
母親が亡くなって4年目、夢で身辺整理を依頼されたが受け入れられず悩んでいます。自分の気持ちと母親の気持ち、どちらを優先すべきか迷っています。
長くなってしまいました。
亡くなった母親の夢を久しぶりに見ました。
今回は、亡くなったはずの母親が自分の身辺整理、終活をしている夢でした。
「これほかしてきて(捨ててきて)」と言われ、手渡されたのは夢の中で母親が大切にしていた切り抜きでした。
私が「これほかすの?先生がどうもないって言わぁたら戻ってくるんやろ?」と聞き返すと、
「もういらんでほかして。もう戻って来ぉへんで」と言われました。
亡くなった母親が健在だった頃、なくなった祖父が私のお菓子を食べようとする夢を見て、「じぃちゃん私のお菓子食べに来たで何か供えて欲しいんかもしれへん」とか話してたことがあったんです。
確かに、母親が亡くなったのは突然で、身辺整理や終活をする暇なんてありませんでした。
そして今も、母親が亡くなったことを認めたくなくて、私が着られそうな服を持ってきて着てる以外はそのまんまにしてあり、物置状態になっています。
母親が亡くなって今年のお盆で4年目になります。
今度の三連休、出産を終えて初めて地元に里帰りすることが決まっています。
母親は自分の代わりに身の回りのものを処分してほしいのかもしれない。それを夢で伝えてきたのかもしれない。
でも私はまだ、母親の死を受け入れきれてなくて、まだ捨てる気にはなれません。
でも、できるのは父親かひとりっ子の私しかいないんです。
父親はもう還暦をとっくに過ぎています。
もしかしたらボロ屋となった実家は、父親の亡きあと、誰も住まないかもしれない。
だからこそ、母親は何とかしてもらおうと夢で伝えに来たのかもしれない。
このことを離させてもらってる今も涙が止まりません。
そろそろ母親の代わりに身辺整理をするべきなのでしょうか?そろそろ死を受け入れるべきなのでしょうか?
いつかしないといけないのはわかってるけど辛すぎます。
捨ててしまったら、もう帰ってこないことを認めてしまうようで…。
母親の気持ちと自分の気持ち、どちらを優先するべきなのでしょう…。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
- 結優(2歳4ヶ月, 8歳)
コメント

コットンキャンディー☺︎
ぺいさんの、文書をみて、泣いてしまいました(´;ω;`)
辛かったですね。。
私も一人っ子です!
父は生きては居ますが別々な道を歩んでいます。
母が死んだら、、と思うととてもとても悲しく立ち直れません。。
もしかしたら、お母様は、ぺいさんに伝えたい事があるのかもしれませんね。
整理をしたら、何かが出てくるのかも。。?
辛すぎますよね。。想像しただけで涙が、。
少し、、少しだけでも整理をしたら何か変わるかな。どうかな。

ゆん
読んでるだけで涙が出ました。
遺品整理したとしても、自分の心の中には、常にお母さんがいると思います。
それに、夢に出てきてくれたなら、お母さんの気持ちを優先してあげるべきだと。
辛いですよね、
もし自分の母親がいなくなったらって思うだけで泣けてきます、、、
-
結優
そうですよね(>_<)遺品整理したからと言って、母親が完全に記憶からも消失してしまうわけではないですもんね(^_^)
なんかその言葉を聞いたら気持ちが楽になりました。
滋賀に帰ったら父親に相談してみようと思います。ここで相談してみてよかったです(*^^*)- 1月3日

みずほ
私も3年前母を亡くし、今生後2ヶ月の娘を育てています。
境遇がよく似ていて、ぺいさんの気持ちがすごくよく分かります。ただ私の場合、母はゆっくり死に向かっていったので心の準備をする時間がありました。
それでも母の存在は大きくて精神のバランスが崩れました。
そして母の死後に結婚、出産をしてますます母を強く思うようになりました。
ぺいさんは突然だったから、さぞかし辛かっただろうと思います。
孫を見せてあげたかったですよね。
私はぺいさんの気持ちを優先するべきだと思います。
実は私も母からもらった古いアイロンを年末に処分しようとして粗大ゴミの袋に入れたものの、どうしても捨てきれずに袋から出してしまいました。
古い携帯のメールも未だに時々見返します。
実家で1人暮らしをしている60代の父は、母の服は全部処分したものの、お骨をまだお墓に入れていません。
遺された人のペースでいいと思います。ゆっくりゆっくり。
お母さんはちょっとずつ整理していきなさいよ、という意味で夢に出てこられたのでは?物と、気持ち両方の整理を。
三連休はお母さんの遺されたものをもう一度眺めてみて、処分できそうなものがあれば処分する程度でいいのではないですか?
私ならそうします。写真に撮ったりして。
無理をせず、ゆっくり前に進みましょうね。
長くなってごめんなさい。
-
結優
すごく境遇が似てますね(^_^)
そっか☆無理して捨てることはないんですね(^_^)
とりあえずものと向き合ってみて、大丈夫そうならゴミ袋にいれて、ダメならまた取り出せばいいんですね(^_^)
それならできそうです☆今はまだ子どももよく泣くし、長時間はできないからちょうどいいかも(*^^*)
コメント読んでたらなんか温かい気持ちになってきました。ありがとうございます(*^^*)- 1月3日

t.a.
初めまして。
私も実家が滋賀で年末に父親を亡くしました。
まだまだ信じられなくて同じような思いを
されているのでコメントさせて頂きました。
大事な人失くすって本当に辛いですよね。。
夢であってほしいと何回思ったか。
お母様が会いに来てくださったのなら遺品整理と向き合って見ていいのではないかなと思います。ダメだったらダメでそこはぺいさんのペースでいいと思います。
ゆっくりでいいと思いますよ。
お母様も娘のぺいさんの想いきっと分かってくれると思います。
-
結優
なんとまぁ☆滋賀が地元とは(^_^)方言伝わりました?(笑)
ホンマに今でも夢のような気がしてます。心にポッカリ大きな穴が空いてしまったというか…。
母親が亡くなって落ち着いてから着られそうな服を持って帰るときも泣きながら話したんですよね…。
そして母親のを着てるけど、あぁもうこれを着ることは無いんやなぁと思うと泣きそうになってしまいます。
思い出の番組とかもあって、それを見てもまた思い出すし…。
いつになったら楽しい思い出に変わるんかなって。
でもそろそろ少しずつ始めないとですね(>_<)- 1月3日

ちゃら
おはようございます。
すみません…夢でお母さんに逢えたのすごく羨ましいです(>人<;)
私の母も急に7年前に亡くなりました。
あまりものを持たない人だったので、遺品と言っても服とかはほとんどなくて、細々した雑貨や小物ばかりなんですが…なかなか整理できないです。
初めて整理をしようと少ししたのが、3、4年ほどしてからだったと思います。
一つ一つ見ては思い出が出て来たり…見るだけで全然整理ができませんでした。
2年ほど前にしたときに少しだけ処分しました。
私の実家も父がいなくなったら、誰も住まないので処分すると思うので、きちんとしなければとおもうんですが、私も今2ヶ月の子がいて、年内に仕事も復帰するので、次はいつできるかわかりません。
私は今滋賀にいて、実家は高速で2時間ほどなので、そこまでの距離ではないですが、帰ってもなかなか整理に気持ちが向かない&時間が取れないので、もしぺい様が今回の里帰りで少しでも時間が取れそうなら、少しだけしてみたらどうでしょうか?
無理に捨てる必要はないと思います。
私は初めて整理をしたとき、母との楽しい思い出ばかりが出て来て、してよかったと思います。
今では子供たちに冗談で『ばあばきっと今上からなんか言ってるわ☆』とか話せるようになりました(^^)
-
結優
なんとまぁ☆今、滋賀にいらっしゃるんですね(*^^*)不便じゃないですか?(笑)
ちゃらさんもお母さんを亡くされてるんですね…。そして遺品整理を始められたのが、ちょうど私と同じくらいの頃からだったんですね。
今回は二週間ほど滞在予定なので、少しだけ部屋を覗いて考えてみることにします。
仙台から滋賀に帰ったら少しくらいは整理始めてもいいかなと思っても、いざ部屋に入ると何もできなくなってしまうかもしれないので…。
私もいつか哀しみが消えて、ちゃらさんみたいに心から笑ってばぁばのことを話せる日が来るのかな(*^^*)- 1月3日
-
ちゃら
滋賀県不便です笑
私も1人目のときは子育てもわからないことだらけで、教えてほしいことがいっぱいあって、お母さんがいてくれたら…って落ち込むことばかりでした(>人<;)
今は3人の子供たちがいるので、落ち込む暇も与えてくれません笑
やっぱり何かの節に寂しくなることはまだまだありますが…
子供には写真を見せながら、おばあちゃんはこんなんでーって話をしています(^^)
いつかぺいさんもそんな時間が持てますように☆- 1月3日
-
結優
やっぱり不便ですよね(笑)
今、私は仙台に住んでますが、一年間名古屋に住んでたときは都会過ぎて辛かったです(笑)
三人もお子さんがいらっしゃるとそれは大変でしょうね(>_<)
私もお腹にいた頃いろいろお話してたように、ばぁばのこと話したいです(*^^*)- 1月3日

ナカ
私も一年前に大好きな母を突然亡くしました。
ほんっとあっという間の出来事で頭ではわかっているのに母の死をまだ受け入れれない自分がいます。
楽しい時、悲しい時、どんな時でも思い浮かぶのは母で母に会いたくて思い出しては泣いています。
私も母親の遺品整理は全然できずそのままの状態です。
落ち着いたら整理しなくては…っと思っているのですが中々…
育児が落ち着いたら少しずつしようかなーっとは思ってます。
なので、ぺいさんも慌てて整理しず育児が少し落ち着いてからとかでよいと思います‼︎
私は今母に会えなくて話せなくてすごくさみしいけど自分が寿命を迎えたら絶対にまた会える日が来ると信じています‼︎
姿は見えないけどいつも見守っていてくれていると思うのでお互い少しずつ前向いて頑張りましょう‼︎
-
結優
やっぱりまた、あの世で会えるって信じてますよね☆
うちは膠原病からくる心筋梗塞でした。今思えばいろいろ心筋梗塞の症状出てたんですよね…。
でもその時は全然、周りも本人も死んでしまうなんて思ってなくて…。
滋賀に帰ったらとりあえず、母親の遺影と話し合ってみようと思います(^_^)- 1月3日

こってぃ
お母様、ぺいさんが母親になって、伝えたいことたくさんあるんじゃないですか?同じ立場になったからこそ向き合って欲しいんじゃないですか?
同じ経験をしたことはありませんが…主人の祖母が88歳なんです。先日、日用品最低限だけ残すために主人や主人の兄弟に声をかけて家の中を片付けました。
自分が亡くなった時に、身辺整理の手間をかけたくないそうです。
ぺいさんのお母様はそれが出来ずに亡くなったとのこと。心残りなんじゃないでしょうか?
身辺整理したからと言って、死を受け入れられるわけではないと思います。そして、受け入れなくてもいいと思います。
でももし自分だったら…自分がお母様だったら。ずっと残してくれるのは嬉しいけれど、やっぱり手間をかけてしまうなって思うんじゃないでしょうか?
大切にしていたもの、お気に入りのもの、嵩張らないものは残して、他は処分することに誰も怒らないですよ。大丈夫です。
抱けなかったお孫さんにお母様の大切にしていたお洋服をかけてあげて、抱っこさせてあげてはいかがでしょう?きっと喜ばれますよ!もちろんぺいさんは涙涙でしょう。でも大丈夫、きっとお母様は喜ばれますよ。そういった意味でもお孫さんに自分のものを見せてあげたいのでは?
なんだかそんな感じがしました。
-
結優
いつもお出掛けするときに着ている上着が母親が着ていたものなんです。
一緒に抱っこしてる気分になってくれてるかなぁ…(^^)- 1月3日

なーがーさーわー。
私は子供ですが生後2ヶ月を目前に亡くしました。
息子が使っていたもの服、全て置いておきたかったのですが整理をして処分しました。
去年新しく家族を迎えることができましたが、息子の死を受け入れることはまだできません…。
夢に出てきてくれたときは息子は笑ってました。
もう泣かなくていいよいつも傍に居るよと伝えてくれました😢
息子は夢の中では大きくなってました😊
周辺整理をする=死を受け入れるとは私は思ってません😿
-
結優
なんて辛い思いを…。読みながら涙が溢れました。
親ならともかく、ましてや子どもさんを亡くされただなんて…。
その辛さは私の想像を遥かにこえるもこだとおもいます。
そうなのですね。亡くなった人が使っていた身の回りのものを処分したからと言って死は受け入れられるものではないのですね。それほどにその喪失感は大きいということなんでしょうね。- 1月3日
結優
コットンキャンディーさんもひとりっ子さんなんですね(>_<)
出てくるかな…。母親は膠原病でした。そこからくる心筋梗塞でした。
まさか自分が死んでしまうなんて思ってなかったから、中古車購入して間もなくの死だったんです。
今思えば、いろいろ症状は出てたのに、母親も先生も脳を疑ってました。血を流れやすくする薬を飲んでいたので…。
入籍から一年、結婚式から半年後のことでした。
私も亡くなるなんて思ってなくて、実家から仙台に帰ってくるとき「ばいちくり(。・ω・。)ノ」なんて言って軽い感じでお互いバイバイしたきりなんですよね。
数日前まで普通にLINEでやり取りしてたのに…。
コットンキャンディー☺︎
ごめんなさい、病気の漢字がよ、読めない、、、(´;ω;`)
そして心筋梗塞(´;ω;`)
急だったんですね。。ああ!!!!悲しい!!!!
そのばいちくり!でお互いのバイバイを想像すると、涙が(´;ω;`)!!!!
急だときちんとお別れが出来なかったんですね。。(´;ω;`)いや、でも、お母さんは、ぺいさんのことを見守っていますよ!!!!
お母さんを想って話しかけたら、きっと聞いてくれています!!!!
結優
コウゲンビョウと読みます(^_^)病気知らないと読めないですよね。
その中の一種の大動脈炎症候群。別名、脈なし病と言われる血管に炎症が起こって細くなる?病気です。
時折、子どもが何もないところをジッと見つめてることがあるんです。そ
して今日はお愚図言うから困り果てて、いろいろ態勢を変えていると、壁かカーテンの方を見て微笑みかけてました。
もしかしたら、お空のばぁばが何泣いてんのや?って感じであやしに来たのかもしれません( ´∀`)
滋賀に帰ったら、もう一度ちゃんと母親と話してみます(^_^)ありがとうございます☆