
死にたいです。希死念慮が消えません。娘が難病で産まれてここまで必死…
死にたいです。希死念慮が消えません。
娘が難病で産まれてここまで必死にやってきました。
なんとか娘をこども園に入れ、息子も小学生に上がりました。
今年の春はとにかく大変で、たくさんの会議や行事や準備物の壁を乗り越えながら娘の体調も見ながら、なんとか過ごしました。
そのころからうつ病が始まり、初夏には食べれない寝れないの過渡期が訪れました。
今は回復期ですが、娘のことで必死だった私は専業主婦のままだし、主治医には仕事はまだ止められてる(もっと体調安定してからにしなさいと言われている)し、ママ友もいないし、社会とのつながりがなくて毎日虚しくて寂しいです。
こんなことなら死んでしまいたいと毎日思っています。
夫にも友達にも相談して、生きてるだけでいいよ、働かなくていいんだよ、と言ってもらっても、こんな自分は何の価値もないから何か価値をつけなきゃという気持ちが強くて、でもうつの症状がまだ落ち着かないから家事すらまともにできない日もあります。
私はこのまま生きていけるんでしょうか。生きていていいんでしょうか。
どうしてこんなことになってしまったのか…まだ娘の病気のこともあるし、息子も元気に小学校頑張ってるし、やることたくさんあるはずなのに、なんでこんな考えになってしまうのか。
苦しいです。辛いです。毎日生きるのでやっとで、生きるのがしんどいです。
読んでいただきありがとうございます。
何かコメントもらえると嬉しいです。
- はじめてのママリ🔰

ままくらげ
学生時代からの長い鬱を経験し「私は今の健康な人に合わせた社会に出るのは難しい。だから自分のペースで子供と夫の為に尽くそう」と思えるようになりました☺️
難病では無いですがちょっと人より手のかかる子供がいて、キャパオーバーです。
でも毎日ご飯を作って掃除をして……専業主婦の私が家を安心できる場所にしてると思えたらすごく楽になりました。
社会の繋がりは選ばれてしまったPTAだったり、自治会の行事で少しずつ貢献できればと思ってるところです。
今は無理をしてはいけない時期ですが、少し動けるようになったら、小さな目標を立てて歩んでいくと良いと思います✨
「大きな目標ではなく、小さな目標の達成を繰り返してね」が通院してた頃の主治医の言葉です☺️
私も交際時や新婚当初は夫に介護してもらってると言っても過言では無い状態でしたが、今は子供を授かり前を向けるようになってます。
焦らずに希望は捨てないでくださいね。

ままり
簡単にこんなこと言っていいのか分からないですが、そうやって相談できるお友達がいることが心の底から羨ましいです!
旦那様に話せるのもすごく羨ましい。
生きていいのか悪いのか、自分自身も分からないですが
私は今朝イライラして子供に怒鳴りました。そんな朝ばっかりです。
こんな親いない方がいいし生きる価値ないな…って毎日思っちゃいます。
でもお腹は空くし喉は乾くトイレに行く。それに応じて自分は飲んだり食べたり排泄したり行動してるので、結局は生きるために生きたいがために動いてるんですよね。
私は本当にいつ死んでもいいように、終活は済ませていて日々更新しています。葬儀の準備もしてあります。
それだけですが、自分はいつでも大丈夫、と安心感はあります。

くじら
長文失礼します。
母が4人目を産んでしばらくしてからうつと自律神経失調症でほぼ動けなくなり、小さい頃のことで記憶が定かではありませんが何年か通院と布団を行き来するような生活だったことがあります。
父が働き終わったあと食事を作ってくれ、リビングの隣の部屋の母の寝床に運んでから晩ごはんを食べていました。
兄弟げんかなどで大きな声を急に出したり、走り回ってぶつかったりして驚かせてしまうと母のお腹が痛くなるので家の中ではなるべく配慮しながらの生活でした。家族全員で同じ部屋で寝ていたため、ときどき夜泣いてる母を父が慰めているのも見ました。
小さい頃は全然母の気持ちに思いを馳せたりできませんでしたが、もともと頑張り屋の母の性格ですから相当つらかったと思います。
なにもできなくても、兄弟4人とも母のことが大好きでした。調子の良いときは読み聞かせの宿題を聞いてくれて、サインをくれました。母の好きな曲を同じ布団の中で一緒に聞きました。
母がそこにいて、わずかに調子のいいときに一緒にいられる。それだけでうれしかったです。
ママリさんが生きているだけで、旦那さんもお子さんたちもその愛情を受け取っていると思います。具体的にできることが今はないと思われていても、そこにいること、生きていることが紛れもなく価値だと思います。
小さい頃を思い出し感情移入してしまいました。長々と失礼しましたm(_ _)m
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