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ふく
ココロ・悩み

不登校の理由について、過去の経験を通して言葉にできなかったり、違う理由をつけたりすることがある。現在も不登校の子供たちがおり、言葉にしにくい状況。大人にはどうしてほしかったか。

不登校の理由って本当はなんでしたか?

ご本人がかつて不登校だった方、今説明するなら不登校の理由はなんだったと言えますか??

子供の頃って大人に気を遣ったり本当のことを喋れなかったりして違う理由をくっつけて済ませてしまうこともあったかと思います。
また当時適切な言葉を集められず言語化できなかったケースもあると思います。

今身近な子供たちが不登校になっている状況があります。
明確な言語化が難しいようです。
本人も辛そうです。

学校に理由があるケース、家庭に理由があるケース、その他の場合もあるかもしれません。
その時、大人にはどうして貰いたかったですか??

コメント

はじめてのママリ🔰

理由はなかったと思います。
学校は居心地の良い場所では無かったけど、いうほどでもなく。
なぜか朝が起きれなくなって行けなくなりました。
起立性調整障害というのを最近知りましたが、それだったのかなーと思ってます。

  • ふく

    ふく

    教えてくださりありがとうございます。
    起立性調整障害というのがあるのですね。様々な症状が出ると見かけましたが、当時そういった身体の不調は自覚できましたか??
    それともなぜか朝起きられないという自覚できないものでしたか??
    特に心因性のものはなかったとのこと、大人はあれこれ結びつけたすぎて、逆に見落としてしまう理由かもしれません。
    適切な医療に繋がることが大切なのですね。

    • 7月11日
はじめてのママリ🔰

小学生高学年の頃は両親の離婚や、忙しい母と一緒に居たくて不登校でした。
中学校に上がると女子の中で色々な噂話や軽い無視などのいじめを見ていくうちに人が怖くなり行けなくなりました。
あの時大人たちには学校に行けない理由を聞かれたり、いじめられてるんじゃないかと心配されたり何人かの大人含めの話し合いを設けられるのは嫌でした‥
行けない理由を話すと気が弱い、馬鹿らしいと思われそうで言えなかったです。
あの頃にどうしてほしかったと考えると少し放っておいて欲しかったかな。

  • ふく

    ふく

    身近な子供たちもシングル家庭です。
    母親はどうしても仕事に行ってしまいますし、一緒に居たくてという理由がなかなか叶わないのは苦しいですよね。
    母親への愛着は離婚前と離婚後で強さや感じ方が違いましたか??差し支えなければ教えて下さい。

    子供特有の残酷さみたいなものも、自分がターゲットにならずとも理由になり得るのですね。
    心が細やかで感性が豊かだとより強く感じてしまうかもしれませんね。

    ああ、大人含めの話し合いの嫌な感じ、とても分かります…。聞くのをやめてほしい、あなたに話たいかはわからないのに逃げられない、そんな感じの…。
    そばに居るけど距離は詰めてこない安心感も大切にしたいものです。

    • 7月11日
  • はじめてのママリ🔰

    はじめてのママリ🔰

    大人になった今は、シングルで仕事をし、疲れてすぐ寝てしまったりイライラして子供の話を聞く余裕がない事は理解できますが、子供の頃は受け入れられず、理解が難しかったのかもしれないです。
    母親への離婚前と離婚後ではやはり愛着は強くなりました。
    3姉妹の長女という事もあり、離婚後はしっかりしてほしいと母も思い妹たちより甘える場面が少なくなった事も原因だったと思います‥
    両親が離れてしまうと子供ながらに母親まで居なくなってしまったらと考える事も多かったです。
    甥っ子とかを見ていると子供は繊細で感情が豊かだったり、幼稚園児でもやはり母親に対して悲しい思いをさせないように言葉を考えてたりするのを見ていると、親や大人たちも何も聞かず側にいる温かさも大切ですよね。

    • 7月11日
  • ふく

    ふく

    やはりそうですよね、大人にも事情があるとは言え、子供には関係のないことですもんね。
    兄弟・姉妹の中で1番上の子って、下の子の世話など、母親に頼られることが多くて無理してしまって自分のことが言い出せなくて、ということが起こりますよね。調子を崩すのも当然の反応なのかも知れません。

    『母親までいなくなってしまったら』という不安やパニックのような反応、かなり目にしました!
    やはりそうなのですね!
    どんなことがこの不安の払拭につながるのか、考えても悩んでしまいます。なかなか難しい問題ですね…。

    お答えいただきありがとうございます☺️

    • 7月12日
はじめてのママリ🔰

私は恐らく予期不安が強かったことが原因です。
具合が悪くなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう…などなど。
どうしようってときに助けてくれる・頼れる大人が自分の中でいなかったんだと思います。
(これは家庭環境もあるのですが、父が家庭に全く関与しない人だったので信頼度がゼロ、その分母への依存心が高くなってしまい、母以外の大人への頼り方がわかりませんでした。個人的にはこれが根本的な原因だと思ってます…)


それこそ当時は言語化できず「分からないけど行けない」と言っていました。
大声で怒る先生、生徒達のガヤガヤする雰囲気など、それらが自分の不安な気持ちを増強することは分かっていたので、それを理由にしてる時期もありました。

家庭では、母が不登校を受け入れたというか、良い意味で諦めてくれた辺りからすごく楽になりました。

学校では私の気持ちを優先してくれる保健の先生が救いでした。
学校に一歩足を入れると教室に行ってみよう、様子見に行こうと無理強いして連れて行こうとする先生も多かったので、そういう人達から守ってくれる存在が保健の先生だと思っていましたよ!

長々と語ってすみません😣

  • ふく

    ふく

    どうしよう、ってときに助けてくれる大人。なるほど、と思いました。
    身近な子供たちも母親への愛着が強く、また他の大人も『よその家庭に口を出したらいけない』と、子供たちへ直接的に関われていないところがあります。親族であってもです。
    不登校関係なく、日頃から関わりがある大人が複数いるよう、関わりを継続的に作っているかどうかがとても大切なのだなと感じました。

    なかなか言語化ってできないものですよね。今教えてくださってありがとうございます。
    ちなみに予期不安は、ご自身の性格上のものでしたか??それとも何かそういった不調だったのでしょうか??もし差し支えなければ、きっかけなどありましたら教えて下さい。

    ああ、先生や周りの大人って、それ良かれと思ってやってしまいがちですね……。かなり見かけます。
    自身がしないこと、見かけたら止めることを今後やっていきます。

    • 7月11日
  • はじめてのママリ🔰

    はじめてのママリ🔰

    お返事が大変遅くなってしまいすみません。
    コメントいただいてたのを見落としてしまってたようです😢ごめんなさい。

    予期不安は性格上だと思います。
    恥ずかしながら三十路をこえた今も「こうなったらどうしよう?」と最初に考えてしまうのは変わりないです。笑

    幼少期の「体調悪くなったらどうしよう」は心当たりがあります。

    当時幼稚園生で、夏休みや冬休みはら短期のスクールに通っていました。
    送迎バスに乗っている道中、酔って気持ち悪くなった子がいたのですが、同乗の先生もパニックになって、バスの運転手さんはその子に怒鳴っていた(席が離れていたので詳細不明です)のが結構ショックで、今もあの光景を鮮明に思い出せます💦
    「体調不良を訴えるとこんなに悪い雰囲気になるんだ」と思ったのが原因かなと思っています🌀


    昔のことを思い出していたら、小学生だとしても自分の気持ちを言語化するのって難しいものでしたね。
    改めて気付かせていただきました!
    子育てでもその認識は持っていたいです🥺

    • 10月2日
  • ふく

    ふく

    ご返信いただきありがとうございます。はじめてのママリ🔰さんの真摯さに心温められました。

    『こうなったらどうしよう?』の性格でいらっしゃるんですね☺️(でもこの性格の方は慎重でいつもみんなにも悪いことが起きないように防いでくれていますよね!)
    幼少期のエピソードは日常大人がどれだけ子供たちに大きな影響を与えるのかということが子供側から垣間見るようです。
    大人からしたら忘れてしまうような日々の一瞬でも、子供には永きにわたり影響してしまうことは心に常に置いていないといけませんね。

    言語化が難しいですから大人になった今発言していただけて大変ありがたく思います。
    子供と目線を合わせるってそういうことなのかもしれませんね。

    • 10月8日
ママリ

私の場合は友達の目を気にし過ぎていたのとただただ、メンタルが弱かったです。

昔から嫉妬の対象になりやすく
プライドが高い子が1人いて
明らかな無視から入り、それをいじめと今はなるんでしょうが当時はそんな考えはなく、特別仲良かったわけではないのでそこまで気にしてませんでしたが子供ながらに傷付いたんだと思います。

もう一つは奇数グループで何故かいつも3人。避難訓練で友達とか関係なく並んで!と言われてたのにその2人が喋って仲良く並んでて、、それを見た時にすごく嫌な気持ちになり、私ってそんな存在なんだ。と思い行かなくなりました🥲

どんな理由であれ一度行かなくなると行きにくくなります。
周りからも好奇な目で見られたりしますしね、、
身近なお子さんがおいくつか分かりませんが、小学生ならまだ焦って行かせる必要はないと思います。親も辛いと思いますが、本人がもっと辛いです。
ちょっと遠回りするくらい人生では何ともないです。
行けるようになるまで、見守るのも一つかなと私は思います。

  • ふく

    ふく

    身近な子供たちは小学生と中学生がいます。周りの大人たちは時間がどんどん去って大切な時期をもう取り返せないのではということに非常に焦っている、という感じです。
    本人も行かなきゃという気持ちが強く、出来なくて体調が悪くなり、行けたら行けたで大人たちは喜んでしまいなんだか違和感を感じてしまいます。

    人間関係に端を発する感受性の問題って、様々ですが、今思い返してみて、その時何かをすれば多かれ少なかれ解決できたと思いますか??
    やはり自身が成長の過程で獲得していくもので改善していくしかないのでしょうか??

    相手がいる問題って相手を物理的に排除・改善出来たとして、その時それを以て解決するのか、それとも本人の感受性の盾のようなものの構築の方が必要なのかが今気になっています。

    • 7月11日
  • ママリ

    ママリ


    私も同じように焦ったこともありましたし、
    親も同じだったと思います😮‍💨
    確かにその時間は取り戻せません。その年の行事ごとなど2度と取り戻す事は出来ませんが、本人が行かなきゃと分かっている以上、周りの大人は見守るしかないと思います。

    私の場合、たしかに人間関係問題が発端でしたが友達とはかなり良好で友達も多かったです。
    今も付き合っています。相手を排除することは無理ですし、相手に変わってと言うのも無理です。
    大人の世界でもそれは言える事ですが、自分が変わるしかないと結局思います。

    小学4.5年生、中学1.2年生と私は不登校でしたが、受験のためと心を震わせて3年生になったとき行ったのを覚えています。 
    行かなきゃ行けなくなったときに
    行動出来る時が必ず来ます。
    行けた時に大人が喜ぶのも目に見えてそうするのはやめたがいいかもしれませんね。行けないのが悪いみたいになるので。

    私は中1・2年の体育祭や文化祭は参加出来ず思い出がありません。ですが、それを後悔した事は一度もないです。自分が選んだ結果なので。
    それよりも、行かなかったときの母の顔が今でも脳裏に焼き付いています。辛いとき、きついときの顔で今でもその顔をされると色々思い出す部分があります。

    学校に行かないのだったら
    家でちょっと勉強してみよう。とか気晴らしにちょっと出かけてみよう。とか、大人も何で行かないの?じゃなくて行けるように道を作るのも大切だなと思います。

    • 7月11日
  • ふく

    ふく

    ママリさん 
    大人は信じて待つ姿勢が本人にとってもいいことなんですね。

    大人が喜んでいる姿はやはり気をつけたいものですね。
    ひとつ、ママリさんのように、本人が心を震わせて一歩がんばっているその姿に親は一言声をかけてあげたくなるものかもしれないと思ったのですが、どういうものだと本人も嫌じゃないのでしょうか。
    親が自分の気持ちで喜んでしまう姿には違和感がありますが、『ああ、がんばったんだなぁ…』という本人に心を打たれることはありそうだなと思いました。

    母の顔の話すごく印象的でした。

    学校に行くのが目的になってしまうのではなくて、じゃあどんな風に代わりのことができるのかなという道の作り方を学ぶ方が本人のこれからの人生、生きる力になりそうですね。

    • 7月12日
  • ママリ

    ママリ

    難しいところですよね、、
    褒めて貰うことは嬉しい事ですが行けなかった時がいけないことのようになるのも良くないでしょうし、、💦

    行けたら、頑張ったね〜☺️お疲れ様〜!!今日何食べる?みたいなサラッと褒めるのもいいかなと思います。それが自信につながる事もあるでしょうし🤝🏻

    私はそう思います。
    学校に行く事が全てではないと思っていて、でも逆に学校でしか学べない事もあると思っています。
    ですが、行けないからダメ!なんて事はないので少しずつ本人なりの生き方が出来るように大人は選択肢を広げてあげたら良いのかなと思います。

    色々わかった風に伝えてしまいすみません。私の一個人の意見として聞いて下されば嬉しいです。

    • 7月12日
はじめてのママリ🔰

こんばんは。
私も経験したので、コメントさせてください。

中学の時に不登校になりました。理由は、家庭環境の悪さからきていたと思います。詳細は省きますが、友達の家庭環境と比べたりして、どんどん自分は友達とは違う、人と違う、人といてはいけないんだというふうに自分で自分を追い込んでいました。
気がつくともう人に会うのが怖くて、嫌で、学校に行けなくなりました。

親族や先生にも不登校の原因を問われましたが、当時はうまく言葉にできず余計に辛かったです。それに、言っても分かってもらえないと思っていました。

その時大人にして欲しかったことですが、学校以外の話をしてくれる大人がいてほしかったです。何でも話せる大人がいてほしかったです。すごく甘えなのですが、私がどんな風であってもずっと寄り添ってくれる大人が1人でもいてくれたら、違っただろうなと思います。
私が人との関わりを持つのを嫌がったので、難しかったんだと思いますが…

その後2年ほど経った頃、自分で自分の殻を破りたくなり、環境を変えてなんとか無事高校も卒業できました。


書いていると、自分の心が少し整理できました。聞いてくださって、ありがとうございます。

  • ふく

    ふく

    目の前の友人が同じ空間にいるのに違う世界に生きているようでどこか交わらない、そんな感覚に近いでしょうか。
    中学時代のクラスメイトで、学校に来たら誰にでも分け隔てなく喋ってくれ、気が良く、人の感情に敏感で、そしてどこか大人びていた子を思い出しました。
    その子も家庭環境が複雑でそのうち学校で会うことがついになくなってしまいました。

    大人の見えているその子と、私たちが見えているその子は別人のようで、真に理解してくれた大人がいたのか、はじめてのママリ🔰さんのお話を聞いて心が滲む思いがします。

    ただ、みんなそうなった時に、留まってしまっている訳じゃない、他の誰がではなく、いつか自分で変えていけるのだな、とお話を聞いて思えるようになってきました。
    何かを打ち破る時って、その瞬間まで本人がどんなに力を加えていても周りからは変化を感じ取れないのと同じですね。
    周りでうるさくするのではなく、近くで居場所の確保することや本人自身に関心を持っている大人であることの方が役に立てそうですね。
    教えてくださってありがとうございます。

    • 7月13日