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はじめてのママリ🔰
ココロ・悩み

「明日は我が身だよ」と結婚前から今でもずっと旦那に言い続けてる私。…

「明日は我が身だよ」と結婚前から今でもずっと旦那に言い続けてる私。

義母が倒れ、心臓が1/4しか機能していない今の状況で、やっとこの気持ちが伝わった様。

今この瞬間母と会えなくなるかもしれない。私が伝えてたこと、やっと分かってくれた。

大事な人には出来る限り会いに行くこともそうだし、
自分の命に対する意思を、元気な自分が家族に残しておくって本当に大事なんだよ。
義母はその意思を示さぬまま、今生きるか死ぬかの世界を彷徨っている。

本来なら、家族とて立ち入ってはならない倫理の世界。
でも病院からは親族に委ねられる現実。

私は仕事で嫌というくらい意思決定支援と向き合わねばならない環境で、毎日神経すり減らして真剣に生と死について考えている。

もう何件火葬場で1人で遺骨を拾ったか。
「ご親族は?」と何回聞かれたか。
何件、初めましてのお寺様に他人様のまだあったかい遺骨をこの手で大事に運んだか。
何件親族から遺骨の受け取りを断られただろうか。何人から連絡を無視されただろうか。
その人は、本当に私に骨を拾って欲しかったのか?

自分で治療方針を決める能力も失い、最後の迎え方も選べず、家族が決め、医者が保てる限界の責任のもと決めてもらうという、それが本当に幸せか?

きっと福祉に興味がない人は「生きてるうちに死ぬ時の話をするなんて」て失礼なもの扱いする人・マイナスに考える人はたくさん居ると思う。

違うんだよ。元気だからこそ自分がやってほしい。

意思の汲み取り方は無限にあるけれど、汲み取りをしないという選択だけはどうか取らないでほしい。

後悔のない選択をして生きていきたいですね。
わたしも、皆さんも。

今日も無事であることに感謝を。

コメント

あーりんω<∩)"" class="answer-user-icon">

お話に賛同です。
今ここにある命が明日なくなるかもしれない事は誰にでも起こり得ること。
もしかしたら朝起きたらもう命尽きていることも。
亡くなるとき、人は何一つ心残りなく逝く人は居ないと思ってる。何かしらに心は残るものだと。
ただ、最期の時を迎えた時に、少しでもちょっとでもいいから、誰でもいいから感謝できて、自分の命が消える瞬間に少しでも生きててよかった。そう思えたら。
綺麗事かもしれない。でも、私も何人も看取ってきたけど、せめて最期の時くらい苦しみが軽くなってくれたら…
私は大切な人を自死で失っています。
看取ることすらさせて貰えないのかと…何か私にできたことは無いのかと…

今日も無事にいられたことは、小さな奇跡の連続であることを有難く思います。
隣で眠る小さな娘の命も小さな奇跡の積み重ねだと。ここにいてくれる事を、当たり前では無いことを感謝しつつ、今夜も眠りに着きます。