
父親を事故で亡くし、未だに自分を責めています。どうすればこの気持ちを消せるでしょうか。
父親を12年前交通事故で亡くしました。
今でもその当時、事故に遭う前の自分の行動を鮮明に覚えています。
前日風邪気味で、お父さんがリビングにいるのに先寝るねーと声かけたこと、事故に遭う当日の朝、満足に行ってらっしゃいと言えなかったこと、どうにか父親にお使いを頼んであの時事故に遭わないように出来たのではないか考えて自分をせめて12年経ってしまいました。
今私自身不幸な気持ちが消えません。父親がいれば相談も出来たし、助けてくれたのになぁと。
こうやって思っていたら成仏も出来ないのもわかっています。が、今自分で死なないためにも父親が悲しむだろうなぁとぐっと堪えてます。
どうしたら消えるのでしょう…12年あっという間でした
- はな☀️🍎
コメント

はじめてのままり
お父さん、忘れないでいてくれる優しい娘さんを持って幸せだと思います。きっと恨んでないし、自分を責めないでって思っていると思います。いまでもあなたを見守ってくれているはずです。
消えない思い出があるからこそ、がんばれたり、同じような人に優しくできたり、そういう人生だって悪くないと思います。人ってきれいなところばかりじゃない。今は苦しいけど、自分の終わりが見えてきた時に、苦しいけど意味あることだったのかもと思えると良いですね。

ままり
自分を責めて欲しいなんて思ってないと思いますが、のこされた私たちの後悔はきっと消えないのだと思います。
私は25年前に祖母が亡くなり、その日のことは私も忘れられません。
だからこそ毎日後悔しないように生きたいと思っています。
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はな☀️🍎
25年前…やっぱり忘れられないですか。昨日のことのように鮮明です。
父親が悲しまないように幸せに過ごさなきゃと思うのですが…ここ数年試練ばかりで辛くて- 2時間前

🐼桜華🐼
私と似てます。
私の場合は13年前に兄を交通事故で亡くしました。
事故の2日前に兄と大喧嘩し、兄に「一緒の空気吸いたくない!家から出てけ!」と言ってしまい、2日後の朝、兄は私より早めの出勤時間で私と兄の車は縦列駐車。
私の車を先に移動させないと兄の車は出せないので、私の車を移動させ、自分の車を出し、また私の車を駐車。その時点で私は目が覚めていましたがまだまだ眠たくベットにいました。兄が母に「○○(私)の車、サスペンションがおかしいから言うといて!」と伝え出勤。その声は私にも聞こえてました。
私も出勤時間になり勤務時間に父から職場に兄の訃報が入り、急いで帰宅。
13年経った今でも何であんな事言ってしまったんだろう…何で仲直りしなかったんだろ…と後悔していますし、今でも兄の最後の声を鮮明に思い出します。
兄は大型二輪でも大事故に遭い生死をさまよう大怪我もしました。その時に私「もう運使い果たしたね。次からはホンマに気をつけるんやで!兄貴が死ぬ時は絶対交通事故やわ!あたしの感当たるからな!」て言っちゃったんですよね…まさにその通りになりました。
色んな悔いや後悔がありますよね…
でも忘れないで今でも想ってくれる優しい娘さんだとお父さん喜んでくれてると思いますよ。
亡くなったからからしたら忘れられるのが1番悲しい事だと私は思うんです。
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はな☀️🍎
貴重なお話ありがとうございます。人が亡くなるって誰しもがあり得ることなのですが…交通事故って被害者もいて加害者もいて。病気で亡くなるのとは違う感情なんですよね。
事故に遭う前、酔っ払いながら、お父さん死んだらさーみたいな話してたんです。相続の手続きしようとした時も綺麗に整理してあって、もしかしたらなんとなく長くないかもと思ってたのかもしれません。
私自身お恥ずかしながら亡くなったことを認めたくなくて、自分の子どもにも父親のむかしばなしをして育てています。目には見えないけど、見えない力で守ってくれるからねと声かけて。
見えない力で嫌なことから遠ざけてくれてたらと願っているんですがどうでしょう…。
亡くなってからも頼ってしまう娘です- 1時間前
はな☀️🍎
こんな投稿にコメントありがとうございます。
子どもが立て続けに熱を出し、旦那にも裏切られ…
よくわからなくなってしまいました。
小さい頃から父親は何があっても子どもの味方。おとうさん、今の姿見て悲しくなるかなと思って自己嫌悪でした。
優しい言葉ありがとうございます
はじめてのままり
立派に子育てやってるなって思ってると思います。きっとちょっと無理してるから、ほどほどにってくらい言ってると思います。
優しい人って、誰かを恨んだり、根に持ったりしないで、自分の愛情をそのまま他者へ渡せる人です。
はなさんもきっとそんな方なのかなと思います。過去にとらわれず、今を生きてくださいね。
はな☀️🍎
優しい言葉ありがとうございます。
まさに父親がそんな人でした。
人がどうしたら喜ぶのか、争いごとを避ける平和主義な父親でした。
12年も経ってるのに忘れられないことあるんですね。今を生きておばあちゃんになって亡くなった時にめいいっぱい色々報告したいと思います