阪神大震災から30年、私にとっては幼少期の記憶であり、ほとんど覚えて…
阪神大震災から30年、私にとっては幼少期の記憶であり、ほとんど覚えていないのだけれど、私が寝ていた場所に大きなタンスが倒れてきてそれを母が間一髪で助けてくれたこと、揺れがおさまったあとに寒くて暗い部屋で机の下に縮こまっていたこと、ぐちゃぐちゃの家の中から紙とペンを探し出して両親が片付けている中、床のわずかなスペースでお絵描きしていたこと、テレビがつくようになってつけた時に、両親がなんやねん、これ…と火の海になった神戸の街やつぶれた家々を見て絶句していたことを、覚えている。そしてこの日がきて震災のニュースを目にするとやはり涙が溢れ出てくる。生かされている命に感謝をして生きていこう。そして、私が子供たちを守る立場。防災を意識して、生活していこう。
- みかん
コメント
はじめてのママリ🔰
貴重なお話ありがとうございます。関西には住んでいませんが阪神淡路大震災の時、私も子どもながらニュースを見ながら大変なことが起きたと感じていたことを思い出します。
本当におっしゃる通り、生かされている命に感謝して、子どもたちを守っていかなければですね✨
みかん
読んでくださりありがとうございます。私は幸い家族や親戚にも犠牲になった方はいませんでしたが多くの方が辛い目にあって、あの日を堺にさらに防災教育が見直されたと思うとやはり被災者として今後も防災に目を向けてアンテナ高くして生きていかないといけないと感じています。日頃はなかなか命に感謝するということが疎かになってしまいますので今日という日に改めて自分の置かれている環境に感謝したいなぁと思います。