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はじめてのママリ
雑談・つぶやき

父が亡くなり、最後の瞬間に立ち会えなかったことを悔いています。父の強さを誇りに思い、感謝の気持ちを記録に残しました。

父が死んだ。

大好きな父が死んだ。

私と妹と弟は、付き添いの間の休憩で昼ごはんに出ていた。

部屋に戻ったら、バイタルの測定モニターにうつる「0」の文字と、呼吸が止まった父。

「え!?」

この入院期間、あれだけ粘った父が、

あんなに戦った父が、

こんなにもあっけなく逝ってしまうなんて。


酸素の数値が悪くなってきた頃、人工呼吸器どうしますか?と聞かれ、「自分の体は自分が一番わかっているから」と拒否した父。

せん妄の症状が強くなったり、透析で2度も意識が飛んだり、腸から4度も下血したり、そのたびに乗り越えてきた。

以前からしばしば入院しているがそのたびに乗り越えてきたのだ。

今回も、なんとかなるだろうと思ってた。




家に帰れない、2度とごはんはたべられないでしょう、と宣告された日。

父は家に帰りたがっていたし、店屋物の親子丼とかサンデーを食べたいと言っていた。

今まで散々我慢したのだ。

今、天国で好きなものを食べられているだろうか。

死んでしまったこの状況に、「参ったな…」と片眉さげて困ったような笑顔で笑っているだろうか。

父の死に目に会いたくて、3日間病院に泊まり込んだ。

私も妹も、風呂も入らず、足もむくみ放題。

それでも最後の最後の、本当に肝心な瞬間に立ち会えなかった私たち間抜けな兄弟を、

「パパが大変な時にどこ行ってたのよ!」って困った笑顔で笑ってくれているだろうか。

今までありがとう。



私は、父の病状に変化があった際いちばんに連絡を受けてそれを家族に伝える係だった。

「〇〇病院」の文字がディスプレイに映ると、たいていはよくない知らせなのでドキッとする。

「反応が鈍く、呼吸が弱いので会いに来てもらった方がいいかもしれません」と言われたその日から、約1週間、父は強靭な心臓で、粘りに粘って、持ち堪えました。

医者からは、本当に強い、頑張っていると言われ、誇らしい気持ちになったっけ。

だって私の父だから。

私の大好きな父だから。 



父がこの世にいないなんて考えられない。

まだ気持ちの整理がつかないけど、今日の日の気持ちを忘れたくなくて記録に残します。

最後に思いっきりハグしてお別れができました。

ハグなんて子供の頃以来。

大好きな父へ。

今まで本当にありがとう。

わがまま自由奔放娘でごめん。

大好きよ。

忘れないよ。

パパの子供でよかったよ。

ありがとう。

コメント

k

最愛の子どもたちが何日もそばに居てくれて心強かったのではないでしょうか。
子どもたちがお昼に出て静かになった部屋で、お父さんは何を思ったのかな。
「自分の体は自分が1番わかってる」
その言葉通り、その時が来るのもきっと分かっていたのかな。
何度も何度も危険な状況を乗り越えた姿はお父さんもご家族も本当に誇らしいだろうと思います。
生涯を全うし安らかに天国に逝ったように思います。
素敵なお父さん、素敵なご家族ですね。
きっとこれからもずっとそばで見守ってくれています。

まこ

涙が出ました。

私の父も癌、再発、指定難病、肺炎、
色々あって今やっと前に向こうとした途端新たに膀胱癌かもしれないと今日病院から言われました。

たぶんもう乗り越えられる体力が残ってないです。


そして私は今夫の仕事の都合で海外にいてあと1年帰れません。

どうかあと1年生きてって願ってます。


父が死ぬんじゃないかって思ってから、怖いです。
でも、あなたの投稿を見てなんて素敵な娘さんたちで、お父さんも幸せだっただろうなって思えました。


私も父に幸せな人生だったと思ってもらえるようにしたいです。

今日リアルに父の死を感じてたところこの投稿を見て涙が止まりませんでした。

ご冥福をお祈りします。