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はじめてのママリ🔰
ココロ・悩み

父の急な死による喪失感や悲しみ、乗り越え方について相談したいです。

すみません、弱音聞いてくれますか?

いまの感情がぐちゃぐちゃなのでうまく文に出来るか分からないですが、
先週私の大好きな父が亡くなりました

両親は私が中学のときに離婚しているので
父とは離れて暮らしていました
離れて暮らしてたけど、忘れることはなかったです

20歳前後、年頃なので連絡を取らないのも何年かありました

1回だけ会ったけど、それっきり、また連絡取らなくなり

それから2年後
突然電話が来て、「父さん、ガンになっちゃったよ、死んじゃうかもなー…」って心細そうな声の電話がきました
ガンは2個見つかり、短期間で5回の手術、ICUで人工呼吸器と、どんどん悪くなっていきました

ですが、ある日突然良くなり、ICUを抜け、一生取れることはないと言われてた人工呼吸器が取れ、お家に帰ることが出来ました(先生に奇跡と言われた)

私はその頃ちょうど、子供を授かり
出産して、落ち着いたら孫を見せにと思ったら、コロナが流行りだし、
1年ほど孫を見せられなかった

そして、今年の年明け
遊びに行くねー!って言ってたのに、
息子が喘息になって行けず、日付を変えてもらって、そしたら家族全員でコロナに感染

こうやって月日が経っていくうちに、
父がまた入院。脳梗塞でした

右半身麻痺があり、失語もしてて回復が難しかったので
6月に療養型病院に行く予定が決まってました

5月下旬、病院に用事があり、行った際に
ちょうど今日の朝調子が悪くてレントゲン撮ったら
心不全になってるねって
でも、大丈夫、頑張るからって先生が言ってくれた

その四日後、亡くなりました

急すぎて、なにがなんだか分からなかった

また延命治療をしたら良かった?でも、見てる方も苦しい

コロナのせいで孫を見せられたのは2回だけ
9月にもう1人生まれるのに、見て欲しかった
なんで、妊娠中の今?
コロナのせいで面会も禁止されて
コロナのせいで会えたのはホント、最期の苦しそうな呼吸の時だけ
最後会話したのは年明け


もうヤバいかもって、呼び出されて病院に着いた頃には、もう苦しそうで、呼びかけても反応なし。ただ必死に息してた
夜も遅いし、妊婦だし、1回家帰りなさいって先生に言われて帰って、朝また病院から呼び出されて、
病院着いた頃にはもう息が止まってた

目と、口を大きく開けて、苦しそうな顔のまま死んじゃった

まる2日間は、受け止めきれなくて泣きまくって
でも、こんな泣きまくってると、お父さんも心配すると思って、頑張ろ!ってなったけど、ただ現実逃避をした一時的な感情で
火葬の時、最後に顔みて、ホントに死んじゃったのって
目の前で火葬ボタンが押されて、あんなに悲しいお別れってあるんだって

火葬が終わり、目の前で出された時には、入ってた棺もなくて、骨だけになって出てきた

骨だけになって出てきた時には、姿形はないから、何やってるのかも分からず、無の感情で骨を入れてた


火葬から2日経ちましたが、
毎朝、毎日、毎晩、目に入る御骨
見る度に、骨になっちゃったんだな、、って思ってる自分と、まだどこかで生きてるんじゃ?まだ居るんじゃ?って思ってる自分
現実を受け止めなきゃなって思ってる自分と、受け止められない自分、もう居ないのなんて信じてない

なんとも言えない感情に襲われてます


お線香あげる時も、なにやってんだろ?これお父さんなの?って受け止められない自分

月日が経つにつれ、逆に辛いです
日に日に喪失感がすごいです
辛すぎて写真も見れません



バーッと書いてしまい長々と読んで下りありがとうございました


みなさんは、家族の死をどうやって乗り越えましたか…?

コメント

はじめてのママリ🔰

思わず、コメントさせて頂きます。
私の両親も中学生の時に離婚、
数年あまり連絡を取らない期間もありましたが、とても仲が良く親友のような父でした。
父が癌を患い、5年闘病の末、第一子妊娠中に亡くなりました。
孫の顔は見せられませんでした。
亡くなった後、火葬まで1週間あり、毎日父の亡骸に話しかけてながら泣き続けました。
火葬場では、扉が閉まった瞬間に何と言ったか思い出せないほど叫び泣きました。
お骨になり、四十九日が過ぎ、納骨をしても、寂しいものは寂しいです。
ずっと、泣いてもいいんですよ。
写真を見るのが辛いなら、今はやめておきましょう。
私も、遺影を見るだけで涙が溢れ、しばらくは見る事ができませんでした。
しかし、どうか出来なかった事よりも、出来た事に目を向けてください。
下の子は見せられなかったかもしれないけれど、上の子には2回も会えた。
4日前には会話もできた。
息を引き取り前に、苦しそうだったけれども、会えた。
きっと、お父さんは主さんが来た事がわかっていたはずです。そして、嬉しかったはずです。
今、泣いてばかりで心配させてしまうかもしれないと無理に泣き止む必要はないです。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、私の場合は、子供と、時間が悲しみを乗り越えさせてくれました。
子供が居なければ、私も後を追っていました。
それほどのショックでしたが、乗り越えられました。
乗り越えた、というより、子供に救ってもらった形となり、あまり参考にならないかもしれませんが…。
ただ、父が亡くなって、数年経ちました。
前ほど回数は減りましたが、今でも時折、いきなり、涙が溢れて来ます。
寂しいものは寂しいです。
だって、大好きな人に会えないのだから、仕方ないです。
沢山泣いて下さい。
好きなだけ泣いて、お父さんを思って下さい。
そんな姿も、きっと見守ってくれているはずです。
愛しい娘なのですから。
そして、いつか、自分も天命を全うした暁にはまた会える、と
私は、そう信じています。