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はじめてのママリ🔰
お金・保険

リッチに暮らすことは、50万ドルを稼ぎ、同額を使い、何も残らないこと。一方、10万ドルを稼ぎ、4万ドルを使い、銀行に100万ドルがあること。どちらが幸せか。

「リッチに暮らすこととは、50万ドル(約7500万円)を稼ぎ、50万ドルを使い、あとに何も残らないこと」。そしてこう続ける。「リッチであることとは、10万ドル(約1500万円)を稼ぎ、4万ドル(約600万円)を使い、銀行に100万ドル(約1.5億円)があること」クリス・ライニングの言葉です。
日本人、少なくとも私の周りの人たちは前者が多いように感じた。
実の父は後者だと主人は言うけど、前者の方々に馬鹿にされてたり、マウントを取られたりすることがある。どちらが幸せなんだろう。

コメント

はじめてのママリ🔰

どっちが幸せかは人によるので、自分が幸せだなって思える生活してたらどっちでもいいかなって思います。

馬鹿にされたりマウント取られて不幸せになるなら前者の方が幸せになれるでしょうし、全く気にならないなら後者の方が幸せだと思います。

ままりな

私は逆に、日本人は後者が多い気がします。お金がある人(たくさん稼げている人)はインフレリスクにも備えてむしろ投資や価値の落ちない不動産など資産をたくさん持っているイメージです。

むしろ貯蓄がほとんどない人は50万ドル稼げるような稼ぐ能力がある人ではなく、賃金が低いから生活していくのにいっぱいいっぱいで貯蓄ゼロみたいな人が多い気がします...。

外国ほど寄付の文化も少ないですし、長らく続くデフレから、「消費や無駄遣い=悪」「節約=美徳」とされている文化な気がします😅

経済成長のためには本来はお金がある人はある程度お金を使った方がいいのですがね...

日本はマネタリーベースだけが急増してマネタリーストックが緩やかにしかあがってないところをみても、貯蓄体質(特に資産を持っている人たちが)だと思います。

  • ままりな

    ままりな


    物を買うことや教育も投資の一部だと思うので、仮に死ぬ時に資産が100万ドル残らなくても、子ども自身が50万ドル稼げる能力がつけば安心して死ねると思います。前者で大事なのはその使う50万ドルを消費するにしても成長分野(資産価値の高い物の購入や教育等)に投資できるかということだと思います。

    • 2月13日
はじめてのママリ🔰

マウントとか気にしてたらどちらでも不幸だと思います。持論ですが…
結局、お金とは手段であり目的ではないので、それを使って何をしたいのかが問題だと思うんですよね。
前者は、宵越しの金を持たずに7500万かけて何を買うのか、何をするのか。
後者は銀行に1.5億を蓄財して、それでいずれ何を買うのか。何をするのか。

ひたすら7500万使うのも、ひたすら1.5億貯めるのも、私の普段の生活とは金額が全く違うので想像の範囲にたるとはいえ、それ自体が目的だとしたらあまり幸せそうに思えません。

7500万、1.5億あればほぼ何でも買えますから、それで何が欲しいのか。逆に、どうしても買えない不可逆的なものもあります。
思うにお金をそれほど持っている人は、そういう不可逆的なもの(取り戻せない過去の時間や思い出、お金があっても必ず訪れる老いや死、国や地球のこれまで)に思いを馳せるような気がしますし、その結果もあり心ある人は社会貢献的なところへ目が向くのではないかなと思います。

それほどのお金を手にしながらもマウントを取る、取られるの世界から自由になれないのは辛いことだなと思うし、お金を手段ではなく目的にしてしまっているような印象を受けます。

もふもふ

日本人は後者の方が多いんじゃないかと感じてます。
日本人が日本に根付いた歴史的にも、遺伝子的に
日本人は恐怖遺伝子の保有者の割合が世界一多いことがわかってるので、
宵越しの金は持たないような生き方は、遺伝子的に不安でできない人が多いと思います。

個人的には、
後者の方が前者を馬鹿にする方が多いように感じますが、馬鹿にするというよりは、お互い理解のできない生き方なんだろうなと思います。

私個人も前者の生き方は怖くてできないです。

deleted user

幸せかどうかは人それぞれなのでどちらが、というのはないと思います。他者から馬鹿にされたりマウントを取られるから幸せではないのは違うと思いますし。
個人的にはDie with zeroが理想です。

ままり

私も日本人は後者の方が多いと思うし、どちらかというと後者のひとの方が前者のひとをばかにしてる気がします。
どちらの例えも金額がでかいですが😂