2014.11.2 thu 6:02大きな産声はちゃんと覚えてる。ママが肩をポンって…
2014.11.2 thu 6:02
大きな産声はちゃんと覚えてる。
ママが肩をポンって叩きながら『産まれたよ~!』って声をかけてくれて、ともくんと手を握りあったのも覚えてる。
ママとともくんが分娩室から出されてすぐ、赤ちゃんは逆さまにされて沢山おしりを叩かれて、口から長いチューブを入れられて誤飲物を吸ってもらってた。分娩台の目の前のモニターで何度も繰り返されるそれをうつらうつらしながら見てた。
一時間近くたった頃かはわからないけど赤ちゃんだけ少し遠い大きな病院で診てもらうことを先生に聞いた。「退院したら早く赤ちゃんに会いに行ってあげましょう」の言葉で赤ちゃんの方が長い入院になることがわかった。分娩室の前でママとともくんにもそれを話している声がなんとなく聞こえる。
いきんじゃだめなときにいきんだりして苦しめたからだ、上手に産んであげられなかった。悔しくて涙がにじむ。
分娩室に戻ってきた先生が何度も赤ちゃんの手を指で握ったりさすったりするのがモニターにずっと映る。赤ちゃんは目をパチパチ開けて横を向いたりしてた。元気そうに見えてまた涙がにじむ。
さらに一時間近くたった頃か、少し遠い大きな病院から女医さん含め3人の方が到着した。軽く挨拶をされてまた目の前のモニターで処置をされる赤ちゃんが映る。チューブが鼻からも口からも通る。赤ちゃんの顔が真っ赤に泣き顔に変わってく。
我慢してたけど涙がボロボロ出て止まらなくなった。おばあちゃん看護師が気づいてティッシュをくれる。
女医さんにまた説明されて「退院して元気になったら会いに来てあげてください」と言われた。先生が「お母さんまだ触れてないからタッチしてからいきましょう」と言ってくれた。
だっこされた赤ちゃんが近づいてきて、小さな手を握ることしか出来なかった。涙が止まらなくて何も言えなかった。
でも赤ちゃんの手はすごく温かくて感動してさらに涙が溢れた。
この初めて感じられた体温は忘れたくない。
そのまま赤ちゃんは保育器に入れられて搬送されたらしい。ママとともくんはそれを見てただけで触れなかったらしい。
一人になった分娩室にやっとママとともくんが入ってこれた。ボロボロ泣く私に「もう泣かないよ、大きな病院でちゃんとしてもらえるからね」って目を真っ赤にしてママも泣きながら私の涙をピンクのタオルで拭いてくれた。
ともくんは手を握って「お疲れさま」って頭を撫でてくれたりした。
※今病室でメモもなかったので
自分の記録としてここに残します。
- m!sak!☆(9歳)
m!sak!☆
病室に移っても涙が止まらなかった。「ごめんね」って繰り返す私に「美咲ちゃんのせいじゃないよ、頑張ったよ」ってともくんが言ってくれる。「謝るなら慶太郎に」って。
11時に大きな病院で説明がある。ママとともくんが向かってくれた。私のもとにはお姉ちゃんを送ってくれた。
分娩のあと無痛の処置をされた私は麻酔で下半身の感覚がにぶい。点滴もされてる。何もできない私の介護をお姉ちゃんがしてくれる。
麻酔が完全にきれてきたのか痛みの方が強くなってくる。立ったら痛くないんじゃないかとやってみたら貧血でダメだった。時間が経つにつれて息が上がってきて最終的に泣くほど痛かった。ロキソニンじゃ効かない。
「どうしてもってときは注射さるから言ってね」と言われてたので昼過ぎにやってもらった。そのあとすぐに寝れたようで2時間後くらいに起きた。
15時~16時くらいにママとともくんが帰ってきた。
m!sak!☆
赤ちゃんは胎便吸引症候群で肺に便を吸い込んでしまってた。それによる呼吸困難。今は機械で酸素を送っていて、肺出血もしているので暴れたりしないように薬で眠らされている。
1週間はそこからさらに合併症を起こさないか回復を見ていくらしく、入院自体は1ヶ月くらいを目処に考えているとのことだった。
1ヶ月は我慢。回復を祈るしかないと思った。私にできることは会いに行くことと、母乳を届けること。冷凍保存の説明の紙をもらった。
ともくんは向こうで初めて赤ちゃんに触れたらしい。面会にも沢山のルールがあるみたいだった。
ともくんはこのとき明らかに疲れてた。11日の日勤から帰宅後には陣痛が来始めててそのまま12日の朝の出産まで立ち会った。さらにそこから遠い病院まで運転して、難しい話を聞いてきてそれを私に説明して…。ママも同じようにそんなともくんについてずっと動いてくれてた。本当に感謝しかない。
このあとともくんは自分の両親にも説明して、夜には恩師のお通夜に行く予定だったので一旦帰宅した。
ママとお姉ちゃんも家のことがあるから一旦帰宅。ママはまた夜に来てくれて夕飯を一緒に食べた。
そんな入院一日目が終わった。
m!sak!☆
いや、終わってなかった。
夕飯を食べる前に再び注射をしてもらった。一気に頭がボーっとしてきてご飯を食べながらも寝てしまったり、ろれつが回らなかったり。
喋りながらも自分が夢の中で喋ってるのか現実なのかわからなくなるほど。
そんな中、心配したお兄ちゃんが病室に顔を出してくれた。あんまり会話が出来なかったように思う。ほぼ覚えてない。
向こうの病院がくれた赤ちゃんの写真をお兄ちゃんにも見せた気がする。
「ともくんが仕事のときは俺が休みの日向こうの病院連れてってやるから。とりあえず今日はお疲れ様」って寝てる私にポンポンして帰っていったのは覚えてる。
ママもそのあと少ししたら帰っていった。私はいつ寝たのか記憶にもないくらいすぐ眠った。
m!sak!☆
2日目の朝は6時には起きてた。傷は相変わらず痛くて座れない。ロキソニンに頼ってる。
12時前にはともくんがきて病院の出産お祝い膳がある。それが来る前にともくんの昨日の話を聞いた。
ともくんのご両親がとても心配してること。お義母さんは昨日の心配すぎて「家で待ってて」というともくんの言葉を無視して向こうの病院に一人で行ってしまったこと。
昨夜の恩師のお通夜の様子のこと。高校が同じだった私とともくん。もちろん私にとっても恩師。ニュースになるほどの事故に巻き込まれた先生は、老けたでもなく、高校の頃と全く変わらない顔で寝てたとともくんが教えてくれた。お通夜中涙が止まらなかったと聞いた私も涙が溢れて止まらなかった。
お祝い膳が病室に届いて二人で食べる。それを食べながら昨日赤ちゃんに会えたときの話を教えてくれた。
m!sak!☆
NICUに入って赤ちゃんに会えた瞬間、沢山の管が付いているのを見て涙が出たと言っていた。
看護師に心配されつつ、ちゃんと触れあえたそうだった。
「すごく柔らかくて、スベスベで、温かくて、可愛かった」
「手も足もちっちゃくて、爪もしっかりあって、赤ちゃんてあんなに小さいんだね」
たくさんの感想を持ってきてくれた。
あのときは私も手を握ることしか出来なかった。触った瞬間お別れだった。満足に触れ合えなかったけど、ともくんがしっかり触れ合ってきてくれて安心した。
今日も赤ちゃんに会いに行ってほしいとお願いした。カメラで写真を撮ることを許されていたので毎日会いに行って毎日写真を撮ってくることにした。
ともくんとの他愛もない話もどんな話をしていてもふと赤ちゃんのことを考えてはグズグズ泣いてた。
ずーっとずーっとお腹にいたのに急に離ればなれになってしまった。お腹はもう動かない。キックゲームをしても返ってこない。誕生の瞬間を見たはずなのに目の前にもいない。
寂しくて不安で仕方なかった。
私のせいで赤ちゃん苦しめてた。あんなに小さな体で頑張って生まれてきてくれたのに、誕生の瞬間が人生最大のストレスと言われているのに、母である私がさらに苦しめてしまった。
酸素も上手く送れない、何回も息んでしまう。苦しかったよね、ごめんね。本当にごめんね、悔しくて仕方ないよ。
早く会いに行きたい。
色んなことを思っては涙が止まらなかった。
そんな中、助産師さんが顔を出してくれた。
「悲しくなっちゃった?そうだよね。あのね、先生も心配しててね、お母さんの体調さえ良ければ外出許可は出せるから向こうの病院行ってきていいよって言ってるんだけどね、まだキズが痛くて動けないよね。」
産後すぐ無痛の処置をされてる私は48時間安静だった。広範囲のキズも腫れていてまともに歩くのもまだまだだった。
「じゃあまた良くなってきたらご家族とも相談して入院中行けることになったら教えて?今日は診察もあるから先生からもお話聞いてみてね」
m!sak!☆
私の退院まで待たなくても会いに行けるかもしれない!とても嬉しくなった。
ひとまず自分が元気になること。歩けるようになる、座れるようになる。さらに私には課題があって、尿を自分で出せるようにすること。
何回トイレに行っても出せない。感覚がわからない。行きたい気がするのに出てこない。
苦しくなってきては看護師さんたちにお願いして出してもらってた。
そのうち出せるから大丈夫よって言われてたけど、やっぱり焦ってた。
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