
人権の講演会で講師が言った言葉(資料に書かれている言葉)が、どうし…
人権の講演会で講師が言った言葉(資料に書かれている言葉)が、どうしても引っかかります。
その方は目に障害があり、お母さんが気にされていたそうです。
でも、講師の方は特性があったからこそ色々な人と出会い、学べたと言っていました。その出会いを講演していました。
だから、お母さんが亡くなる前に、特性を与えてくれてありがとうと言いたかった(実際には言う機会を逃し言えなかった)と言いました。
もちろん、2人にしかわからない親子関係があるのはわかりますが、障害を与えたのは母親なのか?障害を持った子が生まれたらそれは母親のせいなのか?と、すごくモヤモヤしました。
私には重度障害のある娘がいます。
私が原因の部分もあるかもしれません。
でも私のせいではない部分もあります。
障害があったからこそ違う視点を持って良い人生が送れているよ。ならまだしも、与えてくれてありがとうが気になるのは私だけですか?
些細な言葉の言い回しの違いかもしれませんし、モヤモヤするのは、自分が娘の障害を何処かで気にしているから過剰に感じているだけなのかもしれません。
皆さんなら、障害を与えてくれてありがとうと言う言葉は特に気になりませんか?
- ママリ(3歳4ヶ月, 5歳4ヶ月, 7歳)
コメント

ままり
「子供」の視点だとそうなってしまうのかなと感じました。障害を母が与えたという意味ではなく、「この体をくれてありがとう。」という素直な気持ちだと私は感じました。
ママリ
そういう視点もあるのですね。
健康に産んであげられなくてごめんね。と自分を責めてしまう母親も多い中、障害を与えたかったわけではないのに、そんな言い方をするんだと思っていましたが、子供の視点ならなるほどと思いました。ありがとうございます。
ままり
どうかご自身を責めたり、悪意の無い発言にとらわれて苦しんだりしないで下さい。
それぞれの家庭、環境で1つの言葉でも色んな捉え方になってしまうのが、人間の良い所であり、悪い所だと私は思います。
子供に特性がある事で苦しんで悩まれていたお母さんに向けて、
「私は特性があったから幸せになれたんだよ。特性は(負)ではない。」と伝えたかったんだと私は思います。
それがその講師の方が、悩んでいた母が楽になる言葉なんだと一生懸命考えて伝えたかった言葉なんだろうと思いました。
ママリ
ありがとうございます。
与えると言う言葉にとらわれ、モヤモヤしていた気持ちが晴れました。