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mizuki
妊娠・出産

昨日の検診で稽留流産が分かり、受け入れられていない状況。旦那の対応に戸惑いつつも、感謝と罪悪感を抱えています。この子を忘れず、笑顔で話せる日を待ちたいです。

おはようございます。
昨日定期検診で病院に行ってきました。
もし元気だったら母子手帳の交付の紙がもらえたはずなのに、実際にもらったのは稽留流産の手術の説明書と同意書でした。

1週間前には亡くなっていたそうです。
全く自覚症状がなかった為、まだ受け入れられていません。
旦那には、身体が落ち着いたら次またすぐつくろうと言われました。
まだ心の整理もついていないのに、そんな軽々しく言って欲しくなかったです。
私も同じことを少し考えていたけど、旦那からは言って欲しくなかったんです…
わがままですよね。

今回が初めての妊娠だったので、授かった子には自分が妊娠できる身体だって教えてくれたんだと、感謝の気持ちでいっぱいです。
もちろん産んであげられなかった罪悪感はありますが…
一生この子のことを忘れずに、いつかは笑顔でこんなことがあったけど、本当にこの子には感謝してるんだって話せるようになりたいです。

長文、質問じゃなくてごめんなさい(>_<)

コメント

まみぃ

お辛かったですね。
わたしは去年 安定期に入ってから
死産でした。全く自覚症状もないまま
検診で。黙々と、これからの内容を
話され頭に入らなかったです。
旦那からは何を言われても人ごと
みたいに聞こえました。
今は少し楽になりましたが。
今はゆっくり休んでくださいね

  • mizuki

    mizuki

    安定期に入ってからとなると、余計に辛いですね…
    自覚症状がないのに、こんなにあっさりと流れてしまうんだと思いました。
    旦那も私のことを思って話してくれているのは重々承知なのですが、私も他人事のように聞こえてしまいました…
    今は身体を第一に考えようと思います。

    • 2月27日
うか

お気持ちお察しします。
私も昨年7月、mizukiさんと同じ状況で、心拍が遅いながらにもあり、次の診察で母子手帳交付オッケーがでる予定だったのに、まさかの流産宣告でした。育っていれば、予定日はたまたま私の誕生日2日前でした。
そりゃー、妊娠がわかったときから初産予定の子だったし、なんだか親近感と愛情が芽生えてました。
お腹も痛くなく、出血もまったくしていなかったため、急な診断を受け止められず…
そんな中、手術の説明、さらには手術のためのX線・血液検査8本・心電図などの検査を、流産宣告を受けたその日に受けさせられて、もうパニックでした。
両親や医者には心拍ははじめからなかったと言わんばかりの言い方をされ、私は赤ちゃんの存在を否定された悲しさと、母親として母子手帳にすら生きてた証を残してあげることができなかったことへの悔しさが強かったです。
泣ききれる場所がほしくて赤ちゃんと一緒に知らない公園まで逃亡したこともありました。

流産宣告された日から2ヶ月近くは毎日涙が止まることなかったです。そして、今でも何かの折りに思い出すことがあり、涙は出てきます。
旦那とも離婚の危機までいきましたが、いろんなブログを読み、たくさん泣き、仕事(保育士)にも戻り、少しずつ肩の荷が降り始めていたところです。
ブログの中で私が救われた言葉があります。『みんなは10ヶ月しかお腹にいないけれど、私の子どもは17ヶ月もお腹にいてくれたんだ。17ヶ月も妊婦生活できたんだ。』

そんなニュアンスの記事を読み、私は少し希望をもつことができました。他の記事には乗り越えていきましょうと書かれたものもあり、乗り越えるってなに?と当時の私は受け入れられませんでした。
だって、お腹の赤ちゃんの存在を残せるのは自分と旦那の心の中だけ。涙が止まらないのは乗り越えてないからじゃない、赤ちゃんとしっかり向き合ってるから。
私はそう思っています。

私は赤ちゃんがお腹の中にもう少しいたいよーと言っているように聞こえて、手術受けずに赤ちゃんが自分で出てくるのを待ちたいと思っていましたが、いつ出てくるか分からない不安と周りが私をみて泣くことに耐えられなくなり、みんなの泣き顔をみたくない、終わりになるなら手術を受けようと思い、受けることにしました。
怪我や病気もほとんどしてこなかったので、私にとって人生はじめての手術がそうは手術。
病室で泣いてる私をみて看護師が「覚悟してきたんでしょ?!」と一言。
覚悟ってなに?中絶じゃないよ?会えるのが待ち遠しくて願ってたのに、叶わなかっただけだよ?
と、泣きながらもカチンときたので、看護師を変えてもらいました。そんな人に私と私の赤ちゃんの命は預けられないと思ったので。

手術で何をされたかは記憶にはないですが、そのときの麻酔で、幻覚をみました。カラーブロックが奥に流れてる3Dの映像で、自分の体がそこに飲み込まれていきました。手も足も感覚がなく、自分が自分じゃないようなそんな映像でした。

赤ちゃんとの時間よりも、その記憶のほうが強く残っています。
でも、最後に赤ちゃんに会いたくて、勇気を振り絞って逢わせてほしい旨を伝えました。それがあの子との最後でした。

手術後はそれまで出血していなかったのに、1ヶ月半出血していましたが、病院に行くことが恐怖で行きませんでした。
それから1か月後には生理が再開。旦那と話しながら妊活再開しました。

そんな悲しい宣告の日から半年後に第二子をお腹に授かることができ、今に至ります。
授かることができるまでは不妊治療している方と同じ。1ヶ月ごとに生理がくるたびに泣きました。なんで自分には赤ちゃん抱けないんだろう、一生旦那にも赤ちゃんを抱かせてあげられないんだろうか、と。
同僚が妊婦で、同じくらいの週数だったこともあり、会うのを避けてました。そして、保育士なので、育てられない家庭のところに7人目の子どもが産まれると聞き、なんであの人のところにはコウノトリがくるの?と苦しみました。正直、保育士を続けることもしんどかったです。

今回の妊娠がわかり、以前と同じ9週あたりの検診の前日。

夢を見ました。
手術室にいる自分、そして、泣きわめいている自分がいました。
現実なのか夢なのか…夜中にパッと目が覚めたとき、本当に涙が出ていました。隣に寝ていた旦那を起こしてしまうほど泣いていたようです。

おそらく、心拍が止まってたらどうしよう、今度は母子手帳もらえるかな?
という不安からだと思うのですが、とてもとても怖かったです。
でも、今は切迫流産で自宅安静中ですが、今のところ育ってくれているので信じているところです。

長くなりましたが、mizukiさんのお腹にいる赤ちゃんも大切な赤ちゃんです。手術をされるのか分かりませんが、1日でもいいから、旦那さんと赤ちゃんとmizukiさんの3人で公園にでも出かけて、思い出を作ってずっとずっとその日を忘れないでいてあげましょう。
私は次に産まれてくる子はまた別の命なんだと2つの命を大切にしていきたいと思っています。

  • mizuki

    mizuki

    そうだったんですね…
    せめて母子手帳だけは欲しかったと思いますね
    私は結婚より妊娠が先で、計画的では無かったもののエコーに映っている赤ちゃんをみて愛着が沸きました。
    絶対に産みたいと強く思いました。

    今日子宮口を開く処置をして、明日手術の予定です。
    私も手術は今回が初めてでとても不安です。
    昨日旦那に話をして、たくさん泣きました。久しぶりに声を出して泣きました。
    そして、少しでも気持ちを落ち着かせるために、夕飯は美味しいものを食べに行きました。

    流産宣告のあと、そんなにいろんなことされては、ただでさえパニックなのに余計ですよね…
    無かったことにされることほど悲しいことはないです。
    頭では納得していても、気持ちがついていかないんですよね。
    お腹に宿ってくれた命を大切に、エコー写真や検査薬は保管しようと思います。

    うかさんが現在授かっている命が、無事成長してくれることを祈っています。

    • 2月27日