
精神科の先生に「しゃべれるから大丈夫」と言われた理由は何でしょうか。いじめや家庭内の問題があった中で、話せることが支えになったのでしょうか。
精神科の先生に「貴女はしゃべれる人だったから、大丈夫だった。喋れない人だったら即入院レベル」と言われたことがありました。
どういうことなのでしょうか?
学生時代、小学中学高校それぞれいじめを受けていました。それも、1グループからではなく、何グループからうけていました。
結構壮絶だったと思います。
家庭内では、父は暴力を振るい、母は守ることもせず、私に無関心、無干渉。
大事にされた記憶も、愛された記憶もありません。
妹がいますが、
2.3歳の頃から何百円か親にもらった時は
全て妹に使っていたそうです。
妹は母に溺愛されていました。
兄妹で格差はあったと思います、
何回か精神科に行った時にそう言われました。
しゃべれるから大丈夫だったとはどういうことなのでしょうか。
味方になってくれる人も、助けようとしてくれた人もいたと思いますが当時は敵か味方もわかりませんでした。
精神科に行ったとの自分の判断でした。
その当時は電話相談とかなかったから、
話せる人はあまりいませんでした。
だから病院とか行政のだったと思います。
スクールカウンセラーに短大の時に話したりはしていました。
- はじめてのママリ🔰(7歳)
コメント

ma
しゃべることができる=自分について自分の言葉で人に伝える事ができる。
という意味かなと思います。
話すことができる、というのは改善の余地が見込める。という意味で仰ったのではないでしょうか🥹
はじめてのママリ🔰
ありがとうございます。
精神科に行った時は、本当に精神状態があまりに良くなくて、行きました。お医者様からは、カウンセリングも効かない、薬も効かない。アニマル療法やいろんな療法も効かないだろうと言われました。
どうしてですか?と聞いたら
「しゃべれるから」とだけ。
今の生活を維持するのが一番だから、維持していたら大丈夫。
通わなくていいと言われました。
話せることはやっぱり大きかったのかな?と、周りが敵で味方もいなくて、人に対して恐怖心が強かったのに、人に話すのをやめなかったのはなんでだったんだろうと今でも時々考えることがあるんです
ma
精神科の先生、そんなふうに仰ったんですね🫢
先生によって伝え方も考え方も違うものですよね💦
カウンセリングも効かないと断言されることがあるんですね。
あとは、精神科と心療内科でもまたちょっと違う部分があるのかもしれません。
精神科では、自ら病院へ足を運ぶ行動力がある=そこまで重症ではない。との判断かもしれないですが
心療内科でカウンセリングを重視しているところでは、もっと違うアプローチの仕方があるのかなぁ、と思いました。
育ってくる段階で作り上げられた自分にもがき苦しんでいる人へ、"今の生活を維持するのが1番"と言われたら…
これ以上は望めないのか⁇
と、絶望にも似た気持ちになりませんか😭
自ら助けを求めに行く行動力がある🌱
そして、対人恐怖がありながらも話すことをやめなかったのもママリさんご自身の強みであったと思います。
また、殻に閉じ込もらず話し続けることで潜在的にママリさんの心そのものがしっかりと自分を守るべくSOSを出し続けているのかもしれません🥹
是非しっかりと耳を傾けて聞いてくれて、尚且つもし今ママリさんに何かしら払拭したい症状があればそれに応じた処方などしてくれる先生に出会えますように🌱(と、勝手ながら願っています)
周りが全て敵と感じてしまうのもママリさんのせいではない。
周りの大人たちがそうさせた。
それでも、ご自身で立ちあがろうとされているママリさんを心から応援したい気持ちです。