母が手術不可の癌で毎日心配が絶えないです。抗がん剤が辛そうで次々と…
母が手術不可の癌で毎日心配が絶えないです。
抗がん剤が辛そうで次々と色んなところに負荷がかかり症状が出てきて、私も頻繁に実家に帰ってサポートしていますが心が辛いです😔
急変することもあるそうで、いつどうなるのかわからない中不眠気味ですし、実家から今の家に帰り、涙が止まらず目がぱんぱん。
この先もっと衰弱していく姿なんて見れるのかな?
今まで支えてきてもらった分恩返しがしたいのに、素直な態度を取れなかったりで後悔したり💦
大好きな母です。
辛いです。この先起こることどう対応していったらいいでしょうか💦まだ諦めたくないと思ってきていますが、最近辛そうで私も辛いです。ご経験された方いますか?
気持ちの持ちようを知りたいです。
- はじめてのママリ🔰
Ami
私の母は46歳で他界しました‼️
最初に癌が見つかったのは36歳の時で乳がんでした、ですがリンパにまで転移してる事が分かりその時に首の骨までも転移してました💦
長い間ずっと抗がん剤治療や手術を繰り返して、今まで綺麗だった髪もツヤもなくなりそれでも母は懸命に病気と向き合い10年耐えました‼️
私はそんな母の看病をずっとしてましたが、いつもそばで笑うようにしてました…いつ亡くなってしまうか分からなくても、私が出来ることは母がやりたい事をやらせてあげる事だったので母は闘病中でしたが仕事もトリプルワークするなど破天荒な事をしてました(^_^;)
11年目の時にもう治療はしたくないと母から言われ病院でも余命3ヶ月と診断されました、その時も母の両親は治療をして欲しいとずっと言ってましたが私が母にしたいようにすればいいよと言いました!母は十分すぎるぐらい治療をしてきましたし、治る見込みが無いこともわかってましたのでその時まで楽しい事しようと最後の日まで笑い合える事をしてました‼️
はじめてのママリ🔰
長文になりますがコメント失礼します。
4年前に弟を癌で亡くしました。甲状腺癌→大腸癌→腎臓癌の順に癌が見つかりました。24歳でこの世を去り、当時は私も両親もとても辛かったです。
何度も手術してきましたが、最終的には手術も難しく、抗がん剤も効かない所まで症状が進行しました。効果のない抗がん剤を続けてしんどい思いをするくらいなら、抗がん剤をやめて最期は少しでも楽に過ごさせてあげることを家族で話し合って決意しました。
私は少しでも長く弟の傍に居てあげたかったので、弟が余命宣告をされてからは仕事を休職しました。私自身結婚して数日だったので、日中は実家で弟と過ごし、夜になったら自分の家に帰る、朝また実家に行くという生活をしていました。
コロナ禍全盛期で入院したら家族すら面会出来ない状況になる為自宅療養を選択し、訪問看護や訪問介護を利用しながら生活していました。私自身介護職だった事もあり、入浴だけはヘルパーさんに任せてその他の身の回りの世話は私がメインでしていました。
弟が元気な時は一緒にゲームをしたり車椅子に乗せて気分転換に出かけたりと弟が望む事をしました。友人達もたくさん会いに来てくれました。体がしんどくてもきっと無理して気高に振舞っていたと思いますが、たくさんの友人に会えて嬉しい気持ちの方が強かったと思います。
抗がん剤をやめてすぐの頃は元気で顔色も良かった為、家族写真を撮りに行ったりもしました。
元気な時もありましたが、やはり末期癌なので辛そうな日の方が多かったと思います。
最終的には訳の分からない事を言うようになり、意思疎通が困難になりました。内臓が機能しなくなっていき、分解しきれなかった毒素が脳に回ったと思われます。そうなってからは夜も実家に泊まるようになり、24時間一緒に過ごすようになりました。
毎日泣きましたが、一番辛いのは弟だと思ったので、弟の見える所では涙は出さないよう堪えました。弟の最後の記憶を、悲しむ家族の顔にしたくなかったからです。正直可哀想すぎて見ていられないと思いましたが、意思疎通が難しくなった弟の傍から片時も離れなかった事は全く後悔していません。
弟の最期は家族全員で看取れました。最期の時は吐血するだろうと訪問医から言われており、言われた通りでした。吐血と聞いたり見たりすると怖く感じますが、それがあったからこそすぐに家族全員呼ぶ事が出来たので、弟からのサインだったと思っています。
弟が亡くなって暫くの間は毎日のように泣いていたし、今も文章を打ちながら涙が出てきます。
ですが、家族の事が大好きだった弟なので、私たちがいつまでも悲しんでいる姿は見たくないだろうと思うようにしました。そこから少しずつ前を向けるようになったと思います。
私たち家族も、症状が良くなるよう希望は捨てませんでしたが、考えたくないですがいつも頭の片隅で弟の最期を考えながら後悔のないようにと過ごしてきました。
お母様が嫌でなければ、ご友人等お母様と関係の深い方に会いに来て頂いても良いのではと思います。
大好きなお母様の辛そうな姿を見るのは心苦しいと思いますが、どうか傍に居てあげて欲しいと思います。そして、恥ずかしくても、感謝の気持ちや大好きな気持ちを言葉で伝えて頂きたいです。
一癌患者の家族として、起きた事や私の気持ちをありのままを記載しました。恐怖を煽ってしまったりお母様の最期を考えさせてしまうようなコメントで申し訳ありません。
末期癌でも奇跡を起こす方もいらっしゃいます。後悔のないように過ごしながらも、希望も捨てずに過ごして頂きたいと願います。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
あづ
7年前に全く同じ経験をしました。
発見した時点でリンパへの転移があり手遅れ、1年半で亡くなりました。
慌てて妊活して孫の顔はなんとか見せられましたが、実家も遠いしそれ以外のことは何も出来なかったです😥
途中からいつ帰っても「痛い痛い」と泣きながら麻薬を飲み、夜も寝られない状態になってて見てるのが辛かったです。
最後は黄疸が出て「治療が出来なくなりました」と言われ、里帰りして半月ほど実家で過ごして看取りました。
眠れなかったはずの母が1日中眠るようになり、何も出来なかったけど最期にそばにいられたことは良かったと思ってます。
後悔のない最期なんてないかもしれないけど、病気じゃなくてもある日突然亡くなることって普通にあるし、余命宣告をされることで最期を覚悟できるのは不幸中の幸いなのかなって思います🙇♀️
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