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雑談・つぶやき

ひとりっ子として育てていくことに決めた気持ちの整理のために。友人や…

ひとりっ子として育てていくことに決めた気持ちの整理のために。
友人やママ友にこんな話をすることはできないのでここで吐き出すだけ吐き出させてください。


息子が生まれて2年経った頃に職場に復帰。
そこからゆるく妊活を再開した。
月経の周期も安定している方なので自然に任せて。
でも3年経ってもなんの音沙汰もなかった。
さすがに不妊治療に踏み込もうかなと思い、経験者の友人たちにアドバイスをもらいながら病院探し。
さぁいよいよ!と思った時に夫が上司からの過度な期待や身内の不幸が重なり精神を病んでしまい不妊治療どころではないなと判断して夫の精神の回復を優先することに。
ほどなくして夫は職場にも戻れるようになり私たち家族は少しずつ元の生活に戻っていった。
けれどもその頃には私の中で2人目を迎えることへの熱量は無くなってしまっていた。
夫が私たちの前から居なくなってしまうかもしれない恐怖を経験して、多くは望まないから今の生活を護りたい気持ちが大きかった。
けれど夫はそうじゃなかった。元々子どもが大好きな人だから、望めるのならば、と諦められない様子だった。
積極的な治療は行わず自然に任せるということを条件に妊活を続けた。
やっぱり私たちの元に子どもは来なかった。
2年半経った頃、夫は私に「もうやめようか」と言った。
これまで排卵日を確認するために使用していたルナルナのサブスクを解約した。
そこからは気の向いた時にだけ夫婦生活をおこなった。
気付くと生理が2週間遅れていた。
8年ぶりに検査薬が陽性になった。驚いた。でも、嬉しかった。
夫に伝えると目に涙を溜めて喜んでいた。
ずっと兄弟のいるお友だちを羨んでいた息子は涙を流して喜んでいた。

けれど、小さな胎芽が育たずに心拍確認も出来ず稽留流産の診断がおりた。
息子を妊娠する前にも二度進行流産を経験しているから、ある程度覚悟はしていた。だけど事実を息子に伝えるのはものすごく辛かった。息子は涙目になりながらも手術に向かう私の身体の心配をしてくれた。
手術は無事に終わった。手術が終わる前に麻酔から目覚めてしまい激痛に呻きながらの手術だった。もう二度とこんな痛くて悲しい手術は受けたくないと思った。
術後の経過も順調で、1ヶ月半後には最初の生理が来た。
そこからはまたなにも考えずに穏やかな日々が続いた。

半年後、また生理が遅れた。
二度目の陽性だった。6週半ばごろに初診に行くと、小さな胎芽と点滅する心拍が見えた。
今度こそ無事に育って欲しい。絶対にこの子を自分の手で抱きたい。そう強く思っていた。
初診から2週間後の二度目の心拍確認の日。
週数相当に大きく育った胎芽が見えた。けど、心拍が止まってしまっていた。
先生はエコーの角度を変えてなんとか心拍を拾おうとしてくれたけれど、確認出来なかった。
二度続けての稽留流産の診断が下りた。

この子を無事に産んであげたかったなぁという気持ちと、夫にもう一度生まれたての我が子を抱かせてあげたかったなぁという気持ちと、息子をお兄ちゃんにしてあげたかったなぁという気持ち。けどそれ以上に、もう二度としたくなかった手術を再び受けなければいけないことへの恐怖と、これ以上同じ悲しみを繰り返したくない気持ちが大きすぎて、もう無理だと思った。


夫にもう頑張れないと伝えた。
夫は「俺もそれがいいと思う。ありがとうね。ごめんね。」と私の気持ちを理解してくれた。
息子にもママの勝手で申し訳ないけれどもこれからもひとりっ子でいてくれるかと聞いた。
息子は「ママがつらい思いしてまで絶対に兄弟が欲しいなんて思ってないよ」と私の気持ちに寄り添ってくれた。

夫にもう一度生まれたての我が子を抱かせてあげたかった。
息子をお兄ちゃんにしてあげたかった。
けど、我が家はもうおしまいにする。
息子のために健康に生きて、息子に全ての愛情を注いで幸せな人生を送れるように最大限のサポートをする。
そうやって前を向いて生きていくことにした。
これからも家族3人で仲良く暮らしていきます。

長々と一人語り申し訳ありませんでした。これですっきり前を向けます。

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