが続いているのだからきっと不育症で間違いないんでしょうね。
はじめてのママリ🔰
お返事ありがとうございます。
とても詳しく教えてくださりありがとうございました。
その後、経過が悪くなってしまい今日から入院して明日分娩になりました。
夫の休みに買い物に行って準備をしようと思っていたので準備が間に合わずバタバタとしています。
病院に確認したら、肌着は無いから裸で布団に寝かせると言われました。
寒くいだろうし、裸で布団は抵抗があったので
自分で簡単な肌着を縫うことにしました!
インスタで出会った天使ママさんから小さな小さなお洋服とおくるみも購入しました。
私の通っている病院は自分で火葬場を見付けないといけなくて…
一応予定している火葬場は
プラスチックやビニールは棺に入れられないようなので
肌着、小さなマフラー、折り紙、手紙を入れることに決めました。
おもちゃは入れられないみたいで…
折り紙で、一緒に遊べる動物を折ったり
お茶碗や哺乳瓶を折って入れようと思っています。
お焼香できるところは火葬場には多分無さそうでした。
水子供養のお寺?が近所にあるのでそこに行くか
完全に手元供養にするか悩んでいます。
まだ心拍はあって胎動も感じるので
もしかしたら奇跡的に羊水が増えるかもしれないと何度も思いましたが
エコーで見ても羊水は無いままでした。
少しでも可能性があるなら…と思いましたが
一生人工呼吸器をつけて自分で動けることはないと言われて心が折れました。
赤ちゃん達にとってはそれでも生まれてきた方が幸せなのか…今も分からないままです。
私も自分を責めています。
こうなってしまったのは全て自分が悪いと思っています。
同じ経験された方や家族や病院の人たちに
「あなたは悪くない。赤ちゃんが選んだんだよ。赤ちゃんはあなたを選んできてくれたんだよ。」
と言われても全然そんな風に思えないんです。
私のことを思って慰めてくれていると分かっているのですが
どうしても
「赤ちゃんは生きたくて生きたくてお腹にしがみついているのに、自分のせいで生んであげられなかった。羊水さえあれば生まれてこれたのに、私のせいで赤ちゃんは苦しんでいる」と思うと
赤ちゃんが選んだ道、赤ちゃんがママを選んだって言葉を受け入れられないんです。
病院では不育症の説明はまだありません。
自分で調べたら、胎盤や臍帯や羊膜で検査が出来るらしいのですが自分から言わないとしてくれないのでしょうか…
不育症は原因が分かる人の方が少ないみたいですね。
でもブログかインスタで
4回の死産を乗り越えて
元気な赤ちゃんを産んだ方を拝見しました。
私は不妊で妊娠するまでは
「自分は人と違って高いお金と痛い思いをしないと妊娠できない。妊娠出来る人が羨ましい」と思っていた時期がありました。
今回のこのような経験をして
妊娠も出産も、その後こどもが無事に育っていくのも
全て奇跡なんだなと実感しました。
ママリ【・∀・】
お母さん手縫いの肌着に包まれたら、双子ちゃんも喜ぶでしょうね♪私はTHE・不器用なので羨ましいです!
でも、心身共にお辛いと思うので、あまり無理はなさらないでくださいね。
手紙などにもパパとママの想いが詰まっているので、きっと心穏やかに旅立てると思います。
我が家は夫婦の性格上、遺骨を手元に置いておくことでずっと足踏みしそうだったので残さないと決めました。結果、それで良かったと後悔はしていません。こればかりはご夫婦の考え方だと思うので、ご主人と相談して納得のいく決断ができるといいですね!
しばらくは自分を責めると思います。もしかしたら、死ぬまでかもしれません…。
私も「私が3人の子を殺した」と心の奥底で思っていますから。
最初の子を亡くして5年になりますが、未だに責めています。
周りに何を言われても、受け入れ難いですよね。私にもまだ時間が必要なようです。
仰る通り、胎盤や臍帯で調べる検査はそのタイミングでしかできません。
決して安価な検査ではないですが、もし過去にも流産などがあり不安ならばお願いしてみてもいいかもしれませんね。
何もなかったとしても、次に授かれたときにほんの少しの安心材料にはなるでしょうから。
こちらもご主人と要相談ですね!
今日、分娩なんですよね。
昨夜は眠れましたか?
(恐らくあまり眠れなかったですよね…)
何もできませんが、遠くから双子ちゃんのご冥福をお祈り致しています。
はじめてのママリ🔰
今日無事に分娩できました。
促進剤の投与にたくさんのリスクがあるお産でしたが、1回の投与で二人とも出てきてくれてとても親孝行な双子ちゃんでした。
前日は泣いてばかりでしたが
生まれてきてくれたら
悲しみや辛さより愛しさと感謝でいっぱいでした。
本当に可愛くて、大きくなったこの子達を見たかった…待望の女の子だっから皆喜んだだろうな…という思いもありますがそれでも可愛くて可愛くて仕方ないです。
火葬の時に大泣きしてしまいそうです。
私も不器用でガーゼで縫ったので所々ボロボロでしたが
着せてあげたらとても可愛く仕上がっていました😊
まだ火葬まで時間があるので
手紙を書いたり写真を撮ったりする予定です。
供養についてはまだ決まらず…とりあえず手元供養で気持ちが変わったら水子供養にしようかなと思いました。
昨日眠れなくて見たブログで
同じような症状が出て
奇跡的に羊水が増えて、呼吸器などもつけずに1歳を迎える女の子を知りました。
その時にこの処置をやめてもらって私も奇跡を待とうかと思いました。
でもその後すぐに前駆陣痛が始まり、もう産むしかありませんでした。
また選択を間違えた…もしかしたら奇跡が起きて二人とも助かったかもしれないのに…そう考えながらの出産でした。
先に生まれてきたお姉ちゃんは皮膚が赤黒くて頭に大きな怪我をして生まれてきました。
怪我は先天性なのか出産中の事故なのか分からないと言われました。
そして胎盤も一般的な人の物より黄色く細菌に感染しているのかもしれないと言われました。
自分に都合のいい解釈かもしれませんが、
私が後悔ばかりして自分を責めてばかりいたから
お姉ちゃんが身体を張って
「私にはもう奇跡は起こせなかったし、ずっとお腹で育ててもお母さんが細菌に感染しちゃって死んじゃってたかもしれないから、この選択で間違っていなかったよ」と伝えてくれたのかもしれないと思いました。
まだまだ自分を責めることが多いですが、焦らずに少しずつ少しずつ受け入れていけたらいいなと思います。
病院では、2点これかもという原因を言われましたが
やはり詳しく調べないと分からないし調べても分からないかもしれないことと
「次に妊娠しても同じことになる可能性がある」と言われました。
個人病院だったので
次もし妊娠できたら大きな病院で診てもらった方がいいと勧められました。
一汁三菜にしたりしなかったり【・∀・】さんのおかげで
辛くてどん底な気分の時に救われました。
本当にありがとうございました。
ママリ【・∀・】
親孝行な双子ちゃんだったんですね。
私のときもそうでした。
赤ちゃんの頭に変形があり、私にも炎症が起こりかけていました。
本当に、子どもたちが私たちを守ってくれたのかもしれませんね。
大変な数日間だったと思います。
しばらくはゆっくり、心と身体を休めてくださいね!