※本ページは一般のユーザーの投稿により成り立っており、当社が医学的・科学的根拠を担保するものではありません。ご理解の上、ご活用ください。
R.mama
ココロ・悩み

第二子を死産し、その決断に苦しむ女性が同じ経験をした方の話を聞きたいです。

気分を害される方がいらっしゃるかもしれないので、気を付けてご閲覧下さい。申し訳ありません。

数日前に第二子を人工死産しました。
辛い流産のあと、ようやく授かった命でした。

生きられない命ではないけれど、決して軽くはない障害を抱えている子でした。
その全てを受け入れることが出来ませんでした。
例え生涯寝たきりであろうと、産み育てる強さが持てませんでした。
我が子の将来を想像し、勝手に悲観し、辛くて苦しくて申し訳なくて、死産を選びました。

亡くしてからも、病気を検索し続け、同じ病気の子を懸命に育てている方のブログを見ては、育ててあげられなかった自分が情けなくて、嫌になります。

安定剤がなければ正気を保てない状態です。
全て自分が選んだことだというのは理解しています。
でもただただ、辛いです。

状況は違っても、同じように赤ちゃんを死産で亡くされた方、立ち直れていますか?
また、亡くなった赤ちゃんのために、何かしていること、してあげたことはありますか?

辛い経験を思い出させるような質問をして申し訳ございません。

まだまだ気持ちの整理がつかなくて、同じような経験をされた方のお話が聞きたいと思い、投稿させて頂きました。

コメント

はるまま

はじめまして。
私は7年前に前夫との間の第1子を人口死産しました。
お腹の子は腎臓、膀胱が無形成でお腹の中では生きられるけど、お腹から出ると数時間、長くても数日の命だと宣告され、泣く泣く死産を選びました。
同じ病気を抱えてる赤ちゃんを妊娠されてるママさん達をネットで知りましたが、死産を選ぶママさんもいれば、臨月まで、もしくは赤ちゃんが自分で心臓を止めるまでお腹で育ててるママさんもいる事を知り、私は赤ちゃんが一生懸命生きようと頑張ってるのに私が心臓を止めてしまった、私が殺してしまったんだと自分を責めてしまった時期もありました。

立ち直るには時間がかかりました。今でも忘れてたわけではありません。
今でもはっきりと、顔も抱っこした時の事も昨日の事のように鮮明に蘇ってきます。
その時の夫とは離婚したので(死産が原因ではありませんよ😊)、話題に出る事もなければ今の夫にも詳しく話してないので誰にもその時の赤ちゃんの事を話すときはないのですが、今でも忘れる事はないです。
それが私に出来る唯一の事だと思ってます。

お身体は大丈夫ですか?
答えのない決断だからこそ辛いですよね。
でも赤ちゃんの事を想い、悩んで決断した事を赤ちゃんはきっとわかってくれてると思います。

  • R.mama

    R.mama


    コメントありがとうございます。
    7年経っても、10年経っても、20年経っても、きっと自分が死ぬまで、忘れることなんてないですよね。
    思いを抱え続けるのも辛いけど、忘れてしまいたくもないですよね。
    本当に本当に、どんな子だって、大切な我が子には変わりない。
    でも、だからこそ…私も、どうして自らこの子の心臓を止めてしまったのかと、責めてしまいます。
    沢山悩んで苦しんで考えて、病気が見付かった時、他の妊婦さんが沢山いる中、病院で大声で泣きました。
    それからもずっと泣いて泣いて、悩みましたた。
    だけど母に命を止められた我が子は、どれほど悲しかったか辛かったか。
    その受け止め方も人それぞれなんだと思いますが、それでも私は、この子の将来の方が、もっともっと困難で、苦しいものになるのではないかと悲観してしまいました。

    私の場合は、お腹の中でも外でも生きることは出来ましたが、お腹の中にいる間、病状はどんどん進んでいく状況でした。
    赤ちゃんにとって、羊水が毒だったからです。
    絶望しました。
    お腹の中が、この子にとって毒だなんて。
    申し訳なくて、可哀想で、妊娠継続するということが選べませんでした。
    お腹の中でしか生きられない命…それでも、本当は、産んであげたいですよね。
    少しでもこの世に生を受けて、抱きしめたいですよね。
    でも、死んでしまうとわかっているのに、大きくなっていくお腹。
    そんなの辛すぎて、きっと私なら、耐えられないだろうと思います。

    時間と共に、みんなが、主人すらも忘れてしまっても、私たち母親だけは、どんな時だって忘れることはないですよね。
    何もしてあげられなかったけど、病気を治してあげることも出来なかったけど、ずっとずっと思い続けることで、赤ちゃんに愛情が伝わってくれたら良いなと思いました。
    戸籍にも残らない我が子だけど、大切な大切な家族ですよね。

    お気遣いありがとうございます。
    昨日退院したところで、火葬もこれからです。
    手元からいなくなってしまったら、自分がどうなってしまうのか、怖いです。
    でも、きちんとお別れが出来たら良いなと思います。

    お辛いお話なのに、聞かせて頂いてありがとうございました。
    そして、お優しい言葉をかけて下さいって、ありがとうございました。
    とても嬉しかったです。

    • 6月25日
くま子

子供を亡くしたわけではないですが、一言お話できたらと思います。

私は、作業療法士で発達障害や重い脳性麻痺の子供さんのリハビリを担当することがありますが、お母さんはとても熱心ですが、大変疲れている方が多いです。
もちろん子供は可愛い、でも障害のある子供のこと、兄弟のこと、収入や生活のこと、色々悩みの相談をうけますが大変悩んでいるかたもみえます。

私は、批判もあるかもしれませんが、育てることが難しい、自信がないのであれば産まない選択も仕方ないと思います。産んだからには、育て上げる責任があります。
健常児よりも、とても大変です。

命の選別はよくないことです。でも死産した赤ちゃんのことを考えて、こんなに悩んでおられる。。
仕方ないと選択だったと思います。
あまりご自身を責めず、産後の大切な時期、お体を大切にしてください。

私も夫に持病があり、長く生きられないかもしれない。でも子供が欲しいと授かった赤ちゃんがいますが、私が生活を支えなければいけないので、出生前診断をしました。
結果として問題ありませんでしたが、わざわざ痛い針をお腹に刺してまでする必要があるのか?と悩みました。。。

  • R.mama

    R.mama


    コメントありがとうございます。

    障害のある子どもたちや親御さんに関わっていらっしゃる方の経験、お話が聞けて、とても有り難いです。

    例え重い障害があったとしても、我が子は可愛い。
    それは本当に、わかります。
    一人子供がいるので、痛いほどにわかります。
    そして同時に、子育ての大変さもわかります。
    健常児を育てていくのも大変なことなのに、ハンデを持っている子供を育てるということは、どんなに大変か…想像することは簡単ですが、想像以上のことと思います。
    もちろん産まれてからわかる障害の方が沢山あることも知っています。
    だからこそお腹の中で知ってしまったら、育てられないだなんて、そんな自分勝手なこと、許されるわけがないと思いました。
    だからといって、産んでからやっぱり無理だった、育てられないだなんて、それこそ無責任です。

    病気が見付かってからずっと病気のことを調べ続け、悩みました。
    この子の未来はどうなるのだろう。
    歩けない。トイレもできない。起き上がることも出来ない。
    ただ、生きているだけ。
    それでこの子は、苦しくないのだろうか。
    幸せにしてあげられるのだろうか。
    産まれてきてよかったと、思ってもらうことが出来るのだろうか。
    何一つ出来なくても、ただ生きているだけで、楽しいと思えることがあるのだろうか。
    親である私にそれだけの強さも覚悟もなく、また、例え寝たきりの生涯でも、幸せにしてみせる、という自信も持てませんでした。
    そんな我が子を見ることが、とても辛く悲しくて申し訳なくて、ただただ、絶望感でいっぱいになりました。
    健康な体に育ててあげられなかったことが申し訳なくて申し訳なくて。
    何度謝っても足りません。

    私は年の差婚で、主人は健康ではありますが、もう決して若くはない年齢です。
    出生前診断もとても難しいお話ですが、お調べになったこと、とても勇気の必要だったことと思います。
    調べても何か見付かった時、どうするのか?
    それも、答えがない問題ですよね。
    それなら、最初から知らない方が良かったのでは、とも思ってしまうこともあります。
    不安を拭う為に、でもそれは建前で、産まない選択をする為ではないか?など、賛否もあるお話ですよね。
    今回私はたまたまエコーでわかったことでしたが、死産後、念のため染色体異常の検査をお願いしました。
    もし染色体異常も見付かったとしたら…どんな気持ちになるんだろうと、少し不安ではあります。

    貴重なお話をありがとうございます。
    また、お気遣い頂き、ありがとうございました。
    火葬はこれからなので、きちんとお別れが出来たら良いなと思います。

    • 6月25日
sarasara

育ててあげることがすべてではないですよ。
だから、そんなにご自分を責めないで
主さんのような選択をされるお母さんもいると思います!
表立っていないだけで。

私は医療従事者ですが
「我が子が幸せになれる道」を
選ぶのが母親の使命ではないでしょうか。
考え方は人それぞれだと思いますが、
主さんにとって良いほうを選んだ訳
ではなく、お子さんにとっても良いと
思われる方を選択されたのですよね?
なら、後悔なんてする必要ないですよ。

  • R.mama

    R.mama


    コメントありがとうございます。

    産んでから、やっぱり無理でした、なんて、それこそ無責任な話だと思っているので、私に覚悟もなく、産むという選択ができませんでした。
    お腹の中でも外でも生きられるけど、赤ちゃんにとってはお腹の羊水は毒でしかなく、そのことも、赤ちゃんを苦しめているのではないかと思い、とても辛かったです。
    産まれてきてくれた小さな赤ちゃんは、体は小さいのに羊水に晒されていることで傷ついた大きな腫瘍があり、とても痛々しくて、可哀想で、申し訳なくなりました。

    生きられるけれど、もし、寝たきりとまで酷くなかったとして車椅子で生活ができても、偏見やいじめは必ずあると、医師からも言われました。
    将来、必要のないいじめを受け、子供が傷つくことがわかっているのに、それでも大丈夫、私が守る、という強さも持てませんでした。

    子供にとって良かったのか、今はまだわかりませんが、子供に不必要な苦しみを与えることは、耐えられませんでした。

    ありがとうございます。
    少しずつ、気持ちの整理をつけていけたらと思います。

    • 6月25日
deleted user

二日前に亡くされたんですね。本当に本当にお辛い状況であることをお察しします。そして痛いように気持ちが分かります。
私も昨年同じように第二子を人口死産しました。その半年前に同じく流産を経験しており半年の間で二人も失いました。
赤ちゃんがお腹の中で亡くなって死産する方々のケースとは違い重い障害があったとしても自ら子供のいのちを諦める選択。
自分が人殺しのようになった感覚…いまだにあります。一生消えない気持ちだと思います。
他の死産の方々とはまた違った気持ちですよね。子供を失っただけで辛いのに、罪悪感もあり、周りからも責められてるような感覚にもなります。
うちは妊娠初期から障害の有無を疑られてました。それから死産まで、ありとあらゆる病院を周り…間違いであって欲しいと2ヶ月間かけて検査や診察を重ねました。その2ヶ月間は地獄でした。産婦人科が恐怖の場所でした。
待合室の人が皆んなが消えればいいのに…って泣きながら下を向いてました。
こんな気持ち…この人達にはわからないんだろうなって。
お腹をさすりながら安心した顔して待合室に座ってる妊婦さんたち…同じ妊婦なはずなのに雲の上の人達に見えました。そして普通なら嬉しいはずなのにエコーで写る息子をちゃんと、見られませんでした。
お腹の子の異常が分かってから今に至るまで心が安かやな日なんてありません。
私が一体何をしたんだろう。
嘆く日々です。
今では夫も家族も息子のことなんて忘れて私だけトラウマに苦しめられてます。
鬱にもなりました。主人には悲劇のヒロインか?とも言われ、母にもひどいこと言われました。障害が分かってからお腹の息子と二人で病院を周り、お産も息子と二人で頑張りました。だから周りのひとは誰もこの苦しみは一ミリも理解出来るはずないんです。唯一私の苦しみを分かってくれる存在はもうこの世にはいません。

立ち直る必要なんて無いですよ。わたしは立ち直る事は出来ないと思っています。
ただただ、毎日心の中で謝って。理解してくれたことに感謝してこんな母親だけどあなたを想ってるし愛してるということを伝えてます。
もう何もしてあげられないですからね。
せめて、こんなお母さん嫌だなって息子に思われないような生き方をしたいと思います。

まだまだこれから辛くなると思いますが、こうやって吐き出すのが大切です。
辛くなったら吐き出して、1つ1つ気持ちを整理して、自然な自分の気持ちを否定せずに受け止めてあげて下さいね。
長文失礼しましたm(_ _)m

  • R.mama

    R.mama


    心の傷も癒えていない状況でしょうに、お話して頂きありがとうございます。

    流産後の死産、私と同じ状況で、驚きました。
    また、みささんの辛さ苦しみも、痛いほどに伝わってきます。
    私は、前回流産した子の出産予定日が今年6月半ばから末頃の予定で、今回死産してしまった子が、その子の予定日付近に産まれてきました。
    同じ子が戻ってくる、という説は信じていないのですが、どうしてこんな短期間で二人も、と、人工死産を選んだのは自分ですが、とてもやりきれない気持ちでいっぱいです。

    おっしゃられる通り、ネットやブログを拝見していると、お腹の中で亡くなった、お腹の中で生きられない、産まれてきても生きられない、という形で死産をされる方は沢山見かけるんですよね。
    でも、私の場合は、例え重い障害があっても生きられる命。
    こんなに望んで、お腹に来てくれたことが嬉しくて、大切な大切な子だったのに、自ら命を止めてしまった。
    子供を殺してしまった。
    そんな思いが、残っています。
    罪悪感や、責められている感覚、とてもわかります。
    全く知らない、それこそただ外を歩いているだけの人にさえ、子殺しだと言われているような気さえしています。

    初期からだったなんて、嬉しいはずの妊娠が、とてもお辛い時間だったと思います。
    病気かも、と言われてからの非現実感、自分だけが別の世界にいる感覚、調べても調べてもわからない、変わらない現実。
    私は初期の頃からは、問題なし、順調だよ、とだけ言われていました。
    前回が心拍確認後の流産で、今回は心拍も以前より力強いし、大丈夫!元気な子が産まれてくるよ、なんて言われて、とても嬉しかったんです。
    それでも流産が怖くて怖くて、やっと迎えた安定期が嬉しくて。
    でも、その5ヶ月に入って最初の健診で、問題が見つかり、そこからは正に天国から地獄でした。
    きっとたいしたことじゃない、まだ小さいからエコーで見間違えてるんじゃない?なんて期待していました。
    毎週病院へ通いエコー。何度見ても、お腹の子は病気は変わりませんでした。
    それどころか、数週が進むほど、酷くなっていきました。
    本当に、どうして私なの、私の子なの、どうして病気なの、私が何をしたの、食べ物も飲み物も気を付けて、常にマスクをつけて、できることは全てしていたつもりだったのに、どうしてこの子なの、どうして、どうして、と、泣いても泣いても涙が止まりませんでした。納得できませんでした。
    病気が見付かってから、エコーを見られなくなったのも同じです。
    あんなに可愛くて嬉しくて、エコーの写真を見る度暖かい気持ちになれたのに。
    それからはエコー写真をもらっても、お礼も言えず、裏返してすぐに仕舞いました。

    例え周りが忘れてしまっても、私たち母親は絶対に忘れることはありませんよね。
    大切な大切な我が子です。
    生きて産み育ててあげられなかったけど、小さな小さな娘の顔、手足、重さ、抱っこした感覚、ずっと忘れないし、忘れたくありません。
    自分のお腹の中で育てるわけでも、痛い思いをするわけでもないご主人にも、健康な子しか産んだことのないお母様にも、わかるわけのない辛さ、苦しみですよね。
    少しだけでも寄り添ってくれたらそれで良いのに、お一人で闘い続けているみささんの心労が、手に取るようにわかります。
    死産という道を選んでしまったから、子供に守って、とも言えなくて、余計に苦しいですよね。
    だって、私が守ってあげられなかったんだから…。

    なんとか立ち直らないと、と考えて、でも私はこの先どうなってしまうのだろうと不安に思うばかりでしたが、立ち直る必要なんかないと言って頂いて、なんだかしっくり来た気がします。
    産み育ててあげることも、病気を治してあげることもできなかった、何もしてあげられなかったけれど、お腹に来てくれた時間は本当に宝物です。

    自分の気持ちを否定しない、忘れないように、素直な気持ちでいたいと思います。

    火葬はこれからなので、手元からいなくなってしまった時が、またどうなってしまうのか、怖いです。

    みささんもまだお辛い中、本当にありがとうございました。

    • 6月25日
Kana

数日前のことですし現実を中々受け入れられず、今が1番辛い事かと思われますが自分を責めるなと言っても責めてしまいますよね。
私も生きていける子を諦めて21週で手術を受けました。
その決断も簡単ではないです。
出産育児の経験があれば、これは尚更だと思います。上の子の可愛さ、命の大切さ、出産、育児としてるので誰よりも子供の可愛さを知ってますよね。うちの子は次男と同じ染色体異常で生きる事も奇跡な子だとは分かってもいたものの自分の精神力、忍耐力、これからの長男と次男の人生、金銭的な理由でしたが乗り越える事に今でも苦労してます。生きていける子、この子達の兄弟、妹を私が殺してしまったのだと。自分で選んだ道ですがこれ以上の後悔は無いという位に後悔してます。
まだ1年も経ってませんが立ち直る日が来るのかと思いますよね。
亡くなった赤ちゃんにはまだ何もできてませんが術後よりかは気持ちも落ち着いてきて要約最近、子供為に何かしたくその子の為に仏壇を購入しようかとおもってます。10万以上はしますが、もうこれしか私には出来ないので…ミルクやお菓子を時々お供え出来たらと思ってます。

  • R.mama

    R.mama


    コメントありがとうございます。

    本当に、これが現実なのかわかりません。
    現実だと受け入れたくもない自分がいます。
    病気だったことも、この子がいなくなってしまったことも、全部夢だったらいいのにと思います。
    私も同じ、21週でした。
    ギリギリまで、最後の最後まで、悩んで悩んで悩み抜きました。
    でもまだ悩んでいます。
    お腹もまだ元に戻らず少しふっくらとしたままで、それがまた、辛いです。

    おっしゃる通りです。
    私も一人子供がいるので、可愛さも、大変さも、知っています。
    だからこそ、障害を持つ子を育てていくことの困難さを考えた時、きっと今の想像するだけの考えでは甘いほど、大変なことだと思いました。
    子育てを途中で投げ出すことはできません。
    上の子にもたくさん負担をかけること、我慢をさせることもあるかと思います。
    もちろんそれは兄弟が健常児でもゼロではないと思います。
    たとえ重い障害を持っていても、必ずしも不幸であるとも思いません。
    ですが産まれてくるはずだった子の将来も、また上の子の将来も、悲観してしまいました。
    全て母である私の力不足です。弱さです。覚悟が足りなかったのです。
    どんな状態でも生きていける子だったのに。
    どうして私は育てられないのか、死産を選んだのかずっとずっと、考えています。
    私も一生、後悔していくのだと思います。

    少しずつでも気持ちが落ち着かれているようで、やはり時間薬なのですかね。
    それが何年、何十年先かはわからないけれど、いつか少しでも前に向いていけるようになれたらと思います。
    もちろん子供のことは、忘れずに。

    ミッフィーさんのお話を聞いて、仏壇を用意するのも良いなと思いました。
    立派なものは用意出来ないけれど、私も1度見に行ってみようかなと思います。
    ミルクやお菓子、お花も沢山買おうと思います。

    ミッフィーさんもお辛い中、ありがとうございました。

    • 6月25日
おりおり。

ちょっと違うパターンの回答になりますが

うちは、兄が障害者です。
かれこれ25年間、妹として生きてきましたし
今となっては何とも思いません^^;
障害者への偏見もやはりありません。

ただ思春期には、兄といると
「うわ、身障だ〜」とか言われたことがあって
とっても辛く感じた時期もありました。

兄が居ることで手伝うことも一般家庭とは
また違う内容です。
それがイヤになって家出したこともありました。

兄が嫌いなわけじゃないんですが
なぜ、兄のせいで辛い思いをしなきゃいけないのか
なぜ、少なからず拘束されなくてはいけないのか
思春期のわたしには辛かったです。

ヘルパーさんは、障害者の方と触れ合う仕事ですが
そのヘルパーさんでさえも
兄は受け入れられないとヘルパーを断られたことも。

他にも、兄が障害者という理由で

目の手術が必要になったのに
どこの病院も手術すらしてくれず失明。


まだまだ世の中は、偏見もあるし
育てていくのは簡単ではないと思います。

今回、人口死産を選んだことが
必ずしも間違った選択ではないと思います。
自分を責める必要もないです。

時間をかけて、生まれ変わったら
幸せな人生を送ってね。と思えるように
とりあえず今は、休んでくださいね。

  • R.mama

    R.mama


    一人子供がいますので、実際に障害を抱えるご兄弟がいる方のご意見、気になることろでしたので、とても有り難いです。

    小さな頃から一緒であれば、子供たち自身はそれが当たり前になり、親が考えているより、あまり気にする場面はないのかもしれませんね。

    私の気がかりだったことの一つに、多感な思春期になったらどうなってしまうのだろう、というのがありました。
    私は本人のことしか考えられていませんでしたが、大切な兄弟が他人から変に思われたり、見られたり、言われたり…
    それは本人だけじゃなく、ご兄弟も傷つくことであると、気が付きました。
    通り過ぎ、大人になってしまえばなんともないことでも、成長期であったり思春期であったり、多感な時期は、お兄様のことで自由にならないあまさん自身にも、やりきれない思いがあったことと思います。

    ヘルパーさんでさえ断る…そんなこともあるだなんて、驚きました。
    病院にも助けてもらえず、それでは本当に、家族が孤立してしまいますよね。

    そんな現実があるだなんて、知りませんでした。

    ほんの少しの障害の程度の差でも、公費が出たり出なかったり、手帳の申請ができたりできなかったり…同じ障害でも、ほんの少しの差で手を差し伸べて貰えないこともあると知り、ご家族の心労は計り知れないことと思います。

    それでも本当は産んであげたかった。
    だけどそれは理想であって、希望であって、現実は、私には重すぎました。
    情けないです。

    せっかく私を選んできてくれたのに、病気にしてしまって、産み育てることができなくて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
    この子がどうか幸せになれるように、今出来る限りのことをしていきたいと思います。

    お気遣い頂いて、ありがとうございます。
    優しいお言葉、貴重なお話をありがとうございました。

    • 6月25日
🐼桜華🐼

私も独身時代、死産経験あります。
シングルで育てる決意をし、出産予定日に陣痛。子宮口全開でしたが、破水をしていなく、破水待ちでした。

出産の際、お腹に機械を付けますが機械から変な音が聞こえ、そのまま吸引分娩。
しかし蘇生すること無く亡くなりました。

突然の早期胎盤剥離でした。
先生達もまさかの事態で予測不可能。検診でも異常は見当たらなかったので、何故胎盤剝離が起きたのかわかりません。

抱いた我が子はまだ温かく、ただ眠ってるだけ。と思う程でした。

形は違えどR.mamaさんと同じく死産を経験しているので、お気持ち分かります。

私自身、死産から約10年になり、結婚し先日旦那との子を出産しましたが、気持ちの整理はついていません。

ふとした時に亡くなった我が子を思い出し、泣くこともあります。

今は無理に気持ちの整理をつけなくていいと思います。

受け止められなかった気持ちも赤ちゃんはきっとわかってくれると私は思います。

  • R.mama

    R.mama


    コメントありがとうございます。

    それまで何もなくとも、出産予定日に突然の胎盤剝離…そんなことが起こるだなんて、誰もが想像していませんよね。

    やっとやっと赤ちゃんに会える日に、とてもお辛かったことと思います。

    10年経っても、気持ちの整理をつけることは難しいのですね。
    何年経っても、何十年経っても、産んであげたかった気持ちは、きっと変わらないのだろうなと思います。

    今もとても辛く苦しいですが、まだ産後すぐであることと、火葬がこれからだということもあり、やることがあるので言い方はおかしいですが、気が紛れている瞬間もあるんですが、
    全てが終わり、子供も手元からいなくなり、時間が経てば経つほど、悲しみも深くなりそうで、これからどうなってしまうのだろうという不安もあります。
    火葬なんかしないで、ずっと一緒にいたいと思ってしまいます。

    選んだのは私ですが、これで良かったのか、私は何をしているんだと、自問自答の毎日です。
    本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

    ありがとうございます。
    守ってあげられなかった情けない母ですが、子供に恥じぬよう、生きていけたら良いなと思います。

    • 6月25日
minataka

私は4月に20週の息子を人工死産しました。
18トリソミーでお腹の中で死んでしまうか、産まれても1年も生きられないことが多いとのことでした。
私自身、高齢であり、子宮筋腫と子宮頸部高度異形成という病気を抱えています。
赤ちゃんが無事に育っていれば、筋腫のため帝王切開の予定でした。
20週でまだ小さかったため普通分娩できたこと、次の妊娠よりも高度異形成の円錐切除という手術を先にしなければならないこともあり、年齢的に早く次のステップへ進むために人工死産を選びました。
たくさん考えて迷って決断しました。
そしてたくさん泣きました。
今でも涙が出ることがあります。
もっと若かったら、息子が生きられる限界まで待ってあげたかもしれません。
どの選択が正しかったのかと考えることもあります。
ただ、早く赤ちゃんを抱きたいと思うと悲しんでばかりいられない年齢なので、無理にでも前を向くしかないと思ってます。

私が妊娠してたことを知ってる人には会いたくない、気持ちを理解してくれない人とは付き合えないという気持ちになり、仕事も休んでますが、このまま辞めようかとも考えてます。
かわいそうな人とは思われなくない、腫れ物に触るような扱いはされたくない、そんな気持ちにもなりました。

体調が戻り、早く妊娠したいと思うようになったものの、今までのような人付き合いができずにいます。
私が100%立ち直るには元気な赤ちゃんを産むまで無理なのかなと思います。
もし元気な赤ちゃんを産むことができたら、お兄ちゃんがいたんだよって教えてあげたいです。

  • R.mama

    R.mama


    コメントありがとうございます。

    お腹の中で死んでしまう可能性があるのに妊娠を継続していくのか、例え産まれてきてくれたとしても短すぎる生涯であることがわかった上で産むのか…
    どちらが良いかなんて、わかりませんよね。
    選べません。
    子供にとっても、母親自身にとっても、どちらも嫌で、どちらも選びたくないですよね。
    どちらも辛すぎます。

    お気持ち、とてもわかります。
    私自身の年齢は高齢ではないのですが、うちは年の差婚なので、主人の年齢はもう高齢に入ると思います。
    障害や病気の有無には女性ほどは年齢は関係してこないかと思いますが、子供が自立するまでの年齢を考えたら、どこまで働くことができるか、経済的な問題もありますし、焦る気持ちもあります。

    そして、立ち直るには元気な赤ちゃんを産むまで無理かな、と思われるお気持ちも、痛いほどわかります。
    私は今回死産した子の前の子を心拍確認後の流産で亡くしていて、その辛さ悲しみも全く癒えることはなく、イライラしてばかりいました。
    私が前を向くためには、また妊娠するしかない、と思い、焦っていました。
    そして無事に授かることができ、もちろん初期の頃は流産が心配で心配で仕方なかったんですが、妊娠できたことで、とても救われた気持ちになりました。
    それなのにまた、死産という形で亡くすこととなってしまい、言い方はおかしいですが、またあの時(流産した時)に戻ってしまった、振り出しに戻ってしまったような気持ちもあります。

    前回の妊娠時、同時期に妊娠した友人が二人おり、その二人は、なんのトラブルもなく順調で、来月出産です。
    私だって、今頃は赤ちゃんを抱っこしていたはずだったのに。
    彼女達が一人出産する間に、私は二人亡くしました。
    どうしても、どうして私ばかりなのか、不公平じゃないか、私が何をして、赤ちゃんは病気になってしまったのだろう。
    彼女達が羨ましくて妬ましくて、卑屈で汚い心が出てきてしまいます。
    今回人工死産を選んだのは自分の弱さからですが、それでも、どうして、と、考えてしまいます。

    今までのような人付き合いなんて、出来ませんよね。
    前回の流産から、そして今回の死産で、子供が二人以上いる人や、妊娠中の人、子供を望んでいる人までも、付き合うことが怖くなりました。
    名前を見たり、アイコンを見ることも辛いので、LINEは非表示にして、消してしまいました。
    自分で死産を選んでおいて、本当にどこまでも身勝手なのはわかっています。
    でもこの苦しみは、経験した人でないと、絶対にわからないですよね。

    私も今は、誰とも関わりたくないというか、関わることができないでいます。
    妊娠を知っていた人に連絡するのも嫌ですが、何も知らない相手に、経過を尋ねられたらきっと苦しくなるので、伝えなければ、と思っています。

    今は少しずつ時間が経ち、間違っていたのかも、という思いで支配されつつあります。
    なかなか気持ちの落ち着くところが見付かりません。
    これから亡くなった子にしてあげられることは数少ないですが、私が死ぬまで、できる限りの償いをしていきたいと思っています。

    minatakaさんもまだ、息子さんを亡くされて日が浅いことと思いますので、無理せずにお身体を大事に過ごしてくださいね。

    • 6月26日