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はじめてのママリ🔰
ココロ・悩み

時々自分の人生、間違ってたのかなって思うことがよくあります。長くな…

時々自分の人生、間違ってたのかなって思うことがよくあります。長くなりますが、結果論だしもう過ぎたことなのですが、みなさんだったらどういう道を選ぶと思いますか?


私は関東で産まれました。父は転勤族で、母は専業主婦でした。5つ年上の兄がいます。
小学2年生にあがる時に父の転勤で、東北に引っ越しました。
小学2年生から大学1年生までその地で暮らしていました。
私が小学5年生くらいで、父が東北内の別の県に転勤になり、その時はそこまでの距離がない、週一で帰って来れる、私は小学高学年、兄も受験シーズンだからと父は単身赴任になりました。母と兄と私の3人暮らしがスタート。
数年後、兄が専門学校に通うことになり他県で一人暮らしをすることになり、母と私の二人暮らしがスタート。
大学2年にあがる時に父が九州に転勤になり、父母は九州に引っ越し、私は大学もあるので大学の近くで一人暮らしをスタートしました。(大学は東北です)ちなみに持ち家はなく、転勤でコロコロ住む場所が変わるだろうということから賃貸で家に住んでました。(父が仕事が落ち着いたら、いろいろ転々としたけど落ち着いた場所で家を建てようと母と話してました)

上記の件から、私の地元は実家はないけど東北みたいなもんでした。

私が高校2年生くらいの時に母が一度倒れ、色々と検査をした結果血液疾患があることがわかりました。私と母の2人暮らしだったので、今でもその時のことははっきりと覚えています。心臓が止まりそうなくらいショッキングな出来事で、パニックになりながら対応しました。結果、悪性とかではないですが、一生付き合うことになるものだということでした。持病持ちになりました。

そして、大学3年の後期くらいで、父が私が産まれた関東の県に転勤になることが決まりました。そして、多分そこで転勤は終了して、暫くしたら家を建てようかなと。母と2人で暮らせるくらいの家を建てようかなと話がありました。

色々と転々としてる家族ですが、家族仲はかなり良く、連絡も頻繁に取っていました。年に一度は必ずどこの県で集まるかは毎回変わってましたが、みんなで集まってご飯食べたり、その後カラオケ行ったりボーリング行ったりプリクラ撮ったり、集まることができた日は思う存分家族時間を過ごしたりする仲でした。

そんな中で私は母の病気がかなり心配でした。一生付き合うものであっても、母はもともとかなり細いタイプの人間で身体が強い人間ではありませんでした。そんな中、父の転勤についていく毎日で、友人もいなく、明るく気丈に振る舞ってるけど大丈夫なのかなと心配でした。

それで、大学4年になり就職活動がスタートして、私の地元である東北で職を探すか、父母が住むことが決まった関東の出生地で職を探すかという悩みができました。

本当にめちゃくちゃ当時は悩みました。関東に行っても父母はいるけど、地元じゃない。友達もいないし、住んでたのは小学1年生までで何も分からない。東北の地元県に住んだら友達もいるし、土地感覚も分かるし、と。
ですが、もしかしたら母に何かあってすぐ駆けつけなられないかもしれない。母の毎日の生きる力みたいなものに私かなれるかもしれない。娘がそばにいるって喜びにならないかなとか。もし命が危ないとかなった時、東北で働いてたら間に合わない、親の死に目に会えないかもしれないとか。毎日の生活のことから、親のそういったことも考えました。

人生のターニングポイントってものがあるなら、私はそこだったんだろうなと思います。

そして私は関東に就職を決めました。友達には会いたいとき会いに行けばいい。関東でも友達を作ればいい。土地感覚なんて住んでればつくだろう。それより母のそばにいたい。という気持ちからです。

父母はまず賃貸マンションを借りて住んでいました。私はそこから電車で20分のところに住み、仕事を始めました。

そして仕事をして5年目で、就職先の方と結婚をしました。旦那です。仕事をして6年目で、家を建てようかなという話を旦那としていて(妊活のことも考えて)、父と母と旦那と私でご飯に行った時にそんな話をしました。父は「俺たちもそろそろ家建てようかなって話してたんだよね」と。父は建設会社系で働いていたので、そのご飯の時にいろいろ話を聞いて、今度一緒に見てみようか!と話になっていました。

そしてその3日後、仕事中に母から電話が来て父が急死しました。本当突然でした。父はなんの持病もなかったです。

それからはもういろんな幸せが一気に崩れてったような毎日でした。母も受け入れられず、家族みんなでなるべく会って過ごして頑張って乗り越えようとしました。

そんな中、私が妊娠しました。母にとっても私にとっても、一筋の光のように本当に嬉しい出来事でした。妊娠中はすごく幸せでした。母はそれまですごく痩せ細ってしまってましたが、それを機に少しずつ食欲も増え元の体重まで戻り、私の妊娠中はいろんなところにお出かけしたり美味しいものを食べて元気づけました。

そして、臨月の1ヶ月前に里帰り出産ということで、母が住んでいた賃貸マンション(父と住んでいた賃貸マンション。結局家は建てられず亡くなったので母はずっとそこに住んでいました)に里帰りをする準備を少しずつしていました。産院もそこから車で10分くらいのところにありました。

コメント

はじめてのママリ🔰

長すぎて入りませんでした。笑

続きです。お時間ある方読んでもらえると救われます。

はじめてのママリ🔰

お辛い経験沢山されたのですね😢
読んでいて泣きそうでした
私が同じ立場でも母父のそばにいる地域を選んでいたと思います。
私の考えでいろんな選択は生きてる中であるけど結果は決まっていてその中で自分が後悔しない選択と思っています。投稿者さまは就職先を離れてる場所にしていたらそれはそれで後悔していたと思います。
少しでも近くに住めてたことは亡くなったお母さんお父さんからしてもとっても嬉しかったと思いますよ
私も妊娠がわかったと同時に母の脳の病気が見つかり生きてくれてますが会話ができたりできなかったり相談もできないですしご飯を一緒に食べにいくこともできません。
でも私に今できることは笑顔で楽しく過ごすことが親の幸せと思ってるので辛いことがあっても絶対負けない!という気持ちで生きてます
私も学生の頃から家庭環境で色々あって後悔してること沢山ありますがそれが自分にできるベストだったんだと思ってます
どうかお気持ち楽にされて今存在してくれてる命お子さん(もしかしたらお母様が亡くなって投稿者様が絶望に落ちるのを見越して来てくれた命生きる力をくれた子かもしれないので)との時間を楽しんでください☺️

じゃじゃまま

大学4年生の時の決断、私も同じようにするかな、と思いました🥹
お母さんのそばにいたい、とやっぱり思いますよね。
それはとてもやさしい気持ちだし、その時の自分にはそれが母にしてあげれる精一杯と気持ちだったんだと思います😌

私の人生なんだったのか、とその問いには答えは無いかもしれないですね。
だって、まだ人生途中ですしね🥹
その時その時、自分なりに色んなことを考えて決めてきたこと、それはその時の自分にはそれしか無かったし、そうするしか無かったかもだし、そうしたかった事なのだと思います。

それが間違ってるとか正しかった、は他人には評価出来ないですし、自分でももしかしたら分からないかもです。

なので、あの時の自分にはこれしか無かった、これが最善だったんだ、と思えるように今を生きる。
私はそうしています🥹

ご両親を亡くされた悲しさや辛さや後悔は分かりませんが、私も親になり、子どもたちには幸せに生きて欲しい、と心から思っています。
それらの気持ちを忘れろ、とかではなく、そんなあなただから、生きる意味もあるし、そのままであなたの人生を生きて欲しい。

きっとご両親も、あなたが笑顔で毎日生きてくれること、願ってるのではないかな、と思います🥹