うつ病で希死念慮があり、母に支えてほしいが甘えかと悩んでいます。母に助けを求めるべきか悩んでいます。
2年前にうつ病になり、たまに希死念慮が出てきます。
希死念慮が強くなると私は1人だという気持ちが強くなり、夫や両親の顔が浮かびます。
(病院には通っています。)
この前「職場で業者さんにいきなり嫌味を言われた」という話を母にしたところ、辛かったねの一言もかけてもらえずとても悲しくなりました。
(そういう出来事が私のトラウマだということは母は知っています。悲しくなるのは私の甘えかもしれません。)
希死念慮が強くなると私は1人だと思ってしまうと書きましたが、母にこういう態度を取られてしまうと、私は1人だという気持ちがさらに強くなり希死念慮もさらに強くなってしまいます。
母に「私が辛い気持ちを打ち明けた時は、辛かったねのひとことでいいから言ってもらえると、希死念慮が出た時に強くならずに済むからひとことかけてもらえると助かる」と伝えた方がいいと思いますか?
それとも、母にそんなお願いをするのは甘えかもしれないと思うのでやめた方がいいでしょうか?
みなさんどう思われますか?
母に依存したくない気持ちと、希死念慮が出た時に強くなるのを抑えたい気持ちの両方あります。
- れみ
コメント
2児🎡お母さん
お母さんから自立しないといつまででも希死念慮と戦わないといけないかもしれないです。
私は境界性パーソナリティ障害があり見捨てられ不安が強い為似たような行動を母親に取ってました。
母親に鬱がひどくなる、死にたくなるとその後に言ったりして母親も困惑してました。
こちらからこう言ってくれと母親に伝えてそれをおうむ返しのように母親に言われても嬉しいですか?なんか逆に悲しくならないですかね??
それで満足するならいいのですが。
れみ
ありがとうございます。
これって自立してないことになるのですかね。
私は母に伝えて、それを言ってくれるなら結構安心するかもしれません。
2児🎡お母さん
希死念慮からの自立ですね。
私も希死念慮が強い時に旦那や母に依存していた事があり、希望している言葉を言ってほしいと願っていた時期があるのですが、生死の部分、精神的に深い部分を他者の言葉に依存していると必ずいつかボロが出る時が来ると医師に言われました。
また、お母さんにはお母さんの人生があり、希望する言葉や態度ではないけどお母さんなりに娘の事を思って話しを聞いてくれた。
と、考えてお母さんにはお母さんの並行し続く人生の道があるようにイメージすると良いとも言われました。
精神科の先生にも色々な考え方の先生がいますが私を見てくれた先生はそうおっしゃっていました。
何か冷たいようなコメントになっていたらすみません💦私も似たような経験があり、実際医師に相談した事があったのでコメントさせていただきました。決してどれが正解ではなく1提案として見ていただけたら幸いです。
れみ
ありがとうございます🙇♂️
とても納得しました。
その通りだなと思いました。
でももし母が他の人にも同じような態度を取っていたらまたその人を苦しめるのかなと思うと、少し話してみてもいいのかなと思えてきました。
2児🎡お母さんさんのおっしゃることも頭に入れながら少し考えてみようと思います。