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✳︎mama✳︎
子育て・グッズ

やなせたかしさんの人生とアンパンマンの物語を知り、感動しました。

長くなります💦
我が家にはアンパンマンが大好きな娘がいます☺️✨今日もドキンちゃんの服にアンパンマンの靴でした🙂
上の子も大好きだったので家にはアンパンマングッズが盛りだくさんでとてもお世話になっています😌

今、姪っ子の五年生の教科書を見ていて、竹取物語や平家物語等うわー覚えたな💦と懐かしい気持ちで見て行くと
やなせたかし アンパンマンの勇気と言うタイトルがあり

五年生の国語でアンパンマン?😅と読んでみるとものすごく引き込まれてわりと小さい文字10ページを一気に読んでしまいました💦

今まではアンパンマン描いたやなせたかしさん、こんなに日本中で何年もアンパンマンブームが続いて大成功で大金持ちだろうな😙としか思っていなかった考えがガラッと変わりました💦

そこでママリを見ている方にもぜひ知って欲しくてまとめて紹介したいと思います🥹ネタバレになるので、五年生のお子さんをお持ちの方等は直接読まれる事をお勧めします😌



やなせたかしさんは
2歳下に弟がいて家族4人暮らしでしたが、5歳の時に父親が病死し弟と2人おじ夫婦に育てられた。可愛がって頂くが遠慮してしまい寂しさで胸が潰れそうでしたが、絵を書く時は寂しさを忘れてることができ漫画家になりたいと思った。美術の勉強をする為高等工芸学校に入るも日中戦争が始まり、デザイナーとして就職するも一年で徴兵され中国大陸へ。とても過酷で空腹に耐えられず雑草を食べたりもしたが敗戦となり帰国するも弟が戦死しており、正義とはなんだと考えるようになった。戦後の日本は貧しく幼い兄弟がおにぎりを分け合って食べている姿をみて本当の正義とはお腹が空いている人に食べ物を分けてあげる事(戦争は人を殺すが食べ物を分ける事は人を生かす事で命を応援する事だ)と気付く。
いろいろな仕事をしていたが再度漫画家になる夢が蘇るもなかなかまんがの注文は来ず34歳で独立するも台本や舞台装置のデザイン等をし才能がないのかもしれないと自信を無くしかけた。54歳の時にアンパンマンを出版。ぬれただけで力を無くすしかっこいい武器もないけど、困った人がいるとかけつけて、自分の顔を食べさせて元気を与える、戦争の辛い経験をもとに正義や命について考え抜いた末に生み出した主人公だった。最初は大人達に顔を食べさせる事は残酷だと評判が悪かったが正義を行い人を助けようとしたら自分も傷つくことをかくごしなければならないという信念があった。食べ物をあげると自分が飢えるかもしれない、いじめられている人を庇うと自分がいじめられるかもしれないそれでも誰かを助けたいと思うとき本当の勇気がわいてくるんだ とそして描き続けて94歳で亡くなった。

引退しようとしていたが亡くなる2年前に東日本大震災があり無くなる前までも被災地の方が元気になるようにといろいろな活動をされた

という内容でした!

やなせたかしさん  すごくないですか?!😭
ご自身の過酷な経験からアンパンマンを生み出し、あなたはたくさんの子供達に元気と勇気を与えています✨
本当にありがとうございました😭❤️
アンパンマンの見方がガラッと変わって、私もファンになりました!😭

この話を少しでも多くの方にお伝え出来ればと思い投稿させて頂きました😌
最後まで読んで頂きありがとうございました😌

コメント

はじめてのママリ🔰

私も子供のブームがきっかけでやなせ先生のファンになりました。素敵な方ですよね。