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ママリ
その他の疑問

80年代初頭、兄が産まれた時の家族の忙しい日常や父のサポート、祖父母との関係を振り返り、懐かしさを感じる女性のエピソードです。

皆さんは、自分や兄弟姉妹の子育ての思い出話を聞いたことありますか?😊
ここからは、私の聞いたエピソードになりますが聞いた時にびっくりするやらツッコむやらだったので書かせてもらいます🤣
私の1番上の兄が産まれた当時(80年代初頭)母は実家に里帰りしたそうです。
当時の祖父母宅には、母の姉も少し前に出産して里帰りしていて、おまけにまだ学生の弟はいるし、稲刈りが始まってるしでそれは大忙しだったとか。
祖母は朝から伯父の弁当作りに家族の朝食準備、日中は稲刈りに出て、帰ったら孫の沐浴に夕飯の用意という毎日だったそうです。
そんな中私の父はというと、息子の顔を見に祖父母宅に通い(同じ地元)、時には一泊して翌朝祖母の作った弁当を持って出勤することもあったとか!
そんな忙しい中一泊して、弁当作らせてる父もヤバいけどそれに嫌味も文句も言わなかった祖母も凄いなと思いました😅
その当時父が書き残した育児日記には、「おばあちゃんは、稲刈りに家事に君の世話にと忙しそうです」の1文がありましたが、いやいや、忙しくなってるのは一泊してるあんたのせいもあるやろ!とツッコむやら呆れるやら😅
その後も祖父母は農作業に積極的な父を頼りにしていたし、父もしょっちゅう1人でも母の実家に通って祖父母を慕っていたので関係は良好だったようです。
今では祖父母も父も鬼籍に入ってしまったので、みんなで農作業してワイワイやっていた頃が懐かしくもあります😊

コメント

みいな

働き者のお祖母さんですね!
お父さんも義理のお父さんお母さんとの関係がとても良かったから泊まりにきても嫌な顔せず迎えていたんでしょうね✨子どもの顔が見たいなんて素敵なお父さん😆

うちは母が亡くなってしまったのですが、その後で叔母(母の妹)から、わたしが産まれた時の話を聞きました。
里帰り出産で陣痛が来て病院に向かう時、田舎のガタガタした道だったうえに叔母の運転が普段かなりワイルドだったため(今もですが😅)、叔母はもしものことがあってはいけないと、ハイヤーを呼んだそうです。
そうとは聞いてなかった母はハイヤーを待つ間、「あんたが運転してくれたらいいのにー」とイライラした様子だったらしいですが、ハイヤーでも道中陣痛に耐えるのは大変だったらしく、のちには「呼んでくれてよかった」と言っていたそうです。
産まれたのが日曜日だったため、遠方の父はすぐに来ることができず(日帰りできない)、次の土曜日になってから来たと。今の時代なら休み取ってでも来るかもしれないですね。

昨年、母が亡くなる前に最後の里帰りをして、久しぶりに親戚が集まりました。
盆と正月には親戚一同集まっていた頃が懐かしいです。

  • ママリ

    ママリ

    祖母は本当に働き者でした😊
    高齢になってからも、同居していた孫が3歳になるまで祖母が家庭保育していました。
    運転がワイルドな叔母様🤣💦
    それを自覚してお姉さんにハイヤーを手配するなんて、心配りをされたんですね✨
    お父様がすぐ会えなかったのも、当時の働き方が影響していたのかもですね。
    お盆と正月、田舎の祖父母宅にみーんな揃って車で庭がぎゅうぎゅうだったことも懐かしく思い出します😌

    • 7月2日