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あるてみす
ココロ・悩み

東日本大震災で被災し、子供二人を守りたいが不安。昨日の雪で涙が止まらず、立ち直れていない。

東日本大震災についてです。苦手な方はスルーしてください。
3月になるとなんだか心がザワザワして、落ち着かなくて。被災地に住んでいます。震災を経験し、被災し、大切な人達を失いました。
当時はまだ20歳でしたがいまは子供二人に恵まれ、地元を離れることなく幸せに暮らしています。
しかし、またあの記憶が蘇り、私はこの子達を守れるだろうか?言葉を選べませんが死ぬんじゃないかと思ってしまいここ最近滅入っています。
昨日、雪が降りました。震災の翌日も雪が降りました。断水、電気もなく、本当に寒い日でした。

あー、思い出してまた涙がとまりません。
立ち直ったようで、まだ一歩踏み出せていないのかも。

コメント

ぬーん

私は熊本地震を経験しました。東日本大震災ような被害はありませんでしたが、子供たち2人いました。前震、本震と旦那がいたので2人の子供を連れて逃げることができました。でも、旦那が仕事でいなかったらどうしてのかな。。。不安になるのわかります。今でも、地震がくるとビクビクして何日間かは夜、寝れません。

  • あるてみす

    あるてみす

    熊本も大変でしたよね。私ももし震災が起きて二人の子供を抱えてちゃんと逃げられるだろうか…と不安になります。地震の警報こわいです。もうトラウマなんですよね。近々、市で防災訓練があるのですがその時も警報鳴らすので、、、こわいです。

    • 3月7日
  • ぬーん

    ぬーん

    子供もいると本当にいろんなことに恐怖を感じます。地震のアプリの通知音がとても恐怖でアプリ消しました。

    • 3月7日
ひなっしー

私は千葉県に住んでいます。
被害は少なかったですが、それでも仕事中、古ーいショッピングモールであの地震。
高いところの荷物は落ち、お店の外壁が崩れたり、駐車場は波打ってました。
怖かったです。未だに携帯のあの警報音が苦手です。心臓がバクバクします。

あれから私も子供が産まれ、もしこの子が幼稚園の時あんな地震が来たら?
この子は怖くて怖くて泣き叫ぶんじゃないか、私がそばにいなくて不安でたまらないのでは…などなど考えてしまうことがあります。

しかし、あるてみすさんはさらに被災地に住んでいらっしゃる。
私なんか比べ物にならない恐怖だったと思います。

正直、あの日の恐怖が消えることはないと思います。
しかし、いつ来るのか、死んでしまうのではないか、という恐怖心を持つのではなく、
あの日の経験があるからこそ、
もし同じようなことが起きた時、しなくてはならない事がわかっていると思います。
それが大切な人を守るために必要なことだと思います。

もしまた不安な考えがよぎった時は、
こうなったらどうしよう…ではなく、
こうなったらこうするんだ!と、
恐怖心へ対する答えを見つけて見てください。
そうすることで、不安は少しずつ消えていくと思います。

  • あるてみす

    あるてみす

    ありがとうございます!涙がとまりません💦
    家族が帰ってこなかったあの日の不安が今でも鮮明に覚えています。
    あの震災を経験して、被災したからこそ分かることが確かにあります。
    何をしなければならなかったのか。後悔ばかりですが、第一にいのちを守ること。を痛感しました。
    子供たちにも伝えたいです。
    長文で書いていただきありがとうございました!

    • 3月7日
ピグ

被災地に近くも遠くもない所に住んでます。
思い出すのは辛いと思いますが、亡くなった方を忘れない、震災を風化させないためには記憶を呼び起こすことも必要になってくるかもしれません。
しかし無理に一歩踏み出さなくてもいいのかなと思ってしまいます。幸せに暮らしてらっしゃるならなおさら!そうそう立ち直れるかたなんていないと思います。
うまく表現できずすみません。

  • あるてみす

    あるてみす

    ありがとうございます。悲しむことも必要ですよね。思い出せば辛いし悲しいし悔やまれることも沢山あるのですが、自分自身が震災を忘れないこと。風化させないこと。ママリを通して、震災の怖さを知っていただけるようにまたこの経験を載せたいな…と思っています。ミルク、オムツが手に入らず本当に大変な思いをしたママたちを知っています。避難所ではプライバシーもなく、子供を泣かせないように必死なママの姿がありまた。
    遺体安置所で、友人と会ったとき、友人は妊娠中で大きなお腹でしたが、毎日遺体安置所を巡ってお父さんを探してると言っていました。
    こうやって書いていると思い出します。また思い出して辛いですが、誰かに伝えたいです。読んでいただいてありがとうございました!

    • 3月8日
沢蟹

心からお見舞い申し上げます。大変つらい中、こんな言い方は良くないのかもしれませんが…震災を思い出させてくれて、感謝します。

被災した経験がないので、滅多なことは言えません…。でもどんな形でも良いので、今後もこのように、お気持ちを伝えてほしいです。今年で7年、風化してしまっている部分が、残念ながらあると思うんです。

あの日、私は帰宅難民で溢れた都会の片隅にいました。あの異様な光景と、津波や原発に関する映像は、今でも目に焼き付いています。忘れないでいたいです、これからも。

  • あるてみす

    あるてみす

    ありがとうございます!被災を経験していない方にも、自然災害の恐ろしさが伝わって、忘れないでいてもらえたことが救いです。明日は我が身かもしれません。家、車、財産を投げ打ってでも命を守って欲しいです。ここは大丈夫と安心せずに逃げてほしいです。地震がおきて、すぐに高台に逃げた人も、家が心配だからと戻ったり、毛布を取りに戻ったり、車を取りに戻ったり、、、一瞬の判断で命を落とします。帰ってきませんでした。津波にもっていかれました。
    生きていればなんとかなる。前を向ける。コメントしていただき、ありがとうございました!この震災の経験をママリのお母さん達にも読んでほしいので、文章をまとめてまた投稿したいと思います!

    • 3月8日
うに

被災地の方からしたら、もう7年、まだ7年ですよね。。
私は千葉県に住んでいますが、あの日は震度6の揺れが収まった後、テレビで津波にのまれていく街をただただ呆然と見ていました。

生きてきてあんなに衝撃を受けたことはないし、未だに思い出すと涙します。

実際に被災された方なら尚更だと思います。

でも、あるてみすさんが生きていてくれて良かったです。
大丈夫。母は強しです!

あんなに悲惨な出来事はもうないと信じたいですが、私は我が子に伝え続けていきたいなと思っています。

あの日を想って涙することも大切なことなんじゃないかなとも思います。
どうか今を大切に…

  • あるてみす

    あるてみす

    ありがとうございます!千葉県も地盤沈下したり大変でしたよね。揺れもすごかったと思います。
    あまり映像にするには悲惨で報道できずにいたと思いますが、街中にはたくさんのご遺体がしばらくの間放置されていました。自衛隊の方が生存を確認して、亡くなった方には白い布を被せて。生存している人を優先に助けなければならなかったのです。被災した家に行くのも足が震えました。遺体があって。
    お子様が将来どこに住むかはわかりませんが、災害の恐ろしさをぜひ伝えてください!わたしもわが子に伝えたいです。いのちあってこそです。
    3.11には黙祷したいと思います。
    どうか安らかに。
    コメントしていただき、ありがとうございました!

    • 3月8日
  • うに

    うに

    揺れの直後は携帯も繋がらず、電気も止まって信号がついていないため大渋滞、電車も止まり踏切が開かずのままになり立ち往生…
    まさにパニックでした。

    でも、東北の方はそんな中での津波で、情報が足らなすぎたと思います。
    早く逃げて!波が来てる!ってテレビ越しに叫ぶことしか出来ませんでした。


    被災地に復興支援に出向いた方の多くがPTSDを発症したと言われていますもんね。。
    どれだけ凄惨な現場だったのか、想像を絶するものだったと思います。
    一生忘れられませんよね。


    生きていてこそ、ですよね!
    もうすぐまたあの日がやってきますね。
    私も毎年テレビの前で黙祷しています。
    まだ意味の分かっていない娘にも、いつか分かる日がきたらしっかり伝えていきたいです。

    被災地の方の言葉には本当に重みがあります。
    トピたててくださりありがとうございます!

    • 3月8日
  • あるてみす

    あるてみす

    ありがたいお言葉です。もったいないくらいに。ありがとうございます。
    当時、コンビニで働いていました。津波が到達する5分前に休みのはずの同僚が車でぶっ飛ばしてきて、「そこまで津波がきてる!逃げろ!」って必死に叫んでくれたおかげで今生きています!店を閉めて店長に言われた一言が、「みんな、家族の元へ帰れ!無事でな!」と言われました。「家族の元へ」が今でも忘れられません。自宅へ着いたのが私が最初で足の不自由なおばあちゃんを避難しようとしたところ、「もうオラぁ長く生きたっけぇ、いいでば、○○(私)だけで逃げてけろ、走れ!走れ!」
    私は「なんでそんなこというの!置いていけるはずないでしょ!」と泣きながら車に乗せて逃げたのを思い出します。そして、おばあちゃんと、私は生きました。
    一瞬の判断が、命を落とします。
    迷う暇もありませんでした。
    どうか次の世代にも津波の恐ろしさが伝わりますように。
    私の経験談を自己満足で書いてしまいすみません💦
    寄り添ったコメント本当にありがとうございました!
    震災と、向き合うことができそうです。

    • 3月8日