※本ページは一般のユーザーの投稿により成り立っており、当社が医学的・科学的根拠を担保するものではありません。ご理解の上、ご活用ください。
メロ
雑談・つぶやき

母が末期癌、余命宣告の3ヶ月を過ぎた。ムラはあるけどご飯も差し入れ…

母が末期癌、余命宣告の3ヶ月を過ぎた。

ムラはあるけどご飯も差し入れも食べれるし
痛みもあるけどまだ笑えてるし看護師に冗談言ったりしてる。

このまま孫の誕生まで生きててくれないかな...
なんて考えると泣けてくる。

今週末エコー見てくるね、土曜日に旦那と行くんだ。

そしたら癌宣告受けてから初めて、母が泣いた。


お母さんも一緒に見たい
悲しくて泣いてるんじゃないよ
あんたが命懸けでくれたプレゼントだよ


決していい母親じゃなかった
小さい頃は施設に預けられ寂しかったし
小学生になったら虐待された
中学生でまた施設に行って
卒業して母の元に帰れば母の彼氏に殴られる日々
17で家を出て20で家を借りるまで人間らしい生活なんてできなかった
18から付き合ってた彼と25で結婚して
今年で29になる
ずっと子供が欲しかったけどなかなかできなかった
不妊治療にも通った
痛い思いたくさんした
母とはずっと疎遠だった。

去年の12月
母が入院したと連絡が入った
数日後には癌だと説明を受けた
休んでた不妊治療を再開した直後だった。

珍しく育っていた卵胞は
母の癌宣告を聞いてからどんどん萎んでいった。

ずっと恨んでいた
すべてのことを許せなかった
でも、萎んでいく卵胞
癌宣告がストレスになっている?
...私、お母さんに死んで欲しくない。

検査が進み、癌の治療は絶望的であることがわかった
もって余命は2〜3ヵ月
そんな矢先妊娠が発覚する。

まさかと思った
萎んでいった卵胞が排卵したことは知っていた
タイミングは取っていたが
たった14mmになってしまった卵胞
まさか...奇跡が起きた。

心拍が見えてから母に報告した
母の誕生日だった。

喜んでくれるかと思ったら
母は母なりに悩んでいて
自分のからだのこと
自分のいのちのこと
それどころじゃなかったよね。

ずっと母なんて私の知らないとこで死んでしまえばいいと思ってた
もし本当に知らないとこで死んでしまっていたら
私は一生、母を恨み生きることになっただろう。

今回のことで私はもう母を恨んでいないことに気がついた
それに気づかせてくれたのは、皮肉にも癌、だった。

いつまで生きててくれるかな
赤ちゃんの成長少しでも長く伝え続けたい。

お母さん、ありがとう
大好き。

コメント