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みーさん
雑談・つぶやき

22歳、初産で娘を去年授かりました。幸せでたまらなかった日々を過ごし…

22歳、初産で娘を去年授かりました。
幸せでたまらなかった日々を過ごしていました。
私は片親しかいなく、ひばぁちゃんに育てて貰った
のとゆうのもあり、自分の家族ができたことに幸せを
感じ大事に娘をお腹の中で育てました。
でも、ある日幸せは崩れました。
私は頚管長が短く元々長くお腹に子供は置けない体で
赤ちゃんは未熟児出産だと聞かされてました。
未熟児でもNICUが整っている所へ入院しようとのことで
32週の頃入院しました。
赤ちゃんは1.7キロあり産んでも大丈夫と言われ
会える日を楽しみにしてました。
やっと抱きしめてあげられる、一緒にご飯も
お風呂も娘の大好きなお歌も一緒に歌える。
何より娘の声がきける。私は何があっても守るとずーと
約束をしてました。でも生まれる一週間前娘の心臓が止まりました。いつも元気にお腹をける動きがなく焦り先生を呼びました
エコーでみると完全に止まってました。あと少しで会える命が
一瞬で消えました。死産の書類を淡々と書かなければないない現実、旦那が震えながら書いていました。私は冷たくなった
お腹をただ抱えながら呆然としてました。
次の日クリスマスイブの朝自然分娩で娘を産みました。
とても安産だったこと、何より娘は五体満足だったこと
死産した赤ちゃんは溶けてしまうらしいですが、私の娘は
全て揃って産まれてくれました。
可愛い産声は聞けず、抱っこもできず時間が経つ度に
ふやけてしまう娘。
明日火葬とゆう現実。旦那は死産届を握りしめ
役所に行ってくれたり火葬届を出しにいったり悲しいはずなのに
笑顔でみんなに対応していました。
その日の夜旦那がプレゼントをくれました。
妊娠中我慢をしていたチョコレートを沢山買って
私にくれました。旦那はただ笑っていました。

今でも傷は癒えないです。
おくるみも服も家にあり写真と共に飾ってます。

娘が亡くなってから旦那はよく娘が大好きだったモアナの
曲をよく歌っています。

コメント

ういちゃん

ごめんなさい。
読んでいて涙がでました。
わたし自身、みーさんと同じような感じで、片親でおばあちゃんに育てられました。
わたしも切迫早産で入院していました。
入院が辛く、何度ももう辞めたい。と思ってしまったことがあります。
ですが、みーさんのこの記事を読んでいてあの頃なんて馬鹿なことを思っていたんだろう。と思いました。
文章まとまってなくて申し訳ないですが、すごく考えさせられたのでコメントさせていただきました。

  • みーさん

    みーさん

    コメントありがとうございます。
    私は娘をまもりきれませんでしたが
    どうかういちゃんさん子育て大変だと
    思いますが頑張って下さい。

    • 4月25日
  • ういちゃん

    ういちゃん

    ありがとうこざいます。
    どうかみーさんさんの娘さんが天国で笑って幸せに暮らせますように。

    • 4月25日